前回、 硬筆書写検定についての文章を書いたとき、 「行書もやると楽しいだろうなあ」 と書いたけれど、 そもそも私が書写をやるきっかけは 「草書と崩し字が読めるようになりたかった」 からである。
どういうことかと言うと、 そもそも私は美術館や博物館へ行って展覧会を見るのが好きで、 そこで展示されている古文書や手紙、 絵巻の文字が読めたら、 もっと展示が楽しめるのに~と思っていたのだ。
そんなわけで変体仮名を覚えるために手で書くことを始めるのだが、 仮名を単語だけ書いていてもだんだん飽きてくる。 飽きずに続けられる文章例があればいいのに、 と思っていたところ Twitter( 現 X) で朝活書写さんを見つけたのである。 しかも朝活書写は書道をやっていらっしゃる方が多く、 楷書・行書・草書の3パターンで書写をやっていらっしゃるので、 その方々の書く草書を見るのはとても参考になった。 その後、 変体仮名を練習しているうちに、 そもそも自分の楷書のバランスがよくないなということに気づき、 今ではほとんど楷書の書写ばかりやっているが、 草書と変体仮名を読めるようになりたいという欲は今もしっかり持ち続けている。 というより、 楷書を書写することで草書、 崩し字への欲を忘れないでいられている。
楷書を書写していると、 楷書には基本的な筆順のルールがあるのがわかる。 上から下、 辺からつくり、 中央からサイド、 かまえから中へなどなど。 楷書から草書を学ぶとき、 それら楷書の筆順が役に立つときもあるし、 素早く字を書くために楷書の筆順が無視されている場合もある。 人の手で書かれた文字は必ずしも決まった筆順で書かれているわけではないから (それは現代においても同じ)、 古文書に書かれた文字がかなり崩れていて読みづらいこともある。
草書という書かれた文字の形があり、 その字の筆の流れ・動きを見て筆順過程を予想する。 漢字という文字が、 筆という筆記具の制約のなかで成り立っているという事実だけはよくわかってくる。
字を書く筆順の過程が様々であるように、 なにか行動を起こすとき、 目的を定め、 そこへ到達するまでのルートはいくつもある。 メソッドが確立していれば、 目的に到達するまでの期間は短く済むかもしれない。 コストパフォーマンス・タイムパフォーマンスを重視する最近の流行では、 結果を手にするためのコストは少ないほうがいいから、 メソッドそのものはいい商売となる。 (それは経済的には正しい。) 目的や結果だけを見て、 そのまままっすぐで一直線な動機を予測することはとても簡単だ。 インターネットでは、 わたしたちの行動の断片を繋ぎ合わせて出される広告がはびこっている。
しかし実際、 人にはそれぞれの背景があり、 きっかけがあり、 動機がある。 自分以外の人間がそういう個人的な理由をわざわざ知る必要はないけれど、 人に対して過度に一般化したり抽象化したりしてわかったような気になるということはやめたほうがいい。 それは人に対する思考を節約することであり、 個人の勝手な思い込みで人を判断することに繋がる。 想像による予測と予断は違う。
結果や形はそれだけのことであり、 それだけしか見えていない場合、 結果や形にまつわってはいるが見えていないあらゆる部分に対しては、 せいぜい予測という不確定な姿勢に止まるしかないのである。
変体仮名は一番易しそうなここからスタート。 シリーズになっているのでレベルに応じて読めるのもいいかと。
本屋でぱらぱら見て自分の使い方に合っていそうに見えた崩し字ハンドブック。
使った文房具