D.I.Y.出版日誌

連載第62回: 嗜好と意外性

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2017.
07.18Tue

嗜好と意外性

使い較べてみるとやはり iTunes はサジェストが機能しています。おそらく人力と思われるキュレーションも機能しています。 youtube も iTunes も嗜好に訴えることを選択しているのに、なぜ Amazon だけがひたすら人間性を排除するのでしょうか。彼らの場合それがカネになるから、というのは理解できますが何か釈然としません。必要に迫られて買う商品に関連づけを濁らされるのかもしれません。必要に迫られて買うのと、嗜好に基づいて買うのとでは、消費という観点からは確かに等価です。しかし人間にとっては意味が異なります。その差を Amazon は理解しません。彼らにとって意味がないから意図的に無視しています。

Amazon で嗜好に合う商品を見つけにくいのは、ひとつにはランキングの問題があります。しかしこれはサジェストとは分けて考える必要があるでしょう。サジェストはあるいは個人の環境によるのかもしれません。わたしの環境で youtube の精度が高いのは、関連動画から好みのものを視聴したり、好みでないものを除外したりしてアルゴリズムを調教するからです。 Amazon ではあまりにも好みではない商品ばかり表示されるので閲覧履歴をオフにし、「おすすめ商品に使わない」にこまめにチェックを入れています。そもそも嗜好品はよそで買うようになりました。それで悪循環に陥っている側面は否めません。

しかしそれを考慮しても Amazon の関連づけは質が悪すぎます。浅はかな関連づけをドヤ顔で押しつけてくる印象があります。「何を結びつけたいかはわかるけれど、そういうことじゃない」と教えてやりたくなります。たとえば音楽を聴きたいのであって、 CD の些細なバージョン違いを蒐集しているわけではないのに、すでに愛聴している同じアルバムばかりを執拗に薦めてきます。商品の選択を嗜好ではなくモノの消費として捉えているからです。

youtube では思いがけない意外な関連づけを提示され、視聴してみると実際に好みだったりします。実際には機械的な処理でしかないのに「好みのツボをわかってくれている」と感じます。 Amazon ではそういう意外性は決してありません。こちらのことを知ろうとしない上から目線の押しつけに感じます。あるいは予期しない文脈こそが人間性を感じさせるのかもしれません。その文脈は実際には、統計的な近似値が錯覚させたにすぎないのですが。

youtube や iTunes が情報が人間の心にどう作用するかで収益を得ているのに対して、 Amazon は基本的にモノを売っています。デジタルコンテンツのような一部の例外を除けば、物体をある場所から別の場所へ移動させることで収益を得ています。そしてその一部の例外において優位性があるのは Kindle だけで、音楽も動画も iTunes や youtube にはかないません。 Spotify や、ハッピーオフされた Hulu にさえかなわないでしょう。モノからはいくらでも意味や人間性を剥奪できます。効率性のために彼らはそうします。その結果サジェストが薄っぺらになるのかもしれません。

そういえば Amazon がまだ本しか売っていなかった頃には、関連づけの精度はむしろ好評だったような記憶があります。スマートフォンがない時代ですから、インターネットでの買い物も現代ほど一般的ではなかったはず。利用者が少なければ、選択された意外性がそのまま関連づけに反映されやすくなります。利用者の層にも偏りがあったでしょうから、偏りそのものである嗜好は幾分、反映されやすかったかもしれません。当時はインターネットを使っていなかったので実際にどうだったのかはわかりません。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

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