杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第106回: 見たいものを見る

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2017.
12.24Sun

見たいものを見る

見たくないものが視界に入るとメンタルに負荷がかかる。自宅で寛ぐときくらいは見たいものだけを見ていたい。Amazonの調教に手間をかけるのはそれが理由だ。「興味がありません」よりも「おすすめ商品に使わない」が優先されるようだ。反映に数ヶ月かかった。地味な作業の積み重ねがようやく臨界点に達したのかもしれない。

特定の本で関連づけの傾向がおかしい。『アーダ』『幻影の書』には特定の個人の好みが反映されているかのような違和感がある。『水底の女』にはチャンドラーどころか小説の読者ですらないような客層がうかがえる。どうしてそうなるのか知りたい。

ウェブサービスを使うには他人の都合に合わせねばならない。商品ページに裏表紙が表示されていたので、CreateSpaceに修正を依頼したら画像を消された。前回と同様に著者セントラルから画像をアップロードした。一時間と経たずに反映された。CreateSpaceに任せていたらいつまでたっても消えたままだった。おすすめの調教にしてもそうだけれども、こうしたノウハウは自分にしかニーズがないのだろうか。

過去の自分の活動をふりかえる。昨年まではことさら露悪的にふるまうことに関心があったようだ。健常者のようにふるまえない自覚をもとに行動を律すべきだった。他者とは極力かかわらず、他人の目に触れずに楽しみを追求するのがよい。このサイトを構築するまではウェブサービスを利用するしかなかった。健常者の世界に闖入するのは双方にとって不幸でしかない。

胸の悪くなるような人生しか知らず、そのことに怒っていた。おなじ経験をしたひとの役に立ちたかった。それは無意味だったし、過ぎ去った。自分の欠陥だけに向き合えばよくなった。謎解きやアクションのようなジャンル的な作法にも関心がなくなった。語られる物語もなるべく穏やかなものがいい。ひととひととの関わりで生じる出来事について淡々と語るのがいい。

また書けるようになりたい、との気持はある。まともな読み物を書けるようになりたい、とも、そのための訓練をしたいとも思う。でも若い頃のような切実さは薄れた。何もしたくないし、だれともかかわりたくない。いまはただ自分を消し去りたい。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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