バラクーダ・スカイ
第23話: 有情無情の歌
ザイトリンが〈ピークォド〉の前にやってくると、店の前では白いシャツに黒いチョッキ姿のバーテンダー、モーガスタンが地面に腰掛けていた。団子鼻を撫でたザイトリンが
「しばらく休みにする」と言い、モーガスタンは
「でしょうね」
ザイトリンはため息交じりにドアノブを捻り
「別の仕事を探したほうがいい」
「それよりも、片付けのほうが先ですよ。聞かせてもらえますか? どうして、何をしたらこんなことになるのか」
ザイトリンが「話せば長い。片付けながら話そう」と言って店に入った。店内は割れたビン、エメンタールチーズのように穴だらけになったテーブルと椅子。甘ったるい臭いを嗅いだザイトリンが鼻をピクつかせた。水道の蛇口を捻ったザイトリンは雑巾を濡らし、モーガスタンはホウキで床を掃きはじめる。ザイトリンは床の上で乾燥したことで凝縮された酒を見ながら
「いっそ、ここでカクテルを振舞うのはどうだろうな。飲み放題にしてもいい。飲み終わる頃には掃除も終わっているだろう」
「喜ぶのはジェイクとブリードだけでしょうね」
太鼓腹を撫でたザイトリンが「まぁ、そうