いっときの局所的な流行とはいえマストドンのようなものが注目されたのは興味深い出来事でした。 出版もまた本来は中央集権ではなく、 偏在する点のゆるやかな連合であってもいいのではないでしょうか。 ひとは 「裾野」 という言葉で語るとき、 東京の大手企業を頂点とした三角形のヒエラルキーを想定します。 経済の上ではそのような認識になるでしょう。 出版や読書そのもののありようとしては必ずしも適切ではありません。
ウェブは評価経済をブーストします。 そこでは共有に最適化された話題や、 上から目線で他人を貶めること、 効率よくクリックさせる技術の三点が尊ばれます。 いずれにも関わらない本は 「ニーズがない」 として 「淘汰」 されます。 しかしここでいう 「淘汰」 は社会的に不可視になることであって根絶と等しくはありません。
ウェブの大手ストアは見かけがどうであろうと出版や読書とは何の接点もありません。 商材はユーザのクリックを効率的に誘発するゲームの構成要素のひとつにすぎません。 社会における人間、 ウェブにおけるアカウントの価値も同じです。 いいねやフォローやリツイートを効率よく誘発するゲームでしかありません。 替えのきかないものはそのように効率よく消費できません。 「そこにしかないもの」 は 「そこまで足を運ばねばならないもの」 だからです。 労力は厭われます。
ヒエラルキーを喧伝する声がいくら大きく、 かつまたどれだけ支持されようと、 偏在する無数の小さな点のうちのひとつでしかありません。 そこだけ拡大するから、 あたかも巨大なピラミッドのように見えるだけです。 社会的に不可視な出版が、 現代では無数に偏在するはずです。 ウェブは閉 (綴) じた出版を疎外し、 貶める話題として共有します。 声の大きなひとたちに活動を諦めさせられる出版者も多いでしょう。 しかし同時に、 多様なありようを可能にするのもまたウェブなのです。