編集日記

連載第97回: 治す

書いた人: ヘリマル, タグ:
2017.
12.06Wed

治す

最後の村上訳チャンドラーを買うために丸善に立ち寄った。ほかに何冊かほしい本があったけれども今すぐには読めないので諦めた。書店でたくさんの本を眺めるたびに、このなかに自分の本が並ぶことはあり得ないとあらためて確信する。違いすぎるし、自分には書店の棚に並ぶだけの才能がない。他人に読まれるだけの価値がない。単に事実としてわかっている。何ら否定的な感情はない。ウォール街で働く人生がないのと同じだ。

もともと才能が皆無である上に、作家になろうとしていた20代の頃はいま思えば精神病だった。思考の道筋が支離滅裂で日本語も壊滅的だった。にもかかわらず最終選考に3回、三次選考に2回、二次選考に2回か3回残っている。応募先の小説誌を読んだことすらなく、それでも選考に残るのだから、健常者でかつ応募先を理解してさえいれば、若者は応募するだけで確実にだれでも新人賞をとれるのだろう。仕事ではなく新人賞だけなら。プロとして仕事を継続的にとって生活するのは別次元なのでなんともいえない。

年末年始の休みを先取りで七日間もらった。この長期休暇で『黒い渦』をどうにかするつもりだ。1999年のゴミを2006年に書き直したゴミだ。あまりにひどすぎて泣きたくなる。言葉の用法もおかしいが、単に文章が下手というより認知のフレーム自体が歪んでいる。2014年の『ガラスの泡』は、二年後に読み返したら確かに壊滅的に下手ではあったものの、単に下手なだけだった。才能のない人間が書いたらこうなるだろうという感じ。『黒い渦』はそんな次元ではない。文章からして異常だが他人に読ませる神経がもうおかしい。頭が悪すぎる。狂っていたとしか考えようがない。こんなゴミが99年に最終選考に残った理由がわからない。

2006年は人生でもっとも不幸だった。精一杯生きた結果なのだから仕方ない。2017年が終わろうとする今、あの時期の仕事にけりをつけられるのはいいことなのかもしれない。長い不幸な時代が終わったのだ。他人にどう思われようが構わない。評価も愛もこの人生に縁はない。縁がないものに関心は持てない。自分を好きになりたいだけだ。書くのも筋トレも同じ。醜ければ自分がきらいになる。だから鍛える。ゴミをゴミのままにしてはおけない。向上したい。


ヘリマル

ゆかいな犬