窓辺に置かれた海水水槽に光が差し込み、光は横長の事務机の上に置かれた石膏トルソ像の青白い尻もあたって乱反射している。トラウトマンは保険会社から送付された書類、無機質な文字をラピスラズリのように澄んだ目で追いながら口角を吊り上げる。書類の下部、小さな文字で書かれた保険金支払い免責事項の箇所には下線が引かれており、その中には四〇を超える州に設置されている詐欺局の報告書も含まれていた。車椅子に座るオルセンは親指で吊りベルトを弾き
「どう？　ぼくも中々にやるでしょ？」と言った。両手をヒラつかせたトラウトマンが
「この国では年間に五〇〇億ドル以上の金が違法に詐取されている」
「医療保険を足せば、もっと大きい」
　トラウトマンはヘルメスがプリントされたシャツの襟を撫でた。
「由々しき問題だ。よくやった、オルセン。お前はいい腕だ」
「ちょっとだけ頭を使った。ただ、それだけ。でも、これが彼に知られれば、ぼくは恨まれる。一生をベッドの上で過ごすようにするぐらいはするだろうね」
「ビジネスにとって最も注意すべきことは税金だが、詐欺局も中々だ」
「せいぜい、目を点けられないように注意するよ」
「必要ない」
　オルセンが聞き返すと、トラウトマンは横長の事務机の引き出しから封筒を引っ張り出してオルセンに渡し、オルセンによって封が切られる音が響いた。航空チケットを見たオルセンはウェーブがかった栗色の髪を撫で「暑そうだ」と言った。首を傾げたトラウトマンが
「いい場所だ。世界の結び目。本が好きなら、七〇万冊の本が収められた図書館もあった」
「それ、燃えたんでしょ？」
「あらゆる本は燃える。いつの時代も力を持つ奴は本を焼きたくなるらしいからな」
「ヒトラー？」
　喉を鳴らしたトラウトマンが「画家になれない鬱憤晴らしをしただけの小粒な奴だ」と言い、オルセンはため息をついた。トラウトマンが言う。
「繰り返すが、いい場所だ。『幾何学原論』を書いたエウクレイデス。地球の大きさを正確に測ったエラトステネス。体積を計算し、ねじ構造を初めて機械に応用したアルキメデスもいた」
「みんな、墓の中だ」
「余程、具合がいいんだろう。それを証拠に、誰も墓から出て来た奴はいない」
　オルセンが笑い、腰ベルトの金属が音を立てた。
「そして、ぼくはこれから地球の裏側でひっそりと暮らす。科学や歴史を勉強したりして」
「いい人生だ」
「君はどうするんだい？　折角、金持ちになるんだし、ゆっくりしたら？」
　トラウトマンが頭を振り、粘状の整髪料が輝く。
「おれはビジネスが好きだ。愛していると言っていい」
「この国を離れるつもりがない？」
　肩を上下させたトラウトマンがうなずいた。車椅子の車輪に手を置いたオルセンが言う。
「リスク中毒の君に言っても無駄だと思うけれど、一つ忠告しておく。危険な橋は何度も渡るべきじゃない」
「おれは車輪に油を差すことを忘れない。オルセン、もう一つ仕事を頼みたい。簡単な仕事だ」
「報酬の増額を要求するよ」
「構わない。収益の二〇パーセントをお前にやる」
　笑みを浮かべたオルセンが「商談成立。いい取引だ。それじゃあ、トラウトマン。こうして顔を合わせるのは、これで最後になるだろう。楽しかったよ。一週間後にお互いジョン・ドゥになっていないことを祈るばかりだ」と言って手を差し出し、口角を吊り上げたトラウトマンがオルセンの手を握った。