国民総背番号制の何が悪いの、 便利だからいいじゃんといっていた連中、 がばがばのゆるゆるで常時失禁状態だったのが明らかな今日この頃、 いかがお過ごしだろうか、 それでも大政翼賛で国体万歳なんだろうか。 寡占的テック企業どもや、 ある種の政治家たちがめざしているのはまさにそのばかさ加減を利用することなんだけど、 世の中全体が大喜びで大挙してばかに邁進するこの現状、 日本人はまたしても滅びたがってでもいるのか、 自分だけは特別だとでもかんちがいしているのだろうか。 企業や政治家はばかを操って支配していつまでも生き血を啜れる、 食い物にする側にいつづけられると思い込んでるようだけれど、 ごく一握りの人間だけがいい思いをする世界なんて、 そんなにいつまでも持続するんだろうか。 教えて賢い健常者様方。 生き血を提供する側はたぶん、 企業や政治家が望むより早く絶滅する。 生き血を啜られるだけでは生活していけないから。 啜られるためのボタンをタップする金すら稼げなくなる。 そうなればおまえらの餌もなくなるんだよ、 ばーか。 自分の尊厳を踏みにじる権力を、 諸手を挙げて大歓迎する常軌を逸した態度を眺めていると、 日本人はつくづく自由意志や人権や民主主義を憎んでいるのだなと実感する。 思考を権力に委ねることを切望し、 それを妨げるものを烈しく憎悪し排除する、 そんな 「賢い」 国民性ってどこから来たんだろう。 何かを知りたいとき、 かつては図書館で本を調べた。 ちょっと前は Google で検索した。 最近はソーシャルメディアで。 そしてこれからは AI で。 かつて図書館は政治家の都合のいい本だけを収蔵するように強いられた。 いまは民間企業に委託され、 ポイントカードで利用者が管理される。 企業や政治家に都合の悪い本は廃棄される。 Google は利用者の視界をかれらの利益になるように操り、 それを全世界だと思わせる。 そして吸い上げた個人情報を金に換える。 買いたがる政治家もいるだろうし事実、 売り買いされている。 ソーシャルメディアはそれをさらに洗練させた。 若者たちは自殺し、 民主主義の議会は暴徒に襲撃された。 そしていよいよ真打ち AI の登場だ。 ひとびとは作話にとじこめられ、 外の世界に触れる機会は得られない。 図書館どころか検索もソーシャルメディアも必要ない。 だれかに都合のいい嘘をあたかも本当であるかのように吹き込まれ、 それを全世界と信じる。 すばらしい新世界のはじまりだ。
アイドルに課金する小遣いのために闇バイトに応募して逮捕され親が七百万の負債を負った女子大生の話を読んだ。 アイドルにせよホストにせよ動画配信の何かにせよ、 若者から搾取する悪徳商売が気に入らない。 「推し」 とか 「推し活」 なんて言葉を考えたやつは地獄に落ちてほしい。 努力が大事といいながらその努力の具体的な方法を教えずに成果だけ求めたら、 そりゃ若者たちは一攫千金の自己啓発みたいなのをポジティブな努力と捉えるようになるだろうよ。 それがテック企業や政治家の信奉する新自由主義経済ってやつなのかもしれないけどさ。 ソーシャルメディアはあっさり成功したやつだけを、 まるで全世界のだれもがそうであるかのように優先表示するから、 若者たちにはそれが全世界に見える。 闇バイトやらインスタ映えを意識した雑な強盗やらの流行はそういうこと。 あれ、 ソーシャルメディアの安易で輝かしい成功のイメージにとらわれたポジティブな努力なんだよ。 ソーシャルメディアのアルゴリズムはそのようにして自由意志を糞以下に貶めた。 適応できなければ糞以下の扱いを受ける、 AI の時代ではさらに。 世間の 「普通の人」 は努力しなくても当たり前になんでもやれる。 生まれながらにアルゴリズムに聖別されている。 一方、 生まれながらに疎外されたおれは職場でもウェブでも、 浮世のどこでも蔑まれるだけ。 筋トレして走っても貧弱薄らデブ。 何を書いてもどんなサイトを構築しても。 なんにしてもそう。 努力してもむだ。 募集要項も掲載ページも削除したあとでお遊戯会に応募してきた方、 もう受けつけてないですって教えてやっても無視。 なんなの礼儀以下じゃん。 おれのサイト一瞬たりとも見ていないでしょ。 『本の網』 や連載や日記どころか募集要項さえも見てないってことじゃん、 だってもう存在しないんだから。 