ストランド・ウェイの駐車場に二ドアのシボレー・カプリスを停めたジャッキーはかなり接近して停まった配送車に向かって舌打ちした。ジャッキーはバックミラーでウェーブがかったブロンドの長い髪と白いシャツの襟元を確認すると、ダッシュボードからサングラスをとり出し、先セルを口にくわえたまま髪を掻き上げた。ベージュの鞄を手にして自動車から降りたジャッキーは白いシャツにタイトスカート姿。服装が控えめなのは、これから訪れる闘いのためだ。
サングラスをかけたジャッキーは群庁舎の前で揺らめく星条旗を見つめ、腰に手をやった。それから、建物に出入りする好奇な目をした職員たちを視界に入れずに群庁舎に入る。ジャッキーが入口の中央に取り残されたように作られた案内板を見ていると半袖の制服を着た男が
「何かお困りですか?」と尋ねた。ジャッキーはサングラスを外し
「一四時にミスター・ペンドルトンと会う約束がある」
半袖の男は野球少年のようにつばを曲げた帽子に手を伸ばし
「ご案内しましょう。ミス……」と言い淀んだ。
「ジャッキー」
引きつった笑みを浮かべた半袖の男が「えぇ、ご案内します」と言って歩き出す。廊下にはジャッキーのハイヒールの音と、半袖の男が履くナイキのスニーカーの音が響いている。ジャッキーが窓の外にひろがる、ブロックを積み上げたような近代的なガラス張りのマンションを見ていると、半袖の男が口を開いた。
「ペンドルトンさんは忙しい方なんです。いつも、せわしなく動き回っていて、滅多にここにいることはないんです」
「アポイントはとっている」
「そうでしょうね」
半袖の男は薄茶色の真新しいドアの前で立ち止まり、ドアをノックした。掛け声のように威勢のいい声が聞こえると、ドアを開け、ジャッキーが部屋に入った。デスクの前ではペンドルトンがそれぞれの耳に受話器をあてながら通話していた。ジャッキーを見るなり、ペンドルトンは頬と肩でそれぞれの受話器を挟みながら手をヒラつかせ、うなずいた半袖の男がドアを閉めた。
「えぇ、ですから、それは軍の問題なんです。市は関係ありません。失礼、あなたのほうは……デルマー競馬場? えぇっと……それこそ、市は関係ありません。カウンセリングをおすすめします」
二つの受話器を同時に置いたペンドルトンが大袈裟に両手を挙げ、椅子から立ち上がると整髪料で塗り固めた前髪の房が額に垂れた。
「それで、あなたは? 今度はなんです?」
「ジャック・トレモンド」
ペンドルトンは椅子に腰を下ろし、机を指で尽きながら
「あぁ、トレモンドさん。今、思い出しました」と言った。ジャッキーはベージュの鞄からとり出した書類をペンドルトンの前に置いた。ペンドルトンは丸眼鏡をかけ、書類を舐めるように見る。
「この書類には問題があります」
「問題ない」
「トレモンドさん。この場合の問題とは書類上のことだけではありません」
「七五号線を南に向かって歩くことに何の問題があるのかしらね。もしかして、歩いている人間のことを問題視しているつもり?」
「いいえ。私は構わないと考えます。通りを誰が、どんな格好をして歩こうが一向に構わない。しかし、シルバー・ストランド通りを奇抜な服装をした大勢の人々が歩くことに違和感を覚える人もいるんですよ。ご存じの通り、カリフォルニアは開放的、リベラルな土地柄です。寛容な人が多い。良いことだと思います。保守的で、日曜日の朝に教会に行かない人を不信心で不道徳だと罵る土地なんかよりも、余程、マシだ。しかし、こうも考えていただきたい。つまり、あなたやあなたの友だちが深く理解され、道端の石ころのようにありふれていて、それでいて、世の中になくてはならない存在だと考えられるようになるには調和が必要であるということを」
喉ぼとけを上下させたジャッキーが「あたしたちは石ころじゃない」と言い、ペンドルトンは掌で側頭部を撫でた。
「失礼。よく喋る石ころだ」
「他に、このコースが許可できない理由を教えて」
「シルバー・ストランド・ステート・ビーチの先には海軍基地があります」
「基地に入るわけじゃない」
「基地は秘密主義です。場所は知られているし、看板も立っている。それでも、写真撮影は禁じられている。パレードをする人々や、見物客が基地を撮影しないとは言い切れない」
「写真撮影が禁止だってことは誰だって知っている。でも、実際はどうかしら? 軍隊が大好きな人間が写真を撮ったからといって、違反をしたと罰金を支払ったことは聞いたことがない」
「そうですね。まったく、その通り。不思議なことだ」
「なら、このコースに問題はない」
ペンドルトンは指を広げた手を左右に振った。幼児をあやすような仕草だった。鼻をピクつかせたペンドルトンが「ですが、このコースではサインできません」
