D.I.Y.出版日誌

連載第363回: また歳をとった

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2023.
06.27Tue

また歳をとった

AI で記事を自動生成する機能が WordPress に加わるんだそうだそれがマット・マレンウェッグの考える出版の民主化なのかよ⋯⋯おれは民主主義を何かもっと別なもののように思っていた人間が汗をかくことでしか実現できない労働の価値が貶められるのとその負担が増大するのとが同時に起きてる気がするそれがなければ世の中がまわらないくらい重要なのに敬意を払われるどころかだからこそかえって貶められる貶められる職業だからそんな扱いを受けて当然みたいな認識が当然の社会創造的な職種から先にどんどん AI にとってかわられてそのとってかわられる勢いと同時に代替のきかない職種が貶められる勢いが増しているたとえば運送業は Amazon のサービスが当たり前になるにつれて低賃金でひどい重労働を強いられるのが当たり前みたいな扱いになっているアルゴリズムにこきつかわれるギグワーカが切断した指を地面に放置して次の配達先に向かわねばならないなんてことが現に起きている最後に残るのは介護とか原発炉心内部の清掃とかでだれだっていつかはその立場へ追いやられるのは明白なのにあたかも自分がサム・アルトマンやイーロン・マスクであるかのような態度でひどい扱いをされる職種がひどい扱いをされることにだれもが拍手喝采している八百万の神とかアニミズムとか持ち出して日本人は AI に偏見がないみたいなことをいいたがるばかがよくいるそうじゃねえよ八百万の神でもアニミズムでもなく家父長制がそうさせてるんだよ。 「判断を委ねたい隷属したがり抗う者を罰する)」 「責任をとりたくないだから責任の所在を曖昧にする)」 という日本人の悪い習性それがかつて国を滅ぼしたというのにまだ懲りていない小泉政権の自己責任論のときも思ったけど自己責任とは本来自分で責任をとる権利のことで自業自得の意味じゃなかった)、 この国の人間はいつだって自らを滅ぼすようなものを拍手喝采し大歓迎する一方でAI 生成の曲にグラミー賞を授与しないとレコーディング・アカデミーが決めたそうだがこれはこれで乱暴な話だと思うたしかにたとえば YouTube ではすでに AI で自動生成したフェイク音源が海賊盤の発掘音源を装って出まわっていてなかには実際の発掘音源に自動生成のフェイクを巧妙に紛れ込ませたとおぼしきものもあり何をどこまで信じたらいいのかわからない状況になってきているけれど、 「AI を使う = 人間の仕事じゃないあるいはAI を使った作品 = 芸術じゃないみたいな批判は手で描いてないから写真は芸術じゃないみたいにばかげている有名アーティストを模倣する AI は個人の尊厳を冒涜するものであり労働の搾取でもあるけれど芸術家の意図を達成する道具に AI を用いるのはまったくおかしなことじゃないむしろ AI は本来そのように使われるべきだ批判すべきは人間が AI を使うのではなく AI が人間を使うもっといえば国家や企業が AI を使って人間を支配することそういう意味で音声を鮮明に分離するというサー・ポールの使い方は圧倒的に正しい故人であるジョンもかれと曲をつくるためにデモを録音して託したわけだし何もどこもまちがっていない

