バラクーダ・スカイ

第26話: エル・リオ・エテルノ

Avatar photo書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2023.01.03

書店と呼ぶにはいささか不親切な店にジェイクが訪れたのは一九時を過ぎていた。本棚はなく、平積みされただけのシロアリ塚のようになった本の建造物を避けながら歩き進むと、杉無垢材の机の前に腰掛けるコール・カーマイケルが黒縁眼鏡を外して机の上に置いた。手をヒラつかせたジェイクが言う。
「よぅ、コール。調子はどうだい?」
 カーマイケルが眉間に皺を寄せる。彫りの深い顔に寄った皺は青墨色をしていた。
「一日、半年、百年会わなくても変わりない」
 ジェイクは平積みされているマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の表紙に指で触れた。挿話と人間模様、眠りと覚醒、心理と思索。フランス語にして三〇〇〇ページを超える全七篇、世界で最も長い小説の側面の感触。カーマイケルは黒縁眼鏡の丁番を指で摘まみ、くびれた先セルを上下させた。
「マドレーヌの味は思い出したかな?」
 肩を上下させたジェイクが「半分ぐらい」と答え、カーマイケルは指を組んだ。ジェイクが言う。
「色々と試しているよ。コールこそ、面白いものは見つかったかい?」
「私は満足している。常に、今、読んでいるものが最も面白いと感じる。だが、一度、閉じれば目の前にあったものも消え失せてしまう」
「セラヴィ」
「過ぎ去ったものを愛おしく感じる感性がないことが悔やまれる」
 ジェイクは黒縁眼鏡が置かれた本を指差し「今、コールが一番、楽しいと感じている話を聞かせてくれよ」と言い、カーマイケルが背もたれに寄りかかった。
「著者はアルゼンチン出身の作家、ランプレイ・クエリャル。風刺的な作風が特徴的だ。最も有名なものは、フォークランドでの武力衝突を描いた『ヤーガンはどこへ?』だろうが、今、読んでいるものは『エル・リオ・エテルノ』だ」
「永遠の川」
 カーマイケルが首を縦に振り、口を開く。
「物語はこのようなものだ。アラゴン生まれの改宗ユダヤ人、コンベルソの八番目の子である主人公、メルコール・ディアスは命知らずで、人々が愚かしいと感じるようなことに血道をあげる。それは人跡未踏の地を踏みしめること。ディアスにとって、己の命は他人のものと同じように軽い。一五四〇年において、北米大陸は二〇世紀における月面か、それ以上に魅力的に感じられたことだろう。このディアスは同年にガルシア・ロペス・デ・カルデナスによってコロラド川が発見されたことを知らなかった。鷹揚で場当たり的な欠点はあるものの、ディアスは金や胡椒に心を奪われない。彼の信条は〈文無しは文無しであることに不満を持ち、金持ちは、いつか奪われるかも知れないとやきもきしながら生きなくちゃならなくなる。だから、同じ〉というセリフに集約されているだろう。物語は彼の回想という形式だが、語りは著者の知識不足同様にチグハグで、日付や場所も間違いだらけだ。コンキスタドールの部隊に入ったディアスは北米大陸に上陸するが、上陸後、すぐに脱走してしまう。彼はラス・カサスのようにコンキスタドールたちの虐殺や蛮行を批判しないが、軍人崩れたちの連帯感や、儀礼的で横柄な態度を軽蔑していたことが読み取れる。ディアスが赤茶けた荒野を気ままに歩いていると、一人ぼっちで歩いているディアスを不審に思ったズニ族の青年が立ち塞がる。ディアスは青年のズニ語が理解できず、青年はディアスのアラゴン訛りのカスティーリャ語が理解できない。二人は互いが理解できない言葉で罵り合い、言葉が尽きれば、今度は殴り合いをはじめる。勝敗や優劣を決めるための暴力ではなく、お互いを知るための交流手段として。交流が終わると、ディアスは青年を〈オンブレ〉と呼び、親しげに青年の日焼けした肩を叩く。〈オンブレ〉は族長から聞いた話をするが、ディアスはこのまま真っすぐ行けばいい、と勝手に解釈し、二人で歩き出す。一読すると、ディアスと〈オンブレ〉は『ドン・キホーテ』における郷士とサンチョ・パンザの関係のようだが、お互いの言葉は通じず、意志の疎通は身振り手振りとお互いの恣意的な解釈だけ。こういった場面からは、著者の現代を風刺しようという意図が見える。二人は脱走した奴隷や、負傷して洞窟の中で死を待つだけの軍人に会う。彼らの言葉はアフリカの諸言語とカスティーリャ語だ。彼らは政治的信条やこの世の不平不満を口に出すことはせずに、身近で素朴な、時として卑猥ですらある会話を楽しむ。そして、二人はとうとう巨大な峡谷、グランドキャニオンに到達する……私が読んでいるのはここまでだ」
「グルーヴィ、クライマックスだな」
「ページはまだ半分ほど残っている」
「一波乱ありそうだ」
「君ならば、この物語にどう付け足す?」
 ジェイクは球形サングラスの縁を撫で
「グランドキャニオンから帰るだけっていうのは退屈だ。対比が欲しい」
「たとえば?」
「冒険は昔のものだけじゃない。今だって十分にある。未開の先住民や新種の大型爬虫類、哺乳類が登場する必要もない。今と昔の物語が欲しい。一見して繋がっているように作る必要はない。たとえば、デンバーで証券分析を担当する女。コールみたいな黒縁眼鏡で、口紅はいやに赤い。この女は人生を楽しんでいる。というより、勝利する自分自身に。レストランでの食事、齢が同じぐらいか、うんと上の男とのセックス、女とも寝る」
「ポストモダンに寄り過ぎている。感心しない」
「おいおい、コールから振ってきた話だろ?」
「大量消費のアンチテーゼにはうんざりだし、いささか過剰な露悪趣味が鼻持ちならない。現代を露悪的に描くことで、過去の暴力や差別を肯定することにもつながりかねない」
「読者はそこまで馬鹿じゃないぜ」
「私は賛成しない」
 口をすぼませたジェイクが「手厳しいね」と言うと、カーマイケルは机の引き出しから白磁の皿をとり出して机の上に置いた。カーマイケルが「どうぞ」と言い、ジェイクは手を伸ばして皿の上に載った、薄力粉と全卵、砂糖、バター、ベーキングパウダーを焼いた黄色いマドレーヌを口に放る。喉を鳴らして嚥下したジェイクが手をヒラつかせた。
「薄力粉のエクリチュール。ハッパが入っていれば、もっと良かったけど、贅沢は言わないぜ」
「思いつくものはあったかな?」
「マドレーヌ一つで何か書けるなら、世の中はもっと良くなっているだろうさ」
「残念だ」
 ジェイクは「それじゃあ、このあたりでお暇させてもらうよ」と言い、後ずさりしながらカーマイケルに向かって手を振った。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。