それでなんで応募してくるんだよ⋯⋯そいつの Twitter を見に行ったら同人仲間の悪口をいっていて、 しかも口汚いのでひいた。 こえーな 「創作」 で交流する健常者様の世界。 でプロフィールに 「すばる」 かなんかにエッセイが掲載されましたって誇らしげに書いてあんの。 集英社、 日本語も読めないやつの文章載せるのかよ。 そりゃ出版も読書文化も滅びるわけだ。 そしてそんなやつに下働きとして利用されるだけの扱いだったわけだ、 先月のおれは。 あれはとにかく最低だった。 百円ショップにずっといると感覚が麻痺して帰宅してすぐにゴミ箱へ直行するようなものを買ってしまうのに似て、 明らかに見込みのないものに期待してしまい、 ちょっとメールでやりとりして愕然とさせられたこともあった。 あのままつづけていたら下手が伝染った。 というか、 すでに影響を受けたからそうしたものに価値を見いだそうとした。 そうするのが正しいかのように思わされた、 おれにとって有害な要求に耳を貸してしまったんだ。 おれとは真逆の 「普通の人」 たちが世間でちやほやされるために顎で使われ下働きをさせられた、 それを進んで受け入れたかと思うとわれながら正気だったとは思えない。 そんなことのために大切なサイトを明け渡すところだった。 もう二度と他人なんか信用するもんか。
AI に意図通りの動作をさせるためにプロンプトを試行錯誤するうちに人間との意思疎通もおなじだと理解した、 との増田を読んだ。 おれはコールセンター SV なんで、 まさにそれを実践したり教えたりすることで給料をもらっている。 相手のアルゴリズムにあわせて自分を最適化する作業。 仕事だからやるけれど苦痛でならない。 プロトコルの差違を吸収しようと相互に努めるのはむしろ当然で、 それによって社会が成立している。 ところが本来はその努力や技量や資質は相互に求められるはずなのに、 弱い立場の一方ばかりが、 奴隷たることを強いられるかのごとく過剰に求められ、 その負荷につりあう対価はいっさい与えられず、 どれだけ心身をすり減らして尽くそうが、 なぜもっとうまくやらないのかと責め詰られ貶められ、 悪意を向けられる。 サービス業の歪な対人関係においてがまずもってそうで、 お遊戯会における一部の輩もまさしくそれだったわけだけれど、 国家や企業といった権力が個人に対してそうなっちゃいけないし、 ましてや国家や企業が利益を得るアルゴリズムが個人に対してそうあってはならない。 サム・アルトマンは米国主導だとか法規制だとかいってるそうだけど、 要するに利益と権力を独占したいだけじゃないか。 医療倫理を議論したところで、 どっかの独裁国家が人間にクマムシの遺伝子を組み込んで無敵の兵士をつくろうとするのを止められない。 AI 開発の暴走だっておなじようなもの。 ところが日本じゃだれもが拍手喝采だ。 勇ましいあなたの夢はあなたの頭上に爆弾が降ってきてあなたが木っ端微塵になってあなたが死ぬんですよ。 違法に取得された情報で AI を訓練するのが日本では合法、 つまりこの国ではどんなに働いても AI に持って行かれるだけ。 当然これまで積み重ねてきた労働もだ。 肖像権なんかはとっくに崩壊した。 「おっさんの画像」 を生成させたら実在のおっさん、 しかもそこそこ有名人が架空の人物として表示されたという話がある。 ソーシャルメディアにアップロードされた無数の肖像が勝手に利用されるわけだ。 奇妙な笑い話だと思っていられるのはいまのうち、 と思いたいところだけれど、 「普通」 の日本人は生き血を啜られ全身が権力に食い物にされてもまだ残った口で笑いつづける。 兵隊さんは死んでもラッパを離しませんでした。 ご立派なことだ。
