部屋 - Rooms

第2話: 血を洗う/玄関

Avatar photo書いた人: Y.田中 崖, 投稿日時: 2023.01.22

ストーブがぴーぴーと耳障りな音を立てた。灯油が切れたらしい。
「あたし入れるよ」
 妹の千代子がテレビに釘付けのままで言う。画面のなかでは、岩場で女性が自らの罪を告白していた。俺が「まあええわ。炬燵入っとればそんな寒くないし」と言うと、そうねえと気のない返事が返ってくる。
 犯人が逮捕されて後日談が語られ番組が終わる。千代子は欠伸をひとつしてから、肩を抱えて震えた。
「やっぱり寒いわ。入れてくる」
 そして炬燵を出ると、ストーブから灯油缶を引き抜いた。溢れさせんなよ、という忠告を、はいはいと軽くあしらう。
 俺は冷めた茶に口をつけながら、玄関に向かう千代子のうなじを見ていた。
 千代子は実の妹ではない。母の従姉妹の義理の娘だと、先日聞かされたばかりだった。

 千代子が声を上げ、俺は居間を出た。鼻をつく臭い。三和土が灯油まみれだった。だから言ったろ、俺が玄関の扉を開けると、夕暮れ時の冷たい風が吹きこんだ。灯油は扉の外に染み出し、光を反射して虹色に輝いていた。
「流しちまおう」
 バケツで水を汲んできてぶちまける。虹色が押し流され階段を下っていく。切り立った崖のような急階段の先は、波しぶきを上げる海に飲みこまれている。夕日のせいか海は血の色に染まっていた。下っていく水も灯油もだんだん赤みを帯び、俺は自分が何を洗い流したのかわからなくなった。
 しばらく二人で戸口に立って茫然と外を眺めていたが、千代子がくしゃみをしたので扉を閉めた。

 ストーブをつけて炬燵に潜りこむ。蜜柑を取りながら「二人とも遅いな」と呟く。すると千代子は「二人って誰」と怪訝そうな顔をした。
「誰って、父さんと母さん」
 途端に千代子の表情がこわばった。視線を落とし、そうねと小さく答える。
 どうした、と言いかけて俺は目を見張った。彼女の横顔が大人の女性のそれに変貌していた。伏せた睫毛と不安そうな眼差し、伸びた髪から覗く首筋が艶っぽい。やがて目元や口元に皺が刻まれ、頭に白髪がまじり始めた。背が曲がり、瞳が白く濁っていく。
「千代子」
 俺の喉から出た声はひどくしわがれていた。蜜柑の皮を剥きかけた指が、丸めた紙のようにくしゃくしゃだった。
 千代子が顔を上げ、心配そうにこちらを覗きこむ。
「たか兄」
 その顔は元通り十二歳の妹だった。
「指、どうかした?」
「なんでもない」
 変なの、と千代子は少し笑った。部屋が暖まってきても俺の震えは止まなかった。


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