PとGがいうように不審者を実際に見たやつも、実際に見たやつを実際に知っているやつもいなかった。街はずれのあの建物には幽霊が出るらしいとか、ネス湖の怪物とかUFOといった類いのくだらない噂にすぎず、だれひとり本気にはしていなかった。例外はそのことが原因で不幸な出逢いをした若干二名だ。一方はほかならぬ僕の母で、もうひとりはラミリーズ通り四三番地に住む二四歳の市警巡査一二六C。非番のかれはメンローヴ通り近辺に出没する不審者の噂を知っていた。同僚や近隣住民から伝え聞く風体があまりにも奇抜だったし、どこそこ通りのだれそれが見たらしい、というので聴取に訪れると、その人物も噂で聞いただけだったりして目撃者すら見つからず、その頃には署内のだれひとりまともには取り合わなくなっていた。もし仮にその中年男が実在したとしても、真夏に真冬の格好をしているだけでは罪に問えない。しかし前照灯の先に、襟にボアのついた革ジャンと黒いセーターを着込み、黄色い縁の黒眼鏡をかけた男が、何もない空間から滲み出るように急に現れたとなっては話は別だ。若い巡査はハンドルから片手を離して目をこすった。いや、見まちがえじゃない。距離はあるが視力に自信はある。その中年男は無帽で、流行のロックンロールの不良よろしく後ろへ撫でつけた髪を夜風になびかせ、メンローヴ通りへ向かって歩いていた。いかつい風体とは裏腹に、不安げに落ち着きなく周囲を見まわしている。不審といえばこれほど不審な男もない。黒い服装は闇に溶け込んでたやすく見失いそうだ……。
巡査一二六Cは時速三〇マイルの制限速度は遵守していたものの、添乗者の付き添いを義務付けられた見習い運転手でありながらその義務を怠っていた。運転に不慣れな若い警官が追跡する革ジャン黒眼鏡の男を、母もまたメンローヴ通りの向かい側に認めていた。おかしな格好にもかかわらず、というかむしろ、おかしな格好だったからこそ母の頭におかしな考えが浮かんだのかもしれない。飲んだくれて悪ふざけをするしか能のないあのろくでなしは、十四のときセフトン公園でナンパされた初対面からして、珍妙な山高帽と似合わない背広で、シガレットホルダーを見せびらかしていた。そういうのが粋だと思い込んでいたのだ。今度は強面の荒くれ者にでもなったつもりで妻を迎えに来たに違いない。新しい家庭があるからあんたは用なしよ、もう寄りつかないでと釘を刺したのに。僕に似て何事にも衝動的な母は、おそらくそんなことを考えて走りだし、男が振り向くとわれに返った。背丈も違うし痩せていてちっとも似ていない。なんで夫だなんて考えたのか……そこで急ブレーキと眩い光と衝撃に思考を断ち切られた。
母に背を向けて自宅へ歩き出したNWは急ブレーキの音を聞いた。つづけて重い衝撃音。振り向くと母のからだが宙を舞っていた。百フィート先の地面に叩きつけられた母のもとへかれは慌てて駆け寄った。血は見えず、横たわる母はどこも傷を負っていないかに見えた。赤みがかった髪が顔にかかり夜風に揺れていた。NWはメンディップスへ走った。伯母と下宿人は音を聞いてすでに外へ出ていた。声も出ないNWの顔色を見てかれらは不安が的中したのを悟った。伯母が駆け寄りひざまずくと母は安堵したかのように最後の一呼吸をして死んだ。野次馬が集まってきてだれかが救急車を呼びに行った。伯母は室内履きのスリッパのまま半狂乱で泣き叫んだ。彼女は担架に乗せられた母とともに救急車の後部へ乗り込み、セフトン総合病院へ向かった。下宿人は伯母の靴やハンドバッグを持ってあとを追った。病院でだれの目にも明白な事実を告げられた伯母と下宿人を、警察はブロムフィールドロードまで連れて行った。そのときのことを僕はよく憶えておらず、そのせいで伝記作家のHDにはまたしても話を盛ってしまった。玄関に警官が現れ、母の名を口にして息子かどうか確認を求めてきたので、そうだと応えてやると、残念なお知らせですがお母様は亡くなりました、と告げられたというのだ。伯母がいうには彼女から報せを聞いた僕は実際には、なんてこった、なんてこったといいながら、ただその場にへなへなと崩れ落ちたそうだ。
伯母と下宿人は警察の車でメンディップスへ戻り、僕と顔面神経麻痺は病院へ向かった。車が使えないからタクシーを呼んだ。これからだれが子どもたちの面倒を見るんだ、と母の愛人が呟くのを僕は聞いた。もともといい印象はなかったけれどこれではっきりと嫌いになった。お袋が殺されたというのにてめえのことばかり考えやがってと思った。一九六四年にハリケーンのおかげでBのフロリダ公演が延期になり、キーウェストの小さなモーテルに泊まったときその話をするとPは、父親より稼ぎのよかった母親を亡くしたとき、不安を紛らす冗談のつもりで父親と弟の前で似たようなことを口走り、そのことをずっと恥じて悔やんだと打ち明けてくれた。金や生活のことを考えるのが苦手な僕は、包み隠さないPに尊敬めいた気持すら抱いたけれど、だからといってこのときの顔面神経麻痺を許す気持にはなれない。車中で僕はずっと運転手を急かしながら悪態をついていた。ようやく母を取り戻せたのに。この数年間すごくうまくやっていた。母とはこれからもっと楽しいことがたくさんあるはずだったんだ……。病院に着くと顔面神経麻痺は母の死に顔を見に行き、ひどく取り乱して戻ってきたけれど、僕は霊安室の前で立ちすくんだまま動けなかった。美しく溌剌とした笑顔だけを思い描いていたかった。それが損なわれた現実を見たくなかった。