何かを待って時間を潰しているかのような気持ちでずっと生きてきた。 待っても何もないのはわかっている。 境界知能なので学のある知的な頭のいいひとたちに憧れとコンプレックスがある。 社会的能力に障害があり蔑まれているので、 他人とあるいは世の中でうまくやれるひとに憧れとコンプレックスがある。 柳楽先生や mimei 先生に対しては、 単純にかれらの文章が好きで読みたかったからってのが八割。 かれらの客層を取り込みたい、 利用したいという下種な下心が二割だった。 結果としてかれらが読まれただけで、 文章にせよ編集にせよデザインにせよおれの仕事へ評価が波及することは一切なかったけれど、 おれがいいと思って書いてもらった文章、 おれが無理強いしなければ書かれることのなかった文章が、 多くのひとに評価され、 十万 PV やらプロデビューやらメディアでの紹介やらにつながったことには、 幾ばくかの満足をおぼえた。 でもおれがちっともいいと思わない、 それどころか逆に、 世間では評価されるけれどおれ個人はすごくいやなもののために下働きをさせられ、 「デザインが変だから直して」 みたいに顎で使われたのはおもしろくなかった。 なんかもうどうでもいい、 読まれて評価されるのは所詮、 徹頭徹尾、 他人でしかない。 おれが見込んで頼んだ才能ならまだしも、 募集要項さえ一瞥もしない赤の他人が大挙して押し寄せてきて、 十数年かけて積み重ねてきたものを食い散らかし、 我が物顔にふるまって、 おれは顎で使われる。 この変なデザイン、 あたくしのすばらしい作品の邪魔だから直しといて。 へえご主人様、 たいへん失礼いたしやしたぁ、 あっしは教養のない薄らばかの陽気なアンクルトムでござい。 ⋯⋯いや、 もしかしたらおれはとんでもない思い違いをしていたのかもしれない。 人間を人間であるかのように思っていた。 これまでにかかわった連中をよく思い返してみれば、 人間は心のない AI だった。 異星の金属生物だった。 あるいは怒った蜂。 手塚の 『火の鳥』 に、 交通事故で頭を打った青年が、 人間が無機物に見えるようになるという描写がある。 ごうごうと風の通り抜けるような音を発する土塊。 もしくは茨のような金属の塔。 人間はあれだ。 あたかも血の通った心があるかにふるまうが、 実際はあのようなものだ。 あるいは、 窓に幾度となく体当たりしている蜂。 気の毒に思って窓をあけてやろうとすると、 攻撃とみなされて刺される。 人間はあれだ。 ある時期まで、 読書はそうじゃなかった。 本に描かれる人間には心があった。 生きて呼吸していた。 血が通っていた。 風の音を発する土塊だったり茨のような金属だったり怒った蜂だったりする現実と違って、 本の中にだけはそうじゃない人間がいた。 それが本まで現実と同じになった。 おれはそれを、 読書や出版が変質したと思った。 アルゴリズムに調教された心のない AI みたいな連中が本をつくり、 読むようになったのだと。 でもそうじゃなかった。 本をつくり、 読むひとびとは最初からそうだった。 むかしもいまも。 本が現実と同じになっただけだ。
要するにおれは異星の金属生物でも AI でもないからソーシャルメディア的な感性が理解できないんだよな。 だから現実世界に見切りをつけて自己完結しなければならない。 自己肯定感の条件に他人をかかわらせてはいけない。 それは ASD 的な対人操作欲求につながる。 おれがもっとも憎むものだ。 そして他人はコントロールできない、 できるのはそしてしなければならないのは自分だ。 自分さえよければいい。 他人を排除し、 自分だけがいいと思える視界を構築する。 そのために、 サイトをひらけば自分だけがいいと思えるものばかりが表示されるようにする。 一時の気の迷いとはいえ他人のいうことに耳を貸して、 世間でうまくやっている連中に隷属したのは、 大失敗だったし、 いい教訓になった。 おれにとってあれがいちばん不快な、 有害なことであって、 おれがおれをいいと思うためには、 あれと真逆の方向に突き進めばいい。 おひとりさまサーバとは別に、 大勢のおれがいるおれだけのソーシャルメディアみたいなものをつくりたい。 楽犬舎はあれでいいんだ、 生身のおれが思考を垂れ流す。 それとはまた別に、 複数のおれが同時にてんで勝手にしゃべっているようなタイムラインを見たい。 AI バージョンのおれをつくれないものか。 他人はおれを蔑んだりばかにしたり貶めたり嘲笑したり憎んだり攻撃したり無価値なゴミとして無視したりするだけ。 それはそれで他人の自由だから別にいいんだけど、 おれは自分をいいと思うために、 そういう他人を視界にいれたくない。 基本的には自分の声のこだまだけを聞いていたいけれど、 そうでないときもある。 だから大勢の別のおれを背景音として聞き流したい。 そいつらとかかわりたいわけじゃない、 ときには会話や議論をすることもあるかもしれないけれど。 