バラクーダ・スカイ

連載第24回: ローラースケーティング・ワルツ

エモリー通りにあるジャンゴ・ベイシーが経営する歯科医院の前、道路に腰を下ろしたステイシーはローラースケートを履いた。ショートパンツにランニングウェア姿のステイシーは恰好こそ生粋の西海岸っ子に見えるものの、真っ白い肌の下に流れる粘土の血は彼女を疎外し不機嫌にさせる。ステイシーは気分転換と言い聞かせて立ち上がった。安全で簡単に楽しむことのできる遊具、車輪がついたローラースケートは南北戦争中の一八六三年に発売が開始された。アメリカ合衆国軍とアメリカ連合国軍が総力を結集させた激戦、ゲティスバーグの戦いにおいて、最後に起死回生を夢見た南軍兵士たちが突撃作戦を試み、そして一五〇名を残して砲撃で吹き飛んだように運命の車輪は一九八五年のカリフォルニア州サンディエゴ、晴天のエモリー通り、ステイシー・ベケットの足下で過去と現在、未来の人々と同じように回転する。
 電動椅子に腰掛け、蜂の巣状に穴が空いた天井を見つめながらジョージ・ポトマックが口を開ける。ポトマックが所望した笑気ガスはベイシー医師によって一笑に付された。恐怖と絶望の中、ポトマックの歯肉に注射針が刺され、局所麻酔が注入される。恐慌状態の兵士のような顔をしたポトマックは目だけを動かし、窓の外、エモリー通りで回転するポリウレタンの車輪を見る。
 ステイシーが「どうやったらいいの?」と尋ねると、ぴっちりとしたウェアに身を包んだジョアンナ・エマーソンが坊主に刈った後頭部を掻きながら
「そのまま歩けばいい」と答えた。ステイシーが赤ん坊のように歩き出すと、足下の車輪が回転し、大開脚したステイシーが尻もちをついた。ジョアンナは褐色の首を撫で
「身体が柔らかいのね」と言い、ステイシーは手をヒラつかせた。
「体操をやっていて、今ほど助かったと思ったことはないかも」
「体操? そんな風には見えないけど。アートかぶれの家出娘って感じ」
「やめてよ、ジョー」
 笑みを浮かべたジョアンナが「だとすると、坊主頭の私は聖職者?」
「かもね」
 ジョアンナがステイシーに手を差し出し、手を握ったステイシーが立ち上がった。よろめいたステイシーがジョアンナに抱き着いた。
「大丈夫?」
「えぇ、問題ない。最近はトラブルが続いているけれど」
「とうとう、ダイナーの客から訴えられた?」
「訴えられるようなことはしていない」
「だといいけど。それで? 悩み事なら聞くわ。まぁ、聞くだけだけれど」
 ジョアンナから離れたステイシーは棒立ちのまま、ノロノロと進んで行く。
「生まれた場所って、案外、しつこいみたい」
「ジェイクみたいに?」
「とっくに別れている」
「相変わらずしょっちゅう会っているし、ジェイクが何かする度に心配でたまらないんでしょう? いい加減、認めなさい。ステイシー、あなたはジェイクを愛しているのよ」
「私の悩み事はジェイクだけじゃない」
「大半はそうでしょ?」
 ステイシーは膝を折り、アスファルト舗装に指で触れながら
「粘土の壁なんて大嫌い」
「なに?」
「故郷。なにもない場所。多少……色々とあった田舎町」
「私の場合はアフリカとかヴァージニアのタバコ農園とかについて考えたらいいのかしらね?」
「そういうつもりで言ったわけじゃない」
 両手を広げたジョアンナが悠々と滑り、くるりと回転した。
「悩んでも無駄よ。ただ、答えに行き着くだけ」
「マシなものがいい」
「マシなものって何?」
 ステイシーがため息をついて「わからないから、悩んでいる」と言うと、軽快に滑り出したジョアンナは唐突に回転、急停止した。ジョアンナは歯科医院の窓を見る。電動椅子の上で歯肉より下、神経組織を引き抜かれるポトマックの姿。ポトマックは祭壇の上で心臓をくり抜かれるインカの人々のように敬虔な面持ちだった。
「少しは滑ったら? それとも、田舎町はスケートをするのが禁止されている?」
「いくら何でもスケートぐらいはあった。でも、パパは嫌ったわね。女がすることはどれも気に入らないのよ」
「スケートぐらい、子供なら誰だってする。男か女は関係ない」
「あたしもそう思う。でも、パパは違う。そして、そのパパはあたしに帰ってきてほしいんですって」
「それで、あなたはなんて答えたの?」
「まだ答えていない」
「嫌いなんでしょ? 帰る必要ない」
 膝を伸ばしたステイシーが重心を移動させ、ゆっくりと前進していく。
「多分、店を手伝って欲しいのね。クレイ・ウォールは、みんな知り合いみたいな場所だから居心地は悪くないかも知れないけれど、窒息しそうなほど窮屈。でも、このままというのも良くない」
 バランスを崩したステイシーが尻もちをついて道路に寝転がると、晴れ渡った空とテキサス州の保安官に支給される制帽、黒々とした髪が視界に入った。テキサス州エルパソの保安官代理、エミール・バーリングは紙コップを二つ握っていた。
「ステイシー、何をしているんだ?」
「何って……寝転がっている。寝転がって、空を見ている」
「楽しいか?」
「いいえ、楽しくない」
 エミールは紙コップを道路に置くとステイシーに手を差し出し、彼女を立ち上がらせた。制帽のつばを撫でたエミールが言う。
「調子は?」
「スケートなんて、やるもんじゃないってところ。エミールは何をしているの?」
 エモリー通りの先を見たエミールが「仕事だ」と言った。
「仕事熱心ね。感心しちゃう」
 無精ひげを撫でたエミールは「うんざりしている」と言い、口をきつく結んだ。ステイシーは大きく息を吸い込み
「ねぇ、この前のことだけど……忘れましょう? お互いのためにもそれがいい」
 制帽のつばを撫でたエミールの涙袋が僅かに動いた。
「それ以上は言わなくていい。おれもわかっている」
「そう……ならいいの。お互い、友だちでいましょう」
 道路に置いた紙コップを拾ったエミールは「困ったことがあったら言ってくれ」と言って、そのまま歩き出した。好奇な目のジョアンナが「誰?」と尋ね、ステイシーが
「保安官代理のエミール」と答えた。ジョアンナはエミールの後ろ姿を眺めながら
「西部劇の俳優みたいな男ね。いい男だけど、あなたには合わないタイプよ」
 ステイシーがつぶやくように言う。
「面倒見がよくて、責任感もある。でも、一緒にいると苦労させられる」
「あなたにはジェイクが一番、合っている。ピッタリ、これ以上ないってぐらい」
「あたしはマリファナを吸わない」
「あなたたちはお互いを補完しあっているのよ」
「腐れ縁」
「まぁ、そうとも言うわね」
 ステイシーが手をヒラつかせると、ジョアンナが彼女の手を引き、靴底の車輪が回り出した。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。

