バラクーダ・スカイ
第28話: 負け犬の木の下で
食品トレイ、齧られて芯だけになったリンゴ、舌平目の骨、うっかりこぼした牛乳を拭いた新聞紙、生理用ナプキン、粉石鹸をいれていた小さな紙袋、緑に塗られたクマのぬいぐるみ、〈ニューヨーク〉と刺繍された土産物のタペストリー、バツが目立つテストの答案用紙、日付が半年前の競馬新聞、親指の位置に穴が空いた灰色の靴下、バスタブの排水口から取り除かれた髪の毛の塊、黒いビニール袋に包まれ放逐された生活の残滓たち。人体に有害な腐敗臭を発する打ち捨てられた記憶の前で酸っぱくなった赤ワインを飲むジム・フライがしゃっくりをした。地面に腰を下ろし、赤ら顔をしたフライは人生に対する不平不満を並べる。言葉は排水管や非常階段、ペルシア絨毯のように複雑な色合いになるまで踏まれたダンボールの隙間を通り抜け、裏通りに華を添える。フライが薄汚れたゴルフウェアの襟を撫でると襟が黒ずんだ。腐臭を放つよどんだ水溜まりにフライの顔が映る。粘り気のある水面に波紋が走ると、フライは顔を上げた。カエルのような顔をした小男が両側の口角を吊り上げ
「よぅ、ジム」と言い、フライは鼻先を手で拭った。
「サミー、何の用だ?」
サミーは薄ら笑いを浮かべ「有名人は冷てぇな」
「好きで有名になったわけじゃない」
「今、お前ぇのファンがいっぱいいるって知っているかい?」
フライはワインを一口飲み、瓶を左右に振った。液体が動いた。
「好かれるようなことはしちゃいない」
「おれが知る限り、今が一番、お前ぇの名前を聞くよ」
「おれは馬鹿をやったかも知れないが、そもそもはラングーンの言いつけに従っただけだ」
「クラブに火を点けたのはマズかった」
手をヒラつかせたフライがワインを飲み干す。
「あれは……まぁ、いい。お前に言っても無駄だろうしな」
「無駄なもんか。お前ぇの首にはいい値段がつけられているんだ。ジェリーがしくじったと聞いて、どうしたもんかと思っていたけど、運ってやつは、ふとした時に転がり込んできやがる。だろ?」
サミーは脇に吊っている、おもちゃのような二二口径の拳銃をとり出して銃口をフライの顔に向けた。
「こんなことになってはいるが、おれぁ、お前ぇをダチだと思っていたし、まぁまぁ評価していたんだぜ?」
「らしいな。サミー、本当に……心の底から思う」
サミーが首を傾げ、引き金に指を置く。フライは空になった瓶を放り投げ、瓶は二次係数のグラフのような形を描きながらサミーの頭部に吸い込まれた。鈍い衝撃音の直後、サミーが仰向けに倒れた。ゆっくりと立ち上がったフライはサミーが握っていた二二口径の拳銃をポケットにしまい
「おれは人殺しじゃない」と言って、その場から去った。
連載目次
- 星条旗
- テキサス人
- 保釈保証書不要につき
- バロース社製電動タイプ前にて
- アスク・ミー・ナウ
- ユートピアを求めて
- ヴェクサシオン
- フィジカル
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
- ジェリーとルーシー
- プレイヤー・レコード
- イースタン・タウンシップから遠く離れて
- エル・マニフィカ ~仮面の記憶
- バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
- 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
- 窓の未来
- セックス・アフター・シガレット
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
- アタリ
- 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
- 回遊する熱的死
- 顔のないリヴ・リンデランド
- 有情無情の歌
- ローラースケーティング・ワルツ
- 永久機関
- エル・リオ・エテルノ
- バトル・オブ・ニンジャ
- 負け犬の木の下で
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
- エアメール・スペシャル
- チープ・トーク
- ローリング・ランドロマット
- 明暗法
- オニカマス
- エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
- ニンジャ! 光を掴め
- バスを待ちながら
- チープ・トーク ~テイクⅡ
- ブルックリンは眠らない
- しこり
- ペーパーナイフの切れ味
- 緑の取引
- 天使の分け前
- あなたがここにいてほしい
- 発火点
- プリズム大行進
- ソムニフェルムの目覚め
- テイク・ミー・ホーム
- オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
- 血の結紮(けっさつ)
- 運命の交差点