「不当よ」
「私は今後、起こるかも知れないトラブルを未然に防ぎ、市民が快適な生活を送れるよう尽力しています。私のことを、お役所的すぎると考えているのでしょう? 顔に書いてあります。透けて見えそうだ。雑談をしましょう。その前に、どうぞ、椅子に腰かけてください。煙草は吸いますか? 私は吸いませんが、どうぞ気になさらず」
ジャッキーは壁に寄り掛かっている折りたたみ式のパイプ椅子を自身で開き、腰を下ろした。それから、ベージュの鞄から煙草の箱をとり出し、足を組んで火を点けた。ペンドルトンが引き出しから陶器製の灰皿を机に置き「どうぞ」と言ったものの、煙を吐き出したジャッキーは
「結構よ。携帯灰皿を持っている」と答えた。指を組んだペンドルトンが言う。
「私の背中には腫瘤(しゅりゅう)があります。生まれた時には既にあったもので、両親は心配したそうですが、病気と診断されるようなものではありませんでした。医者に言わせると、単にアブラが詰まっているだけ。ラクダみたいにね。私がコブを目にすることはほとんどない。シャワーを浴びる時に鏡に映っているでしょうが、わざわざ見ようとは思いません。触れることもほとんどない。痛みはおろか、違和感すらありません。生まれた時からあったもので、痛みを伴わないのであれば、その程度でしょう。しかし、学校で着替えをする度に嫌な思いをしました。私の運動神経はこの通りだ。胴が長くて、手足が短い。競走とか、ボウル遊びも苦手でした。ただでさえ苦手なのに、同じクラスの子供から〈コブのアレックス〉と言われるんです。彼らが今、どうしているかは知りません。彼らの半分は私よりも成功しているかも知れません。成功……素晴らしい。もちろん、彼らの残り半分が市の掃除夫や皿洗いの仕事をしていたとしても、因果応報とか、罰が当たったなんていうようには考えません。どの道、彼らは〈コブのアレックス〉を忘れているでしょうから。トレモンドさん。私は、あなたたちを市の人々からコブのように考えられるようになってもらいたい。害はない。痛みはおろか、違和感も。街に溶け込んでいて、自由に生活している。キチンと納税している」
ジャッキーは携帯用灰皿の中に半分ほど吸った煙草を入れた。ジャッキーが頭を振ると、ウェーブがかったブロンドの髪がふんわりと揺れた。
「いいわ。コースを変更してあげる。あなたのコブにかけて」
連載目次
- 星条旗
- テキサス人
- 保釈保証書不要につき
- バロース社製電動タイプ前にて
- アスク・ミー・ナウ
- ユートピアを求めて
- ヴェクサシオン
- フィジカル
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
- ジェリーとルーシー
- プレイヤー・レコード
- イースタン・タウンシップから遠く離れて
- エル・マニフィカ ~仮面の記憶
- バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
- 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
- 窓の未来
- セックス・アフター・シガレット
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
- アタリ
- 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
- 回遊する熱的死
- 顔のないリヴ・リンデランド
- 有情無情の歌
- ローラースケーティング・ワルツ
- 永久機関
- エル・リオ・エテルノ
- バトル・オブ・ニンジャ
- 負け犬の木の下で
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
- エアメール・スペシャル
- チープ・トーク
- ローリング・ランドロマット
- 明暗法
- オニカマス
- エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
- ニンジャ! 光を掴め
- バスを待ちながら
- チープ・トーク ~テイクⅡ
- ブルックリンは眠らない
- しこり
- ペーパーナイフの切れ味
- 緑の取引
- 天使の分け前
- あなたがここにいてほしい
- 発火点
- プリズム大行進
- ソムニフェルムの目覚め
- テイク・ミー・ホーム
- オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
- 血の結紮(けっさつ)
- 運命の交差点