ほんとうに静かだ。 窓からバス通りが見えるアパートに暮らしているのだけれど、 車の往来がすくないとか、 酒を買い出しに行ったドラッグストアの雰囲気とかで、 世の中が完全に年末年始のゆるんだ空気になっているのを感じる。 今年は The Birthday やチバユウスケ、 SION、 村八分、 外道、 忌野清志郎、 シーナ&ロケッツと、 日本の音楽ばかりをよく聴いた。 でもきょうは、 この静けさを味わわないのがもったいない。 いまもエアコンの音だけを聴いている。
月イチで飲む親友ときのう飲み納めをした。 予約まですこし時間があり、 親友が今年の 『このミス』 を確認したいってんで同行した。 十年前まではまだしも気のきいた品揃えだった書店が、 こんなのだれが読むんだよって紙束ばかりになっていた。 親友もがっかりしていた。 おれとちがって、 もっと一般的な好みの親友がだよ。 市内にあと二軒あった系列店は何年も前に潰れている。 この店もそう長くないねと親友はいった。 出版と読書の文化は滅びたのだろう。 おれを見いださなかった天罰が下ったんじゃないかな。
世間はそんな感じだけれど、 人格 OverDrive は充実していた。 寄稿作品はどれも評判がいい。 これからもっと評価される。 柳楽先生となむさんは商業誌に掲載された。 mimei さんは外国のテレビに出た。 一方、 おれはほんとうに書けなくなったみたいだ。 きょうだってプロットをやるはずだったのに、 まったく進まなかった。 せっかくの静けさなのにな。
そういえば、 今年は本もたいして読まなかった。 長年の宿題だった 『重力の虹』 をようやく読んだくらいかな。 正直なところ、 あんまり楽しめなかった。 来年は 『V.』 が読めるといいな。
Netflix で 『ドント・ルック・アップ』 を観た。 こんな静かで寂しい大晦日に観るべきじゃなかった。 役者がみんなよかったし、 最後まで中断せずに観たから、 つまらなくはなかったのだろう。 でも、 期待したようには笑えなかった。 「地球」 をイメージさせようとするカットバックの表現が陳腐で、 むだなせいもある。 でもそれだけじゃなくて、 そもそも脚本の姿勢が、 笑いに対して中途半端のような気がする。 もっと本気で笑わせにかかってこいよ。 『グラス・オニオン』 の機知と諧謔を堪能したあとなので、 点が辛くなってしまう。 でもまぁ、 こんなに寂しくなってしまうのだから、 それなりによくできてはいたのかな⋯⋯。
あまりに寂しいので、 Twitter を見に行って余計なことを書いてしまった。 そういう 「かまってちゃん」 を、 来年こそやめたい。 そのためにもせっかく楽犬舎を建てたのに。 なんか SION にそういう唄があったな。 ほっといてほしいけど愛されたい、 ひとが好きできらいだ、 みたいな。 親に隠れてノートに漫画を描いたり、 仲間を集めて新聞や雑誌をつくったりして、 同級生に回覧してもらっていた小学校時代を思いだす。 あの頃から、 ちっとも進歩がない。 来年はもう 48 歳だ。 信じらんないよね。 残り時間はせいぜい四半世紀。 最後まで大人になれないのはわかっている。
今年いちばんの成果は、 横書きの文章を読みやすくしたくて、 空白行と改段落の行間を調整したこと。 柳楽先生の最初の連載は手作業でコーディングした。 それが自動でやれるようになった。 一度のエンターで、 行間がやや広い改段落。 二度で空白行だ。 これ、 たぶん世界中でおれしかやっていない。 以前はどうせおれしか読まないからと、 いっさいの改行をしなかった。 おれを観察してあげつらう客を遠ざけるためにもそうしていた。 このちょっとした発明のおかげで、 ひとに読ませることをすこしだけ意識するようになった。
ほかにもいろんなことを自動でやれるようにした。 たとえば連続約物のアキ・ツメ。 横書きと縦書きとで手法を使い分けている。 寄稿者に認証バッジをつけるとか、 本に無料やおすすめのタグをつけるとか。 見出しの人名を中黒で折り返すとか。 Wikipedia のリンクなんか、 かなり凝ったことをやった。 こうした大きな改修は、 2017 年に筆名とドメインを変えたとき以来だ。
50 代男性の生涯未婚率は、 90 年代まではわずか一桁だったそうだ。 むかしの男は、 人間性に深刻な問題があっても、 平気で父親になっていたのだろう。 うちがそうだった。 アーミッシュみたいに家電がなかった。 子どもの頃は絵が描けた。 玩具がないから空想で遊ぶしかなかったんだ。 ちっぽけだけれど、 おれには大切なことだった。 画商でもあった父のおかげで、 その力をなくした。 性暴力について書くことが多いのは、 似ているからだ。
おかげで社会に適応できなかった。 家庭内の独自宗教ってやつなんで、 分かち合いわかりあえる 「二世」 のひとたちが羨ましくてならない。
まともな家で愛されて育っていたら、 きっと何にだってなれた。 コーダやプログラマにも、 画家にも漫画家にも。 興味のおもむくまま楽器を手にして、 音楽家にさえなれていたかもしれない。 じっさい、 家族に機会を潰されていなければ、 24 歳で商業作家になっていたはずだ。 まともに稼いで恋愛し、 遺伝と環境を畏れず父親にもなっていたろう。
⋯⋯いや、 それだけはどうかな。 子どもを殴らない父親というのをうまく想像できない。
現実のおれは何にもなれず、 無能を蔑まれながら生きている。 おかげで今年は上からも下からもパワハラに遭った。 書けなくなったのはそのせいもある。 それでも、 あえて善い面に目を向けよう。 寄稿者にたくさんの傑作を書いてもらえた。 それまでやれなかったことをいくつも実現した。 デジタルデバイドの最底辺から這い上がって、 いまじゃ曲がりなりにも、 PHP を書いたり Mastodon サーバを建てたりしている。 ぽんこつ人生としては上々の成果じゃないか。 来年はもっといろんな力を取り戻したい。
愛されることだけは、 きっとないだろうけどね。