 ソーシャルメディアでは仲間内の符牒として消費するに適したコンテンツが通貨のように流通する人間が描かれていればそれは各個人の内省という極めてローカルで汎用性に欠くものになりなじみ感とは相容れず消費にも適さず符牒として機能しないそのため表示機会が抑制され価値が貶められるそれと逆のことをやるのが社会的に賢い行動でそうした賢い作品は全体を翼賛するものであって個を排除するのでおれはあらかじめ排除されており読む資格がないものとして扱われる端的にいえば符牒を前提として共有しない人間は読者扱いされないということでそれはきわめてソーシャルメディア的でありアルゴリズムによる権力の勾配が現代では小説そのものを規定してしまったしたがっておれは小説というものからすでに完全に疎外され排除されたということだからおれはだれにも見いだされない権威はおれを無視するこれだけのものを書いてきてこれだけのことをやってきて逆にどうやったらそうなれるんだよまぁでもぶつかりおじさんが主人公の漫画が共感を呼ぶ国だからな搾取や暴力に加担するもの人権や自由意思や民主主義を否定するもの想像力や人間性を否定するものすでにあるものつまらないもの家父長制を強化するものそうしたものでなければ評価されないそんな社会で評価されてもなというのはある一方で他人はいとも簡単に評価されるよな五年くらい前までは小説を書くために生きていたいまはもうなんだかわからない何をしても意味を感じないむだにしか思えない巨匠の本自分できますやらせてくださいって頭下げた時点では年休消化がはじまったばかりだったんだけど三ヶ月くらいあったその時期が原稿を預かった時点ではもうとっくに終わっていて一切の余力がなくなったしおれのやってきたことへの世間の扱いが糞以下だったことに疲れ果てて出版どころではなくなっていたやりたい気持はあるけど体力がついてこない。 『ぼっちの帝国に瑕疵がないとはいわない最低限の常識を知らない落伍者の視点で書かれているから社会に適応して生活している人間には共感も理解もできないだれもが当たり前に呼吸している常識を知らず調べて書いているのでそこが稚拙になっている社会からの逸脱について調べ知的な理想を語るのであればそれは前向きな未来を感じさせるものとして読者に好印象を与えるおれの本はそれと真逆だそれはたしかに技術的に下手くそな部分でプロの条件を満たしていない本物の優れた才能なら最初からすべてを満たしているのだろうしそういう意味でたしかに瑕疵はあるただそれは本来は編集者や校閲者がどうにかすべき部分で本質的な作品の瑕疵ではないはずだ社会や出版社によって見いだされなかったことによって低品質になったとも見なせるすくなくとも他人が書いた原稿ならおれはそう評価するまた世に出ている商品の大半は編集・校閲の手を借りてさえ何も満たしていないしそれどころか技術的に稚拙なもののほうがなじみ感によって受け入れられる事実を鑑みれば常識を知らないがゆえの稚拙さは評価されない理由とはならない理屈ではそうだとしても読者にとって当たり前のことが稚拙に書かれていたらそれは相手にされなくてもしかたがないのかもしれないそれだからおれの本はアイダホ州ポテトタウンのスティーヴン・キングなのかもしれないつまり単純化していえば落伍者だからおれは落伍者の扱いをされているわけだ何もおかしくない

人を信じよしかしその百倍も自分を信じよと手塚治虫はいったというそれができたからかれは成功したおれはどちらも信じられないからこうなった評価は作品の力ではなく社会的な能力うまく立ちまわる能力が価値を信じさせるおれだってひとや自分を信じたいでもひとに信じられないのに自分を信じるのは自己愛的な社会病質だ本来ひとに憎まれ蔑まれるべき父は自分を信じる力が強すぎてひとにも自分を信じさせた邪悪とはそういうことだそうはなりたくない自分を信じないかぎりひとに信じられないひとに信じられないかぎり自分を信じる資格はないどうにもならない社会病質に憎まれ蔑まれて育った人間はひとに信じられないひとを信じれば暴力になるし自分を信じれば邪悪になるそのどちらも避けるにはひとりの世界にひきこもるしかない書くのは病気だし楽犬舎はそのために特化しているからいい残すのはむかしはきらいじゃなかったけど残ることによって書いた実感を得るようなところが前はあってそれは見知ったものから発想が抜け出ていなかっただけのような気がする痒いから掻くとか眩しいから目をつむるとか書くのはそういうことでしかない読まれる能力が致命的にないので悩んでいたけれど読まれるための言葉しか見たことがなかったからそうしなきゃいけないと思い込んでいただけで実際にはそもそも読まれるために書いていたのではなかったただの病気でしかない最近は小説も読めなくなってきたおれが書いてきたものがだめならなんだってだめだという気がするでも他人の書いたものはおれのよりだめでもいいことになっているおれがおれでさえなければいいのだと思うしそれはそうなのだと思う生きてるだけで肯定される他人との落差がいけないんだよななるべく視界に入れないようにしてるんだけどたとえばV.を読んでいてもこのひとは 20 代で評価されたんだよなあとか考えてしまうまあピンチョンとおれとでは当然の差でそれだけなら何も感じないはずなんだけどおれでさえなければだれだっておれよりだめでもあっさり評価されることを思い出してしまってそれでピンチョンまでも楽しめなくなるたぶんピンチョンだって社会的な立ち回りが下手だったらあるいは現代の日本で書きはじめていたらおれと同じ扱いを受けてたと思うよ蔑まれたくないから努力するそれでも結局は蔑まれる筋トレして走るのだって醜さを謗られるのがいやだからやっているどんだけ努力しても結局は醜いんだけど普通はそんな努力しなくても醜くないわけでさ書いて出版することにはもう未練も関心もないんだよでも読書は楽しみたいなのに楽しめなくなっている

