バラクーダ・スカイ
第25話: 永久機関
デル・ソル大通りに面したインペリアル病院のうめき声が絶えることのない大部屋のベッドの上には、全身を包帯に包まれた〈電極〉アレクセイ・ソコロフが横になっている。ソコロフを見たジム・ゴーティマーは目を白黒させた。ゴーティマーはステージの上と同じように気の利いたことを言おうとするものの、言葉は出てこなかった。緑色の瞳だけを動かしたソコロフが「次の仕事はエジプトだよ」と言い、ゴーティマーが作り笑いを浮かべた。ゴーティマーは包帯に包まれたソコロフの右手を見た。ソコロフの右の人差し指と中指は風変りな芸の影響でくっついている。ソコロフの仕事は大道芸人であり、芸はとびきり変わっている。彼の芸は頭の上に電球を置き、発電機を搭載した自転車のペダルを全力で漕いで発電させた電気を体内に通電させ、電球を輝かせること。口下手で引っ込み思案だが、人並みか、それ以上の自己顕示欲を秘めたソコロフにとって大道芸人は天職のように感じられた。とりとめのない会話を交わした後に沈黙が訪れた。重度の火傷を負っているソコロフが苦悶の声を漏らし、気まずそうな顔のゴーティマーが
「困ったことがあったら言ってくれよ。困った時はお互い様だよ。力になりたいんだ」と言い、ソコロフは緑色の瞳を開いて乾燥した唇を動かした。
「……おれなんだ」
ゴーティマーが「何がだ?」と聞き返すと、ソコロフは唇を震わせた。
「だから……おれなんだ。クラブが燃えたのは……あの日、あの日だけステージの前にマシンの調子を見なかった。今日ぐらい大丈夫だと思った。いつも通りやったつもりなのに……でも、ラングーンに知られたら殺される。だから、ジムの名前を出したんだ。本当は……ジムは火を消そうとしてくれたのに」
手を振ったゴーティマーが「話してくれてありがとう。一人で抱えていちゃあ、苦しかっただろうにな」と言うと、ソコロフが
「絶対に言わないでくれ」と言った。ゴーティマーは
「もちろん」と答え、椅子から立ち上がって病室を出た。白い廊下を速足で歩いたゴーティマーは電話機の前で立ち止まってコインをいれた。そして、ポケットから名刺をとり出し、ダイヤルを回す。
「もしもし? ラングーンさんですか? えぇ、ゴーティマーです。ソコロフに会いました……すっかり吐きましたよ」
─ 落とし前はつけなきゃならん。わかっているだろうな?
「えぇ、もちろん。ところで、フライはどうします?」
─ お前には関係ない。やるべきことをやれ。いいな?
電話が切られると、ゴーティマーは受話器を置いて廊下を歩き出した。病室に戻ったゴーティマーはベッドの上で眠るか、気を失っているソコロフを見るなり乳白色の仕切りカーテンを後ろ手に閉めた。それから、ゴーティマーはソコロフの腕から伸びるチューブを点滴パックから外し、チューブを口にくわえて息を吹き込んだ。ソコロフの緑色の瞳、瞳孔が開き、口から声が漏れ出る。ゴーティマーはソコロフの口をおさえ、さらにチューブに息を吹き込む。ソコロフの脳内に白んだ煙が立ち込め、霞んだ記憶は一つずつ消えていく。包帯に包まれたソコロフの手がダラリと垂れ下がると、ゴーティマーはソコロフの口から手を放してチューブを点滴パックに繋いだ。手をヒラつかせたゴーティマーが
「悪く思うなよ? どの道、結果は変わらなかったんだからな」と言って病室を出て行った。
デューンズ・パークの隣にある事務所の一室、ガラス張りのドアの外からは番号の組み合わせが復唱されている。椅子に腰掛けているラングーンは受話器を置き、汗ばんだあばた面をハンケチで拭った。ソファに腰を下ろしているトラウトマンは手を膝の上に置いている。大きく息を吐いたラングーンが「フライはシロだった」と言うと、トラウトマンは肩を上下に振った。
「それでも、あいつの保釈保証書は高くつく」
ラングーンは杉材の小箱からテッポウムシのような葉巻をとり出し、葉巻のヘッドをカッターでV字に切り落とした。そして、葉巻を口にくわえてマッチで炙った。もうもうとした煙が立ち込め、トラウトマンが顔を顰めた。トラウトマンは頭を振り、髪の毛が海藻のように揺れた。煙を吐き出したラングーンが言う。
「どちらにせよ、フライのために金をドブに捨てる羽目になった。金を取り立てるだけの簡単な仕事を棒に振りやがった」