母自身を別にして、この件でだれがいちばん人生を損なわれたかはわからない。ブロムフィールドロード一番地の市営住宅を長いあいだ借りていた一家は、地元紙の報道がきっかけで本物の夫婦でないことがばれてしまった。義妹たちは親戚に引き取られた。顔面神経麻痺は飲酒運転のおかげで車と職と妻と子どもと家をつづけざまに失った。ざまをみろと僕は思った。ちなみに七年後の冬にこの義父が死んだのもまた交通事故のせいだった。母の死後もしばらくはバイトを紹介してもらうなど多少の交流はあったけれど、かれが死んだからといってなんの感慨もなかった。妹たちを気の毒に思っただけだ。母はアラートン共同墓地に埋葬された。葬儀のあとアラートンロードの家に会葬者が集まっていたとき、僕はずっといとこの膝に顔を埋めていた。彼女も僕も何もいわなかった。会葬者のだれもがただ茫然と打ちのめされていた。母はみんなに愛されていた。奇想天外なおふざけも底抜けの楽天主義も、独創的なものの見方も。母は僕を愛してくれていたと思う。アマチュア時代のへたくそな演奏をわざわざ見に来て、ひとりだけずっと楽しげに踊ってくれたりしたから。でもそれならなぜ……と思うこともおなじくらいある。そのことを話し合う前に母は逝ってしまった。まだいつでもそんな機会はあると思っていたのだ。
ひと月後の死因審問で「偶発事故による死」との評決が下された。母を殺した若い巡査は無罪となり、短期間の職務停止を受けたに留まった。裁判所でその判決を聞いた伯母は怒り狂い、ひと殺し! と巡査を罵った。そしてここでもまた話が盛られる——僕はつい最近までずっと、この非番の警官が飲酒運転をしていたと聞かされていたのだ。何かを見て気をとられハンドル操作を誤ったなんて話と同様に、裁判で酒のことは触れられなかった。あるいは揉み消されたのかもしれないけれど、現実というものの残酷な皮肉を思えば、実際に一滴も飲んでいなかったのではないかといまは思う。母はただ急に飛び出して轢かれたのだ。納得いくような意味や理由はそこには何もなかった。僕は荒れた。母のことを打ち明けて同情を買おうとは思わなかった。だれも本当のことは理解できまい。だれも飲んだくれの父に棄てられたこともなければ、目尻を下げて甘やかしてくれる伯父に死なれたことも、エルヴィスにあわせて台所で踊る母を持ったこともないのだ。だれにも話さなかったので同級生に金をせびるとき、お袋さんに借りられないのかと訊かれたりもした。死んだよと告げるとそいつはびっくりしていた。水臭いな、なんで話してくれなかったんだと責められた。なんていえばよかったんだよと僕はいいかえした。そういやおれの母親、死んだんだけどとでも? 何度か寝ていた女友達には、お母さんが亡くなったからってあたしに当たることはないでしょうと詰られたりもした。母と最後に会話を交わしたNWはずっと悩んでいたようだ。あと一分でも長く話していれば母は死なずに済んだのではないか、と僕が恨んでいると勝手に思い込んでいたのだ。僕はといえばずっと後になってそのことを知り、母を看取ってくれたのがかれと伯母でよかったと思った。
母を殺した巡査からは僕ら遺族にひと言の挨拶もなかった。これもまたずっと後になって知ったのだけれど、弔詞を送ることも考えたが事態を悪化させるだけだと思い留まったのだそうだ。あの夜に目にしたものはだれにも信じてもらえず、裁判でも口を噤み、しまいには自分でも信じなくなった。六年後、かれは警察を辞めて郵便配達夫になっていた。ほかのだれとも同じようにラジオでBの音楽を耳にし、新聞でBのことを読むようになり、JLの母親が亡くなっていること、少年時代のJLがメンローヴ通りに住んでいたことを知った。そのふたつの事実をつなぎあわせて自分がだれを殺したのか悟った。あらゆる記憶が甦って吐きそうになった。一九六四年のリヴァプールではいたるところがBだった。毎日の放送開始から終了まで一瞬たりともBはテレビから消えない。新聞をひらいてもB、配達ですれ違う街角の世間話もB。罪を忘れるほんのわずかな時間すらも与えられなかった。巡回担当地区にはフォースリン通り二〇番地にあるPの実家も含まれていた。おかげでBへの熱い思いが綴られた何百通もの葉書や封書をその家に配達するはめになった。かれは毎日のように大きな荷を担いで坂道を必死に登った。その配達物は自分が殺した女とその息子をひたすら思い起こさせた。
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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