ジェイクはインペリアル・ビーチの桟橋に横づけされたヤマハ発動機製のフィッシング・ボートに乗り込んだ。船首に置かれたビーチチェアに足を投げ出して座るランカスターはパイロット・サングラスをかけており、首から垂れ下がるドッグタグを弄っている。舵をとるのは、休業中のバー、〈ピークォド〉の店主であるジョシュア・ザイトリン。ザイトリンはランニングシャツ姿につばの広い麦わら帽子をかぶっている。波によってボートは上下に揺られ、ザイトリンが片足を鯨骨にしたエイハブ船長のようによろめいた。鼻先に貼り付いた絆創膏を撫でたジェイクが
「モビーディックを釣り上げようぜ。棺桶の浮き輪は?」と言ってマリファナに火を点け、常にパイプを手放すことのない二等航海士のスタッブのように手を叩いた。煙を吐き出したジェイクが言う。
「ブリードも誘ったほうが良かったかい? 延々とドラムソロを叩くんだ。ジミー・ペイジのリフが活きる『モビーディック』……どうだい?」
ランカスターはドッグタグに打たれた数字を撫でながら
「何を言っているんだ?」と言うと、舵に手を置いたザイトリンが
「バンドの話だ」と言ってボートを発進させた。ボートはアントニオ・カルロス・ジョビンの楽曲のように揺れた。
沖合に出ると、ジェイクは釣り糸の先にエメラルドグリーンに輝くイカを模した疑似餌を結び付けて海面に放った。釣り竿を上下に振ったランカスターが遠くに疑似餌を投げ落とし、リールから伸びる糸が海底を探る音が響く。ジェイクは風上に向かってマリファナの煙を吐き出し、煙がジェイクの顔を覆った。
「ジョシュア、店はいいのかい?」
胸毛を撫でたザイトリンが「穴は塞がらないってことはよくわかった」と答えた。ランカスターが
「あいつらを捕まえて逆さに吊るせ。考えたんだが、あいつらの狙いは、ジェイク、お前が連れて来たバーフライとかいう奴なんだろう?」
ジェイクは手をヒラつかせ「おれのせいだって言いたいのかい?」
「おれは被害を受けていない」
「おれの店は穴だらけだ」とザイトリン。ランカスターは腹の上に置いた拳銃を指差し
「こいつのおかげだ」と言った。ジェイクは豆粒のように小さくなった桟橋を見て
「ここでぶっ放さないでくれよ」と言い、麦わら帽子を軽く叩いた。
ボートの上には太陽光が降り注いでいる。カモメたちによる永遠回帰の鳴き声、遠くでヨット遊びをする若者たちの声。青に染まった海面と空はお互いの境界を越えて溶け合う。ジェイクとランカスターはしなることのない釣り竿の先を太公望のような顔で海面を見つめている。舵の下では僅かな日陰を求めたザイトリンが麦わら帽子を目深にかぶって大きないびきをかいている。舌打ちしたランカスターが「魚が逃げる」と言い、ジェイクは笑みを浮かべた。
「疲れているのさ」
「お前を責める気はないが、責任の一欠片ぐらいは感じたほうがいい」
「わかっているよ」
パイロット・サングラスの縁を撫でたランカスターは首を鳴らし
「ならいいんだ。ジョシュアもお前に弁償しろと言っているわけじゃないからな」
ジェイクは泳ぐように手をかきながらザイトリンに近付き、ザイトリンがかぶっているつばが広い麦わら帽子を手にとって鼻先に貼りつけた絆創膏をはがした。ランカスターがたしなめるような調子で「悪ふざけも大概にしておけ」と言い、ジェイクはアロハシャツのポケットから皺くちゃの紙片をザイトリンの帽子の裏に貼りつけて元に戻した。海面を見つめるランカスターが言う。
「最近、ステイシーとはどうだ?」
「上手くいっているかって話かい?」
「喧嘩しているんだろ?」
「ブーンは耳がいい。通信兵だったのかい?」
「ステイシーを泣かせるような真似はするな」
「意地悪しようと思って、やっているわけじゃない。ボタンのかけ違いが重なっているんだ」
「シャツも満足に着れないのか?」
球形サングラスの縁を撫でたジェイクが言う。
「パンチを食らった覚えはないぜ。足は食らったけどな。あとは、クラブ・サンド。ところで、前から思っていたんだが、ブーン、パーセプションのダグラス・ハイドパークに似ているって言われたことはあるかい?」
「ハイドパーク? 昔に死んだロック歌手だったか?」
