D.I.Y.出版日誌

連載第353回: 好きに垂れ流してたら長文になった

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2023.
01.07Sat

好きに垂れ流してたら長文になった

いやもうまじで Fediverseひとが増えてる印象があるよ数年前ポルトガルのヒューゴさんに前のサーバを建ててもらったときには静かなもんだったぜそのサーバは版元のコミュニティにするつもりだっただれも参加しないんで結局はおひとりさま専用になっちゃったけどサイト自体に BuddyPress でコミュニティ機能をもたせたこともあるやっぱり利用されなかったし分けたほうがいいと感じたからもうやらない今回は自分で建てたんで作家や読者にセキュリティを保証する自信がなくて需要があろうとなかろうと最初からおひとりさま専用でやっているそんなやつが増えてきたのがおもしろくないのか社会的に成功したコピーライターがうまくいかなかったひとたちをばかにしていたうまくいかなくて結構だ。 「贅沢は敵だ欲しがりません勝つまでははじつにうまくいった宣伝文だよねどうか勝手にうまくいってください頼むから巻き込まないで権力ってものは都合のいいものの表示機会を増やして被言及性を高めあたかも価値であるかに見せかけて従うよう強要するそんなのに媚びておこぼれにあずかり何者かになったところで嬉しくない人権と民主主義はうまくいかないことをめざし教育はうまくいったの偽善を明らかにするそして出版や小説のめざすところはうまくいったの偽善を暴き、 「うまくいかない価値を伝えることだまぁ全力で媚びたところでおれはうまくいかないんだけどね

 どんなサイトも見せたいものを見せてるんだってこと自分でやってないとわからないものなのかもしれないねだから見せられたものを全世界と思いこみ誘導された先を権威として信じちゃうロシア人にとってのテレビもおなじ搾取を前提として成り立つ社会はいいことのように見せかけることでその構造が再生産され強化される搾取する側もされる側も学習してそういうものだと信じ込む日本の大規模サーバと連合するとペド画像が流れてくるからブロックされるのに日本人はみんななんで?ってきょとんとしている搾取を当たり前とする価値観が公に表示されることにだれも疑問をもたない他人の足は踏まれて当然というか踏まれるのが常識だと思っているし踏まずに立つ発想がそもそもない踏まずに立つ方法を知らないので足をよけられたら立つ権利を奪われたかのように感じるだから人権のことを指摘されると血相を変えて暴れだす玩具を取り上げられた子どもみたいにねもちろん娯楽もそうした構造に組み込まれているそれに抗うにはもっとましな娯楽を公に表示させることなのだけれど⋯⋯そのために既存の権力に媚びるか新たな場をつくりだすか

 とはいえ出版Publishおれは書いたものを公開するくらいの意味でこの言葉を使っているツールとして Fediverse を使うのにわざわざ営利プラットフォームを理由にしなくてもいいよな生煮えの思考を自由に垂れ流せる好みで調整して自分で管理できるそういう道具をおれは求めていてそれだけが動機だ前のサーバでは削除して編集して再投稿はできたけどじかに編集することはできなかったそれができるようになったのは嬉しいでもいったん配送された先では直す前の文章で読まれるからあまり意味がないそのあたりはメールや RSS みたいで不自由に感じるというかよそに配信されるって考えがそもそも気に食わない見た目や使い勝手をコントロールしたいんだおれが見ているのとおなじによそでも表示させたいであれば自前のサイトでやるべきだろうおひとりさま BuddyPress は何度か試した大勢で使う前提のしくみだからか使い勝手がしっくりこなかったMastodon は最初からおひとりさま専用にできるのがいいそれをいえば microblog.pub あたりがいいのかもねGoToSocial ってのにも興味がある知識と技術があればよそと通信する機能のない、 「生煮え思考の垂れ流しに特化した道具をつくるそれができないんで既存の何かを調整して使うんだけどちょっと突っ込んだことやろうとすると壁にぶち当たるたとえば文字制限は緩められたけどファビコンは変えられなかったなんか権限がないっていわれちゃうんだよなおなじ理由で約味フォントでの字詰めもできなかったたぶん基本的な知識があればなんてことのない作業なんだろうけど

