杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第9回: 本はサービス

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2015.
05.21Thu

本はサービス

仲俣暁生さんの文章にすごいことがサラッと書かれていた。本を「サービス」と定義してるんだ。衝撃を受けた。そんなふうに考えたことはなかった。本はウェブのポータブル版だと思ってた。持ち運ぶためにパッケージ化されたウェブが本だと。でもいわれてみれば2015年現在、おれはかなり多くの本をブックパスで読んでいる。それは携帯端末に最適化されたウェブサービスであってそれ以外の何物でもない。auに五百数十円を支払えば読む権利が得られる。それらの本は可搬性もないし所有もできない。そもそも本なんて贅沢品を所有できるのは金持だけだ。おれの部屋に書棚はない。独房みたいに何もない。ベッドと椅子とmacを載せる小さな台、二千円のスピーカー、フロアスタンドが全財産だ。いったいどこに本を置くというのだ。滅多に買わない紙の本は読み終えれば棄てる。借りた本なら図書館に返す。また読み返したければ借り直す。処分されてるときもある。流行のベストセラーを棚に並べるためにおれの大好きな本は棄てられるよりほかない。買おうと思っても絶版になってる。電子書籍は……だれだよ絶版にならないなんていったやつ。ウェブサービスである以上、提供が終了することもある。たとえばおれの冗談本『インディーズ書籍宣言』はもう手に入らない。おれが絶版にした。読めなかったやつ残念でした。著者にその気がなくてもビッグブラザーの機嫌を損ねて消されるってこともある。おれの本が今後そうならない保証もない。なったら自力で配信する。当サイト「人格OverDrive」は本でありウェブサービスでもある。なんにせよ本との出逢いは一期一会だ。読めるとき読んどかなきゃ消失する。サービスだからな。

実家に世界文学全集があった。六十年代末の出版物だ。母が病院で心理療法士をやってた若いとき、あるいは旧帝大の院生の頃かもしれん、いつか子育てを終えて生活に余裕が出たら読もうと、苦労して金を溜め込んでやっとの思いで買ったのだ。それらの本は一度もひらかれることはなかった。サイコと結婚したからだ。見つからないようにしまいこまれたきりになった。親戚中をたらい回しにされ、愛に飢えて育った彼女が夢見たのと、現実の家庭は真逆だった。生まれた子どもは脳障害だった。おれが読もうとしたとき本は読める状態ではなくなっていた。湿気でページがはりつき強烈な黴の臭いがした。本はサービスだ。楽しめるとき楽しまなければ失われる。あの文学全集は惨めな人生の象徴だった。孫に囲まれて笑っていられたはずの年齢に、白内障を手術する金もなく、サイコの夫に脅えて彼女は暮らしている。めちゃくちゃな家庭のために人生をしくじった子どもたちは、いまどこにいるかもわからない。まぁじつは長男はおなじ市内にいるんだけどな。遠くへ行く金も仕事にありつく能力もない。母と最後に会ったのは震災前だ。家族でただひとり意思疎通のできた妹とも連絡は絶えた。罪悪感にとらわれないよう気をつけている。息子が健常者だったならあんなに不幸ではなかったかもしれない。でもおれを生贄にしたのもあの女だ。おれのせいじゃない。おれのせいじゃなかった。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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