「グルーヴィ。七一年にパリで死んだんだ。一度だけバンドでエド・サリヴァンの番組に出演したんだが、打ち合わせで変えろと言われていた歌詞をそのまま歌って出入り禁止になった。サイケデリック・ロックとブルース・ロックの中間ってところさ」
「モータウン好きのお前が聴くのか?」
「音楽に貴賤はないぜ」
「好みの問題を言ったんだ。あぁ、思い出した。ベトナムにいた頃、部隊にそのバンドのファンだっていう衛生兵がいた。変わった奴で、ハイドパークの写真を胸に忍ばせていた。そいつは胸に弾が当たって死んだんだが」
「分厚い聖書を挟んでおけば、死ななかったかもな」
釣り竿を見つめるランカスターがラッキー・ストライクに火を点け、後頭部に両手をまわした。釣り竿の先は微動だにせず、ボートは波の動きに揺られて漂うだけ。髪を掻き上げたランカスターが煙を吐き出し、白い煙は霊魂のように霧消した。ランカスターが言う。
「ベトナムから帰ってきてから間もない頃、死んだ戦友たちの家族を訪ねまわったことがある。自分が生きているってことを実感したくてな。何軒か家を回った。どこに行っても食事を出してくれたし、酒も飲ませてくれた。歓迎してくれた。彼らはおれの話を、涙を流しながら聞いてくれた。自分が認められたみたいで気分が良かった。話が終わると、彼らが妙な顔をしていることに気が付いた。多分、こう言いたかったんだ。どうしてお前が死ななかったんだ? 彼らはそんなことを口に出しはしなかったが、目を見ればわかる。そのうち、おれは戦友たちの家族を訪ねるのをやめた」
球形サングラスの縁を撫でたジェイクは空に点々と漂うオニカマスの横帯のような雲を見た。
「ベトナムで一緒だった奴がいて、バラクーダに乗るのが夢だと言っていたよ」
「そいつは戦死したのか?」
「いいや、生きているよ。まぁ、金は回っていないだろうがね」
ジェイクは青々とした空を指差し、釣り竿の先端が上下に揺れ、リールが回転した。ジェイクはウィンドミル奏法をするピート・タウンゼントのように腕を回し「バラクーダさ」と言った。煙を吐き出したランカスターが「海に沈んだ鉄屑なんか釣り上げたくない」と言った。
連載目次
- 星条旗
- テキサス人
- 保釈保証書不要につき
- バロース社製電動タイプ前にて
- アスク・ミー・ナウ
- ユートピアを求めて
- ヴェクサシオン
- フィジカル
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
- ジェリーとルーシー
- プレイヤー・レコード
- イースタン・タウンシップから遠く離れて
- エル・マニフィカ ~仮面の記憶
- バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
- 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
- 窓の未来
- セックス・アフター・シガレット
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
- アタリ
- 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
- 回遊する熱的死
- 顔のないリヴ・リンデランド
- 有情無情の歌
- ローラースケーティング・ワルツ
- 永久機関
- エル・リオ・エテルノ
- バトル・オブ・ニンジャ
- 負け犬の木の下で
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
- エアメール・スペシャル
- チープ・トーク
- ローリング・ランドロマット
- 明暗法
- オニカマス
- エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
- ニンジャ! 光を掴め
- バスを待ちながら
- チープ・トーク ~テイクⅡ
- ブルックリンは眠らない
- しこり
- ペーパーナイフの切れ味
- 緑の取引
- 天使の分け前
- あなたがここにいてほしい
- 発火点
- プリズム大行進
- ソムニフェルムの目覚め
- テイク・ミー・ホーム
- オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
- 血の結紮(けっさつ)
- 運命の交差点