 交流なんてもの抜きにみんなが好き勝手に長文でひとりごとを書くのがいいんだよ⋯⋯評価とか価値なんてものに関係なくこっそり読ませてもらうのがさひとさまの人生を垣間見せてもらって経験や感じたことをお裾分けしてもらうそういうのを静かに楽しみたいだけなんだTwitter もかつてはそのように使えた変わったのは震災後スマートフォンの普及と同時だったそれまではパソコンとガラケーでやっていたたとえば漫画なんかだと描かれた携帯で 2011 年より前の作品だってわかるくらい明確にあのときを境に変わったそうしてアルゴリズムが人間を値付けするようになったプラットフォームを儲からせる人間に価値があることになった掌中の端末でインターネットにつながることでひとびとが権力に支配されるそんな未来をピンチョンが書いていたねとりあえず Fediverse はいまんとこまだそんな風にはなっていない既存のプラットフォームで価値が高いと見なされている有名人がただの一般人になってひとりひとりの価値が認められるようになればいいんだけどでもたぶんそうはならないだろうな

 サーバごとに演じる人格を変えるって投稿をいくつか見かけたおひとりさまだったら維持費すごくかかるよね⋯⋯なんでそんなことするんだろそれだけ他人に合わせるのを重視するひとなんだろな。 「空気で自分がだれであるかが決まるそういう社会でありひとなんだろう他人の建てたサーバを好むひとも多いみたいだしやっぱり日本人は所属するのが好きなんだろな他人がそいつの都合で見せたいものを見せたいように見せる場所で人柄を最適化するために演じ分けたり拡散したりされたりしようとするのは別に Fediverse でまでやらなくても⋯⋯と感じる権力への媚に見えちゃうんだよねまぁ他人の勝手なんだけどさかといって自由なソフトウェアにもまた別のリスクがある若き日のおれは企業に××××握られて小説が書けるか!と勢い込んだものだけれど当時の Linux は日本語環境があまりにお粗末で悪戦苦闘したあげく Mac で書くようになった要は自由は金で買うしかないんだよな売ってるとは限らないし就労機会も環境に左右されるだから結局は持ってるやつがさらにいい思いをし持ってないやつは権力に媚びるしかないそして媚びたところでいい目を見るのはもともと持っているやつだけだかれらは生まれながらに権力の都合に最適化されている他人の足を踏みつける側にねFediverse も結局は声のでかいひとの世界なんかなだとしたら鎖国でいいや

 ダニエル・クレイグとヒュー・グラントが同棲している映画をみるために Netflix に加入したらウェンズデーを最後まで観ようなるメールが届いたうっせえなつまらなかったんだよほっといてくれよと思ったおれは観たいときに観たいものを観たいんだよ⋯⋯あの手の権利商売はどれもいまは見せて聴かせてやってもいいありがたく思えみたいな尊大な態度でいらないものを押しつけてくる正直わずらわしい使いはじめたころの Spotify はそれなりに関連付けが機能していた聴いたものと一応それなりに関わりがあったしフォローしたアーティストの新作はちゃんと表示されていた三年くらい前からかれらの見せたいものしか表示してくれなくなったTwitter や Facebook もだいたいおなじころ使い勝手に大きな変化があったような記憶があるSpotify は iPhone アプリ版にはかろうじてフォローしたアーティストの新譜が表示されるのでなるべく利用されないように目立たない位置にしぶしぶ表示している印象)、 新譜はそっちで把握するようにした新たなものとの出逢いは YouTube で得ている

