妄想中年日記

連載第108回: 2017年総括

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2017.
12.30Sat

2017年総括

小説こそ書かなかったものの成果の多い年だった。ウェブサイトの移転と改築でWordPressの知識が向上した。SpotifyとYouTubeのおかげで音楽に親しんだ。昨年にひきつづき大量の漫画を読んだが、2015年と異なり創作に活かせなかったのでこれは成果とはいえない。恥さらしな習作群を絶版にし、人前に出せるものはすべて印刷版を作成した。一時的とはいえ暮らしに余裕ができて気軽に本を買うようになり、いくらか読書の習慣を取り戻せた。印象に残った読書は『アーダ』『2666』『冬の日誌』『神秘大通り』『スウィングしなけりゃ意味がない』『低地』、それにちくま文庫や朝日文庫から復刊された獅子文六作品の数々だ。もとより障害のある記憶力が年々さらに衰えているが、内容は忘れても読んだときの思いは残るだろう。

不注意優勢型のADHDであり境界領域の知的障害である事実を、日常的に意識するようになった。双極性障害が鬱の時期に入ったことや、古い習作の改稿作業によって、精神障害による支離滅裂な思考や、社会的な欠陥をいくらか客観視できるようになった。過去に書いたものをふりかえると2006年からの十年間はとりわけ異常だった。統合失調症に近い鬱にはじまり、2008年頃から他者と無理にかかわるようになり、2015年末から翌年の夏までは躁の絶頂期だった。現在は脳の欠陥をふまえて生活や言動に留意しようと努めている。習作を絶版にし、サイトをつくりなおしたのもその一環だ。何事も健常者のようにうまくやれない。ひとも自分も傷つけないために他者とは極力かかわらない。人目に触れず、余計なことはやらない。来年はそれを徹底する。

作家ではない一般人の文章がインターネットで読まれる現象に関心があった。読まれること、読まれるひとと読まれないひとが明確に分かれていること、自分が読まれない側であることの三点に関心があった。今年その疑問に答えが出た。それは健常者の共同体で完結するコミュニケーションの一例であって、書いたり読んだりにはかかわりがなかった。インターネットを使った出版にはその点で混乱させられた。それは読まれ方においていえば健常者のつながりで完結していた。かといってSNS(社会能力を競う健常者のゲーム)であるとばかりもいいきれない。読まれることを想定しなければ出版(それぞれの個に寄り添う社会活動)になり得る。だれともつながらない孤島であることこそが、疎外された個人をまもり、言葉の自由を成立させる。読んだり書いたりをしたいのであって交流をしたいのではない。その原点に立ち返れた。

厄介ごとが皆無ではなかったものの、おおむね穏やかな年だった。そのような年の暮れにはコリンストリート・ベーカリーのフルーツケーキを食べようと決めていた。ささやかな夢は叶ったが、脳の発達不全に起因する暮らしの不安は消えない。たまたま楽をできたにすぎず、しかもその時期は終わろうとしている。詐欺同然の働き方をごまかしきれなくなった。来年は不安を減らしてより多くの本を読みたい。できればプロットを構築する方法や書く技術を学び、発表しないにせよ小説を書きたい。読書量が足りないのは確かだが、読むばかりでもどうにもなるまい。来年のうちにどうにかしたい。障害者なりの幸福を見つけたい。


杜 昌彦

(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。