 おれと一日違いの誕生日に妹と会った十年ぶりの妹はすぐには見分けられなかった四三歳なのに中学生みたいだったあの家にいたらまともな大人に成長はできない父のように肥ってはいなかった心臓病の手術をしてから食事に気をつけているという若いバンドのファンクラブに加入したそうだ手作りのグッズをたくさん身につけていたせめて楽しみがあってよかった妹は父が ASD であることはうっすら理解しているようだが反社会性人格障害であることまでは知らないようだしまんなかの兄おれの弟もそうであることはわかっていないまして母が統合失調症であることはまるで知らなかった説明して聞かせたが理解した様子はなかったたぶんあの家に適応するために自分自身に対して見えないふり気づかないふりをせざるを得ないのだろう正月に帰省した弟がくだらないきっかけで狂人特有の暴言を吐いた父に腹を立て殴る蹴るの暴行をした話を妹から聞かされた四十を過ぎた社会病質が八十近い社会病質と殴り合いそしてそれを統合失調症の母がただ眺めている気違い一家うんざりだおれも妹も四十すぎて一度も結婚していない弟もそうだったことを知って安堵した世間に迷惑をかけてはいてもせめて女性や子どもを不幸にしなかっただけでもよかったまだ捕まっていないのはよい報せなのかそうでないのか微妙な気分だがそれは父にしても同じことだ家を出てしばらくしてコンタクトを入れるようになったおれは二重になった妹は一重のまま家に残ったバージョンの自分を見せられているようだもっともおれは人生のあらゆる可能性を潰されてきたけれど妹は標的にされていなかったから両親が精神異常者であることに気づかないでいられる程度には)、 家政学科に通わせてもらえて手芸店に勤めてそれで自分に合った仕事に就けた人生になんの障害もなければおれはデザイン関係の勉強をしてそういう職種に就きたかった何気ない会話を思い返してみれば妹はいまだに家に Wifi がないとかちょいちょいおかしいことをいっていた狂人の家庭はそんなものだった忘れていた数年以内に介護の問題が生じるはずでいま家を出るならそのためのお金は出すけれど家のことには何が起きてもかかわらないよと釘を刺したわかっているといわれた妹は本数の少なくなったバスの時間と門限を気にしながら帰って行った土日祝日は家にいたくないからなるべく外を出歩くようにしているという四三歳なのに四半世紀前から人生が何も変わっていないずっとそういう生活をしている妹はあの家に帰って行くのだいまごろは父に怯えながら母と食事の支度でもしているのだろうそしてあしたに備えてねむるのだ狂人たちの家で妹と会ったあとはいつも寂しく哀しくやりきれない気持になるなんで自分たちだけがこんな目にあわなければならないのかたとえば犯罪者に小さな子どもを殺された家庭に育ったきょうだいがこんな気持なのではないかそれでもささやかな楽しみを見つけて生きようとしている妹が不憫だ逃げ出す前のおれは自分の人生になんの権利もなかった選んだり決めたりする権利は狂人たちのものだったおかげでこんな人生になったでも四半世紀たってようやく最近では遺伝や生育環境が原因でこうなったにせよその結果としての不幸に自分で責任を持てるようになった押しつけられた責任ではなく選びとった責任だその責任こそが権利だと思うそういう意味で精神異常の犯罪者が責任能力を理由として罪を免れるのはまちがっていると信じる責任を負うのは人間にとってもっとも大切な権利だと思う父や弟のような犯罪者はその責任を負わねばならないおれが作家になれなかったのはこんな人生を生きてきたからだ生きてきた世界知っている世界に汎用性がないだれとも重ならないだれにも共感されないだれもこんな目にはあっていないからだからおれの言葉はだれにも相手にされなかったでもおれが作家になろうとしたのもこんな経験をしてきたからでおなじようなだれかを救いたかったからだなんてひどいことだおれがおれであるがゆえにおれはだれともつながれないなんで世界中でおれと妹だけがこんな目にあわなければならないんだろう前に妹に会ったあとは声をあげて泣いた今回はそうしなかった近所迷惑だしなんにもならないからそれにおれはもう四十八歳なのだ


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。