インターネットでは歪んだ幼さが幅をきかせる。 全体のごく一部ではあっても彼らの声は大きい。 またインターネットはその伝播に適している。 あたかも彼らの声が絶対の正しさであるかに見える。 適合しなければだめだ、 劣っている、 と思わされる。 偏っているのは自分のほうだと錯覚させられる。
電子書籍は基本的にインターネットを通じて読まれる。 端末から直接購入するときのように意識しない場合でも実際にはインターネットを経ている。 従って電子書籍はインターネットにおいて優位な価値観で読まれやすい。 ストアの関連づけがその傾向を強化する。
歪んだ幼さは顔の使い分けがうまい。 他人を貶めてずるく立ち回り、 自分を立派に見せかける。 読書とは対極の価値観だ。 惑わされて別人になろうと努めた。 読書と自分を貶めただけだった。 どれだけ幅をきかせていようと合わない価値には従えない。 媚びてまで彼らの文脈で測られたくない。 全力で遠ざかりたい。
もし読まれたいのなら方法はわかっている。 まずだれにも恥じない本を書き、 印刷版と電子版を出版する。 ここまでは努力で叶うと信じている。 その先は社会的な能力を要する。 印刷版を友人・知人に配布し、 もし気に入ったら電子版を購入するよう頼むのだ。 レビューを書いてもらえるとなお嬉しい、 とも伝える。 社会的能力さえ秀でていれば本の質は必ずしも問われない。
取り巻きのいる著者はインターネットに向いている。 彼らの価値を取り巻きが高めるようにインターネットはできている。 その仕組みが金を生むので業者はそのようにウェブサービスを構築する。 支持者は喜んで電子版に金を、 五つ星のレビューに手間と時間を投じる。 そうした操作が出版直後に行われるので、 目につくように表示され、 目につくので購入され、 売れるので目につくように表示され⋯⋯のサイクルに入る。
読書の価値は問われない。 むしろ歪んだ幼さに適している。
インターネットに親和性がなく、 売れることよりも適切に読まれることを求めるのであれば、 いい本を書いていい読者に読まれたいのであれば、 印刷版が必要だ。 読書好きの知人に配ればいい。 ストアより現実の関連づけに頼るので時間はかかるが、 不適切な客筋を遠ざけ、 望む客筋を得られる。 しかしいずれにせよおれには才能がなく、 書いたものは恥でしかない。 どちらかといえば放っておいていただきたい。