連載目次


  1. 星条旗
  2. テキサス人
  3. 保釈保証書不要につき
  4. バロース社製電動タイプ前にて
  5. アスク・ミー・ナウ
  6. ユートピアを求めて
  7. ヴェクサシオン
  8. フィジカル
  9. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
  10. ジェリーとルーシー
  11. プレイヤー・レコード
  12. イースタン・タウンシップから遠く離れて
  13. エル・マニフィカ ~仮面の記憶
  14. バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
  15. 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
  16. 窓の未来
  17. セックス・アフター・シガレット
  18. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
  19. アタリ
  20. 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
  21. 回遊する熱的死
  22. 顔のないリヴ・リンデランド
  23. 有情無情の歌
  24. ローラースケーティング・ワルツ
  25. 永久機関
  26. エル・リオ・エテルノ
  27. バトル・オブ・ニンジャ
  28. 負け犬の木の下で
  29. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
  30. エアメール・スペシャル
  31. チープ・トーク
  32. ローリング・ランドロマット
  33. 明暗法
  34. オニカマス
  35. エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
  36. ニンジャ! 光を掴め
  37. バスを待ちながら
  38. チープ・トーク ~テイクⅡ
  39. ブルックリンは眠らない
  40. しこり
  41. ペーパーナイフの切れ味
  42. 緑の取引
  43. 天使の分け前
  44. あなたがここにいてほしい
  45. 発火点
  46. プリズム大行進
  47. ソムニフェルムの目覚め
  48. テイク・ミー・ホーム
  49. オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
  50. 血の結紮(けっさつ)
  51. 運命の交差点
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