でも基本的にはそいつらが勝手にしゃべっているだけ、 おれはおれで自分のしゃべりたいことをしゃべる。 そんなふうにしたい。 AI をおれのたわごとで訓練して別の複数のおれをつくるのは、 おれにやれるかどうかはさておき、 たぶん技術的にはそれほど難しくないと思う。 学習データにおれより賢いやつの言葉を混入させて訓練すれば少し賢いバージョンのおれが、 気分のいいときのおれのデータだけを学習させれば陽気なおれができる。 しかし考えてみればそれより本物の作家のデータを学習させて青脂を採取するのがいいかもしれない。 うん、 そっちのほうがいいな。 人格 OverDrive のタイムラインにおれと開高健と獅子文六とディケンズとチャンドラーと太宰の言葉が流れるわけだ。 で、 ときどきクソリプしたり喧嘩したりする。
連載の UI を 「本の網」 と完全に同一にした。 書名を文節で折り返せるようにもした。 まったくの自己満足でしかないが、 こんなサイトをつくったのは世界でおれひとり。 これだけのことをやったのに世界でだれひとり気づかない。 だれからも未来永劫、 一度たりとも評価されない。 貶められるだけだ。 評価されるのは社会的能力。 ソーシャルメディアなり実社会なりでうまくやる才覚。 作品とはなんの関係もない。 というかむしろ逆で、 作品に価値があると交流ツールとして消費しづらく、 評価されない。 小説は好みの問題でしかないかもしれないけれど、 なんの教育も受けていない人間がこれだけのサイトを自力で、 まったくの独学で構築したのは評価されていいと思うんだけどな。 まぁ他人はおれを貶めるだけの存在なのだからおれはおれで自己満足する方法を見つけなければいけないんだよな。 いいと思った他人の本を出すことにはかなり関心が薄れつつある。 そんなことをしてもどうでもいい赤の他人に都合のいい下僕くらいに思われるだけだ。 すでに依頼した著者にはこれからもサイトに書いてほしいし、 巨匠の本はこれからも出しつづけたい。 でもそれは結局それらの書き手が読まれるだけでおれには一切一ミリも関係ない。 ATP の無償提供と似たようなもので、 人気著者のファンのためのボランティアでしかない。 もっと何か楽しいことを考えよう、 自分のために。 物事のよい側面に目を向けたい。 人間にはうんざりだ。 自分がいいと思うことを寄せ集めたサイトにする。 音楽とか身につけるものとか。 三十年前のヴィレッジヴァンガードみたいなサイトにしたい。 服や靴や真空管アンプやスピーカや照明や椅子や机や、 そういう生活用品についても書きたい。 好きなレコードも表示したいけれどレコ評はちょっとちがうな、 音楽について何も知らない。 語るほどの何も持ち合わせない。 ただ表示するだけ、 並べるだけでいい。 直販ページもつくって T シャツやマグカップを売りたい。 買うのはもちろんおれだ。 ほかのだれも要らない。 レコード一覧は Amazon の商品コードを入力すればすべての情報を表示できるようにすれば楽なのだけれど、 それだと商品点数が増えるにつれて重くてまともに表示できなくなるし、 アフィリエイト売上の少なさによる上限にすぐに達して API が取得できなくなる。 画像とタイトルとアーティスト名と短いコメントと商品コードの入力欄を備えたカスタム投稿タイプを用意して機械的にそこに突っ込んでいけばいいか、 表示するのは一覧ページのみで⋯⋯。 何か突っ込んだことをやりたいとき、 日本語で検索するとアフィブロガー向けの中途半端な記事しか見当たらずに苛々させられることが多い。 ウェブの日本語組版でおれとおなじことをやるやつがいないからだ。 ということはつまり、 世界でおれしかやっていない。 世界でおれしかやっていないことをやるために参考になるのは英語の記事だったりする。 日本人は権利と責任を権力者に委ねることに異常なまでにこだわり、 妨げる者を全力で排除し 「淘汰」 する。 自分のことを何ひとつ自分で決めたくないからだ。 だから日本人は日本語をウェブで表示することに無関心で、 それでおれはおれだけの努力をせねばならなくなる。 おれは英語がひとこともわからないが、 html や css や php はどこの言語圏だろうが共通なので見ればだいたい見当はつく。 おかげでこのサイトをつくれた。 世界を記述するプログラミング言語があればいいのに。 そしたらおれはそれで小説を書く。