アルザス通りに植えられたシャンパングラスのような形のツバキの前でフォード・ランチェロを停止させたジェリーはヌーディスーツについた赤い点を見つめながら大きなため息をつく。助手席に座るルーシーが膝を叩き
「クヨクヨしてもしょうがねぇ」と言って、自動車から降りた。エンジンを切ったジェリーが
「まったく、どこのどいつがソースを飛ばしたんだろうな」とつぶやいた。
 ルーシーはシャッターが半分開いたガレージに向かってフラフラと近付き、シャッターに頭をぶつけて口汚く罵った。自動車から降りたジェリーがため息交じりに「うるさいクソ女だ」と言うと、振り返ったルーシーは中指を突き立て「うるせぇ、ホモ野郎」と言った。ジェリーはシャッターをくぐり、ガレージの天井に取り付けられている赤外線センサーを見た。センサーは赤黒く点滅しており、心臓の鼓動のように見えた。ブザーを押したジェリーが顔を近づけた。
「ラングーンに言われて、書類を届けに来たんだ。開けてくれ」と言うと、電子錠が開錠される音が響いた。ブロンドの髪を掻き上げたルーシーが「すげぇ、中にいるのはロボットか?」
 ジェリーはポケットに手を突っ込み「さぁな」と言ってドアノブを捻った。中に入ると、ドアが自動でロックされた。お世辞にも住みやすいとは呼べない曲がった廊下を進み、生活感が漂うオフィスに到着すると、ジェリーは小さくため息をついた。ジェリーは部屋を見渡す。事務机に置かれた最新式のコンピュータ、横積みされたファイルと書類、腕と首がない石膏トルソ像、天井から垂れ下がったフィルム、窓辺に置かれた海水水槽。ジェリーはポケットから折り畳んだ書類を一枚とり出し、ヘルメスがプリントされた派手なシャツを着ているトラウトマンに渡した。トラウトマンの瞳は宝石のように澄んでいるが、黒い小さな瞳孔はジェリーに警戒心を抱かせた。トラウトマンは薄桃色の上着がかけられた椅子に腰掛けたまま「遅かったな」と言い、書類に目をやった。冷徹な瞳孔が左右に動く。口角を吊り上げたトラウトマンが「これだけか?」と尋ね、ジェリーはヌーディスーツのシミを指で擦った。目を細めたトラウトマンが
「クリーニングに出せ」と言って紙幣をヒラつかせ、ルーシーが金を掴んだ。ジェリーが喉を鳴らした。
「おれのだ」
「いいや、こいつはおれのだ。お前ぇのそのクソみてぇに趣味の悪いジャケットにシミを作ったのはおれなんだから、おれのものだよ」
 肩を上下させたトラウトマンが「どっちでもいい。名前は?」と尋ね、ジェリーは
「こっちのクソ女がルーシー。ルーシー・ダイヤモンドスカイ。おれはジェリー。ジェリー・コバッチュ」と答えた。ルーシーが告げ口する子供のような顔で
「このジェリーはクソ趣味の悪い野郎で、ついでにホモなんだぜ」と言い、興味津々な顔で窓辺に置かれた海水水槽を指で突いた。トラウトマンはルーシーの下着の線が見えないレザーパンツ、尻を見つめながら「いい尻だ」と言った。舌打ちしたルーシーが振り向き
「ジロジロ見るんじゃねぇよ、スケベ野郎」
 ジェリーはオールバックスタイルを撫で、ため息をついた。
「こういう奴なんだ。まぁ、大目にみてやってくれ」
 手をヒラつかせたトラウトマンが「いいだろう。コバッチュ、座れ」と言い、ジェリーはソファに腰を下ろした。
「ジェリーでいい」
 指を組んだトラウトマンが言う。
「コバッチュ、お前のビジネスはなんだ?」
「何って、この通りの雑用だよ。多少、荒事もやるが、そっちはルーシーの担当だ」
 眉を動かしたトラウトマンが言う。
「おれは今、お前のビジネスがなにかと聞いた。お前が答えたのは仕事だ。質問に答えろ」
「違いなんてない」
「言い方を変えよう。お前の売り物はなんだ?」
 膝を擦ったジェリーが「おれ」と答えると、ルーシーは海水水槽に沈んでいるヒトデを眺めながら「ホモ野郎らしい言い草だな」と言った。ジェリーが舌打ちした。トラウトマンは口角を吊り上げたものの、鏡のように美しい瞳は微動だにしなかった。
「おれも同じだ。お前と性的嗜好が同じという意味じゃないが。いいだろう、お前たちを雇ってやる」
「仕事をもらいに来たわけじゃない」
 トラウトマンは机の隅に置かれた小さな画面に目をやった。
「遠慮するな。絶好の機会だ。今、ドアの前にラングーンの子分たちが張り付いている。ビジネスの意味を考えずに、ただ仕事をしているだけの哀れな連中」
 ドアが蹴られる音と、銃身でドアを叩く音、次いでドアノブに銃弾が撃ち込まれる音が響いた。慌てて立ち上がったジェリーが「なんだ?」と言い、舌打ちしたルーシーがレザージャケットのファスナーを下げてグロックをとり出した。ルーシーの白い鋭角的な乳房を見たトラウトマンが笑みを浮かべた。ルーシーは銃口をトラウトマンに向けたものの、トラウトマンは視線を逸らすことをしなかった。指を組んだトラウトマンが言う。
「コバッチュ、ダイヤモンドスカイ、ビジネスと仕事の違いはなんだ?」
 長い髪を掻き上げたルーシーが「こいつをここでぶっ殺す」と言い、ジェリーがうなずいた。落ち着き払った態度のトラウトマンが言う。
「仕事は与えられるもの。ビジネスは生み出すものだ」
「そうかい、スケベ野郎。つづきはあの世でやれよ」
「息巻くのは構わないが、ラングーンは誰を生かして誰を殺せと指示できるほど冷静じゃない。お前たちに仕事をやる。おれがここを出るまで時間を稼げ。報酬は金庫の中にある」
「どうせ、空だ」とジェリー。トラウトマンが指を振った。
「中を開けろ。鍵は空いている」
 目を細めたジェリーは重たい金庫のドアを引き、一〇〇ドル札の束を掴んでパラパラと確認した。椅子から立ち上がったトラウトマンが薄桃色の上着に袖を通した。
「おれがここから離れるには一〇分ほど掛かる。それまで時間を稼げ。うまくいけば、それは全部お前たちのもの。お前たちは一〇分で一万ドル稼ぐことができる」
ルーシーは銃口を上下に振り「お前ぇをぶっ殺して、こいつをいただく」と言うと、トラウトマンが手をヒラつかせた。
「その後に連中を相手にするのか? それもいいだろう。お前たちは選択することができる。ウラかオモテか。おれにのるかそるか」
 ヌーディスーツのポケットに札束をねじ込んだジェリーがルーシーの肩に触れ「のってやる」と言い、トラウトマンが手を叩いた。トラウトマンは石膏トルソ像の尻を撫でると、窓辺まで歩き進み、袖をまくらずに海水水槽に腕を突っ込んでヒトデをとり出した。硬質なヒトデを薄桃色の上着のポケットにしまったトラウトマンが「大事なものだからな」と言った。ジェリーが喉を鳴らした。トラウトマンが言う。
「コバッチュ、銃は持っているか?」
「あぁ、得意じゃないが」
「折角の機会だ。得意になれ。得意になったら、次の仕事をやる」
ジェリーはオールバックスタイルを撫で、指先が整髪料で輝いた。
「おれとあんたは対等。だから、仕事じゃない。おれがするのはビジネス」
 トラウトマンは口角を吊り上げ「飲み込みが早い。気に入った」と言い、奥にあるドアから出て行った。銃撃に音を上げたドアが蹴破られ、緊張して血走った顔をした男たちの顔が見えた。待ち構えたジェリーとルーシーが引き金を引いた。

