杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第79回: 内省を数値化する

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2017.
10.06Fri

内省を数値化する

電子出版の情報誌を購読している。在来出版を貶めたいがためにAmazonを美化・礼賛する論調が鼻につく。しばしば現実から乖離して感じられる。「元年」当時はそのように「時代に取り残される不安」を煽っていれば商売になったろう。新潮クレスト・ブックスがKindleで読める時代にはいささか「中年男の理解する女子高生の流行語」みたいな気恥ずかしい印象がある。

Amazonは書店としても版元としても自動化の方向づけがおかしい。収益効率を極限まで追求するのは営利企業だから当然として、本を売ったり出版まで手がけたりするには読書をあまりにもないがしろにしている。年々拡大するその欠陥をひとびとはいつまで無視し、夢を見続けていられるのだろう。どんなに栄華を誇った企業にもいつか終わりが訪れる。すでに「Amazonの次」を見据えねばならない時期に来ている。

読書はそもそもが私的で内省的な行為だ。雪だるま式に「売れるものが売れる」がエスカレートするほど実態から乖離する。核となる最初の「売れた」が読書にあるとは限らないからだ。むしろインターネットの特性として内省に反する(「交流」という巧みな世渡りを絶対の正義とし「そのひとだけの事情」を排除する)場合が多い。乖離を防ぐには適宜、人心を考慮して軌道修正しなければならない。その修正を自動化するにせよ基づかねばならない概念は同じだ。というか最初に方向づける時点でその要素が盛り込まれていなければならない。

ところが現状のAmazonはあくまで浅薄な効率しか頭になく、内省を取るに足りないものとして排除するかに見える。今後もそのやり方に固執すれば株取引の瞬間暴落のような破綻がいずれ生じる。その規模が拡大するほど読者は自然と離れていくだろう。こんな話をすると小さなトルコ人が大好きな夢想家から「将棋が」などと頓珍漢な説教をされる。「テクノロジーが人間性を排除する」といった低次元の話はしていない。いまだにそんな発想から抜け出せないひとびとの多さに呆れる。

あるいはストア側の欠陥には留まらないかもしれない。本は結節点であり、網の目のような文脈で相互に関連づけられている。価値観、洞察、視点といったものや物語の類型パターンがそのネットワークを形成する。それらの要素をアルゴリズムに取り込むためにはあらかじめ数値化し、書誌情報に同梱しなければならない。コンテンツに内在する文脈を数値化し、価格やISBNと同格の付加情報として扱うことが今後は求められるだろう。数値をどう扱うかはストア独自のアルゴリズムが決めればいい。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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