連載目次


  1. 星条旗
  2. テキサス人
  3. 保釈保証書不要につき
  4. バロース社製電動タイプ前にて
  5. アスク・ミー・ナウ
  6. ユートピアを求めて
  7. ヴェクサシオン
  8. フィジカル
  9. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
  10. ジェリーとルーシー
  11. プレイヤー・レコード
  12. イースタン・タウンシップから遠く離れて
  13. エル・マニフィカ ~仮面の記憶
  14. バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
  15. 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
  16. 窓の未来
  17. セックス・アフター・シガレット
  18. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
  19. アタリ
  20. 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
  21. 回遊する熱的死
  22. 顔のないリヴ・リンデランド
  23. 有情無情の歌
  24. ローラースケーティング・ワルツ
  25. 永久機関
  26. エル・リオ・エテルノ
  27. バトル・オブ・ニンジャ
  28. 負け犬の木の下で
  29. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
  30. エアメール・スペシャル
  31. チープ・トーク
  32. ローリング・ランドロマット
  33. 明暗法
  34. オニカマス
  35. エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
  36. ニンジャ! 光を掴め
  37. バスを待ちながら
  38. チープ・トーク ~テイクⅡ
  39. ブルックリンは眠らない
  40. しこり
  41. ペーパーナイフの切れ味
  42. 緑の取引
  43. 天使の分け前
  44. あなたがここにいてほしい
  45. 発火点
  46. プリズム大行進
  47. ソムニフェルムの目覚め
  48. テイク・ミー・ホーム
  49. オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
  50. 血の結紮(けっさつ)
  51. 運命の交差点
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