 銃声を聞きながら、隣の部屋の床から飛び出す金属の取っ手を引いたトラウトマンはコンクリートに囲まれた薄暗い階段を降りていく。行先は自身の名義になっている隣家。口笛を吹いたトラウトマンが「万物は流転する。あるいは、マイワシのように回遊する」とひとりごちた。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。

連載目次


  1. 星条旗
  2. テキサス人
  3. 保釈保証書不要につき
  4. バロース社製電動タイプ前にて
  5. アスク・ミー・ナウ
  6. ユートピアを求めて
  7. ヴェクサシオン
  8. フィジカル
  9. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
  10. ジェリーとルーシー
  11. プレイヤー・レコード
  12. イースタン・タウンシップから遠く離れて
  13. エル・マニフィカ ~仮面の記憶
  14. バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
  15. 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
  16. 窓の未来
  17. セックス・アフター・シガレット
  18. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
  19. アタリ
  20. 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
  21. 回遊する熱的死
  22. 顔のないリヴ・リンデランド
  23. 有情無情の歌
  24. ローラースケーティング・ワルツ
  25. 永久機関
  26. エル・リオ・エテルノ
  27. バトル・オブ・ニンジャ
  28. 負け犬の木の下で
  29. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
  30. エアメール・スペシャル
  31. チープ・トーク
  32. ローリング・ランドロマット
  33. 明暗法
  34. オニカマス
  35. エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
  36. ニンジャ! 光を掴め
  37. バスを待ちながら
  38. チープ・トーク ~テイクⅡ
  39. ブルックリンは眠らない
  40. しこり
  41. ペーパーナイフの切れ味
  42. 緑の取引
  43. 天使の分け前
  44. あなたがここにいてほしい
  45. 発火点
  46. プリズム大行進
  47. ソムニフェルムの目覚め
  48. テイク・ミー・ホーム
  49. オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
  50. 血の結紮(けっさつ)
  51. 運命の交差点
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