書写という趣味

連載第13回: 書写とSNS

アバター画像書いた人: 28(にわ)
2023.
11.23Thu
書写
文章は山頭火書写(@yume2aliens)から.ガラスペンはせとうち文具.インクはtono&lims NINE Billiard Green.

書写とSNS

SNS をやっていなかったら私は書写はやっていなかったと思うこれまでの連載で書写をやろうと思ったきっかけや続けるためのモチベーションや続けるための動機づけを自分なりに整理してきた手で字を書くことが少なくなってきている昨今においてどうして字を美しくみせるための技術を磨いているのか

私はその理由のひとつを、 「自分の字を一番目にするのは自分自身だから自分の字がきれいだとそれだけ気持ちがよくて嬉しいのだと思っている文字の美しさというのは一文字一文字の文字の形の美しさと文章をつづったときの文字同士のバランスの良さで成り立っているそしてそれらは文字のツールとしての可読性という他者の目が意識されているだから書かれた文字には他人から見たときにそれが読みやすいか整っているか美しいかという基準がある日常生活で手書きが少なくなった今ではフォントがその基準のひとつで書道の名筆・名跡はアートの世界へとジャンルを変えたそれでもわたしたちは手書き文字の美しさを日常生活に見出している

また大人になってから上手くなったことのひとつに身体操作がある言うまでもなく字を手書きするという行為は身体を伴う文字を認識しその表象を自身の身体とペンを使って書く子どものころは感覚にしか頼っていなかった身体操作だけど視線が認識した分だけ手を動かしてゆっくり字を書くという練習は大人と違う時間が流れるせっかちな子どもには難しい理屈を理解してイメージに忠実に身体を動かしてみてイメージと実際の字とのズレを修正しながら字を書く理屈が伴っているからどこが悪いかわかりやすいし上達も早くなる自分自身が上達を実感できる練習は楽しいし継続しやすいそうやって書写をしていると字を書くという行為の身体性を意識せずにはいられないそれはつまり他人の書いた字にもその向こう側に他者の身体性を感じることを意味している

人が文字を書きはじめたとき筆跡はその人をあらわす要素のひとつだった筆跡がその人を証明するもののひとつだった字形には美がある手書き文字の美しさに憧れるのはわたしたちがそこにその人自身を投影してしまうからだ

文は人なりという言葉がありまた書は人なりという言葉も存在する人が考えた言葉や思考を文章にするときわたしたちはその文章の内容をその人自身だと思うすべての人が自分を表す文章を書くわけではないがほとんどすべての人は文字が書けて文章と同じように書かれた文字にも人格が投影されてしまう私は書は人なりという言葉には懐疑的だわたしたちは今では誰でも文字が書ける雑な字を書く人は雑な人だと思われ丁寧な字を書く人は丁寧な人だと思われる本当にそうだろうか練習さえすれば美しい文字が書けることをわたしたちは知っている文字はただの記号でそこに書いた人の人格などない

ただ理屈としては当然そのとおりでたとえそのとおりだったとしてもわたしたちは美しいものを目にしたときそれを無条件に受け入れてしまう弱さがある特に SNS という場は美文字練習としての書写ひとつとってもそれによって選ばれた用紙ペンやインク書体や書かれた文字の丁寧さ等すべての要素がその人を構成する表現となってしまうそしてわたしたちはその背後になにがあろうと表に出てきたものだけでしか判断できないにも関わらず見えないものを想像力で補いがちだなんのために手書きの文字を練習しているのかそれはその人にしかわからないし書かれた文字の美しさはその人自身の美しさでもない

字の美しさは技術であるその美しさを追及するのは愉しみである日常生活で最も手軽にできる遊びのひとつでもあるSNS という遊び場で書写を披露したとしても書写という行為はかなり個人的な愉しみに基づいているのではないかと思うそれゆえに手書き文字は先細りしたとしても滅びることはないと思うしまたそう思いたい

( 了 )

使用した文房具

この満寿屋の便箋は印刷が裏面にあるため原稿用紙の枡目があまり主張していないのがいい裏の印刷は前半が紺後半は緋で印刷されている

せとうち文具はじめてのガラスペン

HP で紹介されているけれど残念ながら商品はもう売ってないみたい⋯

写真にはうまく撮れなかったけれど落ち着いたグリーンのラメインク


遠つ人。日常+ 読書。Huginn(思考)とMuninn(記憶)