  Spotify への不満はほかにもあって書誌情報じゃなくてなんていうんだろ音源の情報がでたらめなところ分類や整理もめちゃくちゃたとえばチャーリー・パーカーの怪しげなコンピレーション盤みたいなのがあたかも代表作であるかのように表示されたりそのなかに収録された曲がチュニジアの夜のはずなのに明らかに現代のまったく関係ない音源だったりするつい先日リリースされた音源が 1904 年リリースとかになっていたり同一アーティストのページが表記のぶれで複数あったり有名なアーティストのページに同名の無名アーティストが混入していたり離れ小島みたいにアーティストに紐付けられていない音源があったりととにかく雑。 「権利でどう稼ぐかの観点しかないからこんな UI になるんだと思う中央集権ではないオープンソースの民主的なしくみで運営者と権利者がちゃんと儲かる何かがあればいいのに一定の決まったやりかたで権利者それぞれが音源を管理していてそこに再生クライアントが音源を借りに行きデータは別の書誌情報データベースに取りに行く⋯⋯みたいな最終的には再生ツールで音楽を聴くという体験に統合されて利用者に意識されることはないんだけどそこに至るまでの各工程は分散されたそれぞれの場所から供給されるようなしらんけど

  YouTube はそれなりに嗜好を理解してくれておおむね好きなものが表示される好みでないものが表示された原因は見当がつくし履歴を削除すればだいたい直るここ数年はかれらの収益になるくそみたいな YouTuber 動画を見せたがっているのを強く感じるけれどそれだって調教の手間を惜しまなければとりあえず耐えられる程度にはなるただそれは嗜好と表示がじかに結びついている YouTube みたいな製品の話でおなじ企業がやっていても Google 広告はくそ以下でしかないどれだけ手間暇かけて調教してもだめどうも嗜好を学習した先に問題があるようだ偏見に基づくステロタイプできわめて雑に分類し関連づけているとしか思えない結果としてまったく好みではない広告を日々見せつけられるその点では Facebook は比較的ましだった元データは Google から買ってるんだろうから利用者の行動を分析して操るのはかれらのほうが上手うわてなんだろうなさすが戦争を最大の商品とするだけのことはあるとはいえ世界中の見知らぬ他人を知り合いでしょと見せつけてくるとんちき機能がわずらわしいのとUI がどんどん使いにくくなっていくのと何より表示が重すぎてイライラするのでFacebook はあまり見なくなった音楽家のファンページを眺めるのが好きだったんだけど

 いちばん関連付けがひどいのは Amazon利用者の嗜好をばかにしていることやJR 少年を思わせる商売の都合を隠そうともしないほんとうに要らない不快な商品ばかりをあんたはこれが好きなんだ買えよ」 「程度の低いあんたにはこれがお似合いさと押しつけてくるAmazon の調教には膨大な手間暇をかけたどれだけ努力しても無視されるのでもうあきらめた。 「なにがなんでも見せたいものだけを見せるぞ」 「意地でも客のニーズは無視するぞ」 「なぜならおまえら客はばかだしわれわれはばかをだまして儲けたいからな!との強い意志を感じる不快なものばかり見せつけられて好きな本を探すことができない自著がゴミみたいな商品と関連づけられるのも困るまずもって自著がゴミみたいに見えるしゴミを好む客が寄ってきて好みに適合しないので低評価をつけられる前回も書いたけど本の網はそうした関連付けに外部から影響を与えたくてやっている浜辺で砂糖をまいて海水を甘く変えようとするようなもんだけどねだれも信じないと思うけどおれは努力するのが好きなんだそれで得られるのは価値じゃない前にできなかったことができるようになるってことできるようにならなくてもいいそれだけのことをやったと自分に証明すること。 「努力することができる」 「怠け者の自己愛者じゃないと自分に証明することでもそれだけで書きつづけるのはむずかしいねゴミ扱いされるだけの人生では元気がでなくなるできたこともできなくなる今年はとり戻したいなサーバを建てたのもそのためなんだ


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。