「ビジネスはいつも予測できない」
「あの野郎のために保釈保証書を書きたいか?」
首を横に振ったトラウトマンが「文無しからの依頼は受けない」と言うと、ラングーンは満足げに笑みを浮かべた。
「それでいい。どの道、田舎者の腕を折って逃亡。恐喝と傷害は消えない。だが、あいつが捕まれば厄介だ」
「ホンキー・ボーイは?」
「そいつらも馬鹿だ」
「仕事ができないからホンキー・ボーイなんだ。雇う価値がない」
葉巻の灰を折ったラングーンはテーブルを指で突き「価値を決めるのは誰だ?」と尋ね、トラウトマンが首を傾げた。ラングーンが口を開く。
「おれは大勢を食わせている。そして、大勢を見張っている。ほとんどは馬鹿で、話の先にあるものもわからずにアリみたいに動き回る。時々、飴玉を置いてやっても大して変わらない」
「アリはハチから進化した。原始的なアリは毒針を持っている」
「なら、アリ以下だ」
「アリは社会的だ。目は悪いが、吐き出した臭いで仲間にメッセージを伝える。エサがある、危険がある。アリの行列はこれが繰り返されたことで出来上がる。最初に出来上がった行列は無駄が多いが、これは随時、更新、変更される。いずれは最短距離を歩くようになる。つまり、アリは認知して行動している」
「踏み潰されるだけの虫ケラだ」
「そう、弱々しい虫ケラ。スプレーを一吹きすれば死ぬ程度の。それでも、人間の数よりもアリのほうが多い」
「学者にでもなるんだな」
「そういう生き方もいい。尊敬する。だが、おれの性に合わない」
「女好きの学者なんて聞いたことがないからな」
「アリから学ぶことは多い。投資すれば、もっと大きなものを手に入れることができるだろう」
「小さな穴に金を突っ込むのか? 馬鹿を言え」
ソファから立ち上がったトラウトマンが「人間の目線でアリは虫ケラだが、月から人間を見れば、これも虫ケラ」と言って、部屋から出て行った。
連載目次
- 星条旗
- テキサス人
- 保釈保証書不要につき
- バロース社製電動タイプ前にて
- アスク・ミー・ナウ
- ユートピアを求めて
- ヴェクサシオン
- フィジカル
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
- ジェリーとルーシー
- プレイヤー・レコード
- イースタン・タウンシップから遠く離れて
- エル・マニフィカ ~仮面の記憶
- バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
- 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
- 窓の未来
- セックス・アフター・シガレット
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
- アタリ
- 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
- 回遊する熱的死
- 顔のないリヴ・リンデランド
- 有情無情の歌
- ローラースケーティング・ワルツ
- 永久機関
- エル・リオ・エテルノ
- バトル・オブ・ニンジャ
- 負け犬の木の下で
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
- エアメール・スペシャル
- チープ・トーク
- ローリング・ランドロマット
- 明暗法
- オニカマス
- エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
- ニンジャ! 光を掴め
- バスを待ちながら
- チープ・トーク ~テイクⅡ
- ブルックリンは眠らない
- しこり
- ペーパーナイフの切れ味
- 緑の取引
- 天使の分け前
- あなたがここにいてほしい
- 発火点
- プリズム大行進
- ソムニフェルムの目覚め
- テイク・ミー・ホーム
- オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
- 血の結紮(けっさつ)
- 運命の交差点