杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第10回: 闇の中の言葉

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2016.
08.03Wed

闇の中の言葉

おれの視点はおれの言葉にしかない。そこにはいかなる汎用性も欠如している。それこそがおれの本を売る上での最大のハンディキャップだった。ほかのどれとも区別のつかないものなら企業が扱えばいい。おれは自分の売り方を見つける。「そこにしかない言葉」がなければ生きられない人間のために。そいつが闇の中で息をつくために。

「わかりにくい」もの、汎用性のないものを売るテンプレートは存在しない。どこにもないものは創造するしかない。非効率的だ。企業は効率と利益を追求する社会的義務がある。見返りの保証がない博打にコスト(手間、時間、金)はかけられない。「ずっと以前からありふれていて、理解され受け入れられているもの」を、手堅いやり方で再生産しつづけるしかない。ひとも、言葉も、どう編んでどう見せてどう広めるかも、すべて既存のテンプレートから出発して、そこに綺麗に還元できるものでなければならない。慣習で是とされた視点しか許されない。力のあるもの、手堅く広まっているものを無条件で肯定して、「わかりにくい個別の事情」を孤立に追いやらねばならない。

しかし他人にはなれない。これまでにもあったようなものを書くこと、読むことになんの意味も感じない。社会から祝福されたひとびとと、そうでない人間。後者はあらかじめそこに属するがゆえに罰せられる。おれはそいつらのために書く。言葉はそのためにある。前者が何を感じ何を考えているか昆虫のように理解できない。「そのひとだけの事情」を書くのが作家なのだ。

ひとを「キャラ」で説明したつもり、わかったつもりになってはいけない。それは人間性に対する冒涜だ。「わかりにくさ」の孤立に寄り添い、「わかりやすさ」の暴力に抗うのが作家なのだ。それぞれの「わかりにくさ」に寄り添わなければ書く意味がない。あえて無視するのであれば明確な意思による決断でなければならない。聞き入れてはいけない事情、受け入れてはいけない人格というのも確かにある。それを聞き入れるのはそのひと以外の事情や「わかりにくさ」を無視し、蹂躙することになる。作家は暴力を選び取らねばならない。どこに立つべきなのかを。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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