D.I.Y.出版日誌

連載第357回: 可能性と保護

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2023.
02.05Sun

可能性と保護

Twitter を見に行ったら総理大臣だの秘書官だの憲法学者の先生だののご意見が話題になっていたたくさんのひとが怒っているでも四年前にぼっちの帝国に書いたときはだれにも相手にされなかったんだよなひと月くらい前にもどうせだれも見てないだろと思って楽犬舎読んでくれよって書いたらフォロワーの多そうな他人にいきなり性的な言葉で全否定された怖かったおれが生きてきて膚身に感じてきたことといかにも似たように思えたとしてもかれらの考えは実際には学のあるひとたち向けの浮世離れした高尚な何かなんだ生まれ育ちも暮らし向きもぜんぜん違って高学歴高収入で他人に愛されていてそういう社会階層でないと参加できない抽象的な議論を交わすひとたちだから生身の人間が否応なしに感じて生きてきた思いを書いたところで性的な言葉で威嚇されたり上から目線でばかにされたりするだけかんちがいしちゃいけない身分が違うんだよ

  GoToSocial 開発者のプロフィールを読んだ力強くて誇り高い言葉の自由がそこにはあるそれに較べておれらの国はなんてしょぼいんだろうアフガニスタンの軍事政権と大差ない恋愛も婚姻も家族形成もだれだって好きにやればいいと思うしわざわざ国家権力まで用いて妨げる意味がわからないというか一億総カルトだった侵略戦争時代には家庭は国家権力の最末端の下部組織だったわけだからそれが覆るようなことを国民にされるのは権力者らには気に食わないんだろうと実はおれもわかっているそんな支離滅裂で意味不明な国からはそりゃみんな逃げ出すだろうさでも現実に出て行けるのは最低限外国語ができるめちゃくちゃに有能なひとたちでだいたいにおいてそんなひとたちはおれみたいに社会病質の両親に虐待されて育ったりはしていない立派な家庭で愛されて育った学のあるひとたち生産性の高い優れたひとたち生殖市場でも価値のあるひとたちおれにできないことを当たり前にやれるすべてのひとたちおれだって能力さえあればこんな国は棄てたいよもう日本はおれみたいな無能しか残らない糞溜になったのかもしれないな

 個人的にはどんなジェンダーであれ恋愛や性交や結婚や生殖をするひとたちが怖い仕事のできるひとたちとおなじ脅威をおぼえるその結果として生じた家族団らんでさえも異星の金属生物のやることのような気色の悪い脅威にしか感じられないおれはだれにも愛されたことがない愛される能力も愛する能力もない能力がないということは価値がないということで価値がないということはこの社会にいる資格がないということだ万が一おれがだれかを愛したらそれは浅ましくおぞましい暴力になる価値があるひとたちがうらやましい価値を堂々とプロフィールで訴える力のあるひとたちがうらやましいそして怖ろしい

 半年くらい前男性の上司に勤務時間の大半を付きまとわれて恫喝されたり尻を触られたりしたんで女性の上司に相談したらおれの性的指向をいきなり訊かれたまずもってそれ関係なくね? って思ったんだけど訊き方もひどくて男が好きなの女が好きなのっていうんだよめっちゃ語弊あるじゃんよはい女が好きですって答えたら大事故だろがよ従業員の九割は女性の職場なんだからさ⋯⋯いったいどんな答えを期待されてたんだろ正直に答えるなら人間がきらいですなんだけど搾取されたり疎まれたり脅かすのを畏れたり加齢による排尿の不自由に対処したりする以外におれがジェンダーを意識する機会はそうない逆にいえばつねに意識させられてそのことを憎んでいる)。 ヴォネガットの小説に出てくる宇宙生物みたいに性別なんてものがなければいいのにワタシココニイルアナタソコニイテウレシイ

 おなじ女性どうしであえて性別という概念で人間を分けるなら地上の総人口とおなじだけ種類があると思うけれどそれはおいとくだれかを排除するひとたちにはハリー・ポッターの著者みたいなわかりやすい差別主義者もいるし実際そうしたひとたちが大半だと思うけれどもなかには説明する言葉がないかあってもそのことについて考えたくないか考えてはいるのだけれど稚拙すぎるために雑になって結果としてわかりやすい差別主義者と大差なくなったひともいると思う結果としてやっていることは差別でありまちがっているけれどもその感情そのものまで否定されるべきではないこれものすごくわかりにくい話なんだけれどその事情にたいしては想像力をはたらかせる必要があるんじゃないかなでもそれをすると J・K ・ローリング関係ないけどあの大人気作品とこの著者をついどうしてもハーラン・ポッターとリンダ・ローリングと書きそうになるみたいな連中に加担したことになるかといってその事情を看過すればそれはそれでおれの父親みたいな連中に力を与えたことになるだからぼっちの帝国ではありもしない答えではなくただそういう現実があるってことを放り出すように書いた

わかりにくい可視化されない)」 ひとたちが畏れているのは実際には具体的な何かに分類される実在のだれかではなくて生きてきたなかでじわじわと蓄積されてきた記憶の一方的な投影でしかないまったく関係ない他人に投影すること自体がたしかに差別ではあるのだけれどそのひとたちが畏れているのは目の前にいるだれかではなく過去の亡霊の積み重ねのようなもの長い時間をかけて心の底に溜まった暗い澱のようなものだそれは一度の大きなできごとかもしれないしいちいち思いだせない些細なできごとの積み重ねかもしれないほんとうに批難し排除すべきなのは実際には過去の加害者ひとりひとりなのにそれを表現する言葉も具体的にやれる行動もおまえだと指させる相手もないために無関係のだれかがとばっちりに遭うだれにもそのことをどうにもできない

  Mastodon で流れてきた話題で思ったのだけれどおれの父親みたいなやつの被害経験があるひととそうでないひとのあいだには絶望的なまでに深い谷があるみたいだたぶんいやなやつを懲らしめてやった系の物語で溜飲をさげる読者が想起するのは過去にかかわったおれの父親みたいな連中で、 「些細な瑕疵にたいする排斥と捉えるひとたちは幸運にもまともな人間としかかかわったことがないか社会的に有利な立場にいるために標的にされたことがないかのどちらかだと思うおれの父親みたいなやつが社会にまぎれこんでいる割合はあんがい高くすれ違ったこともないなんてことはあり得ないおそらく後者なんだろうなこれ説明したところで伝わらないやられたことがないとわからないんだよ本来あの手の物語が攻撃すべき対象は特定の人物ではなくてそうしたいやなやつがいい目をみて標的にされた側が泣き寝入りをする社会構造そのものなんだけど支持する読者に問題があるとしたらそこかもね社会構造を批難しても勝ち目がないんで攻撃しても差し支えない相手を捏造してそいつを批難する結局やってることは加害者とおなじっていうあっそれって虞美人草じゃね? いやどうでもいいか⋯⋯

 おれの父親のような人物が社会的な力関係を巧みに見抜いて獲物にたいして何をどれだけやれるかはやられた経験がなければ想像もできない何をどう規制したところでかれらはそれをやるし、 「わかりにくい可視化され得ない)」 ひとびとが畏れているのは実際にはそうしたことだそして本物の加害者らはそのわかりにくさ不可視性)」 を利用する言葉を持たない善意のおれらが互いに揉めているうちにかれらばかりが得をするんだそもそも J・K ・ローリングやロバート・ガルブレイスって筆名からして明らかな女性名だと読まれないから変えろという出版業界のあるいは男社会の要求に従った結果なんだよなその圧力を受け入れることで彼女は成功した子どもを抱えた独身女性として苦労した逸話は有名だし差別意識で知られる彼女もまたおかしな世の中のいわば被害者だと思うほんとうに憎むべき相手を見極められない筆力は読者として残念に感じるもう彼女の本を読むことはないだろうなかといっておれの本だって読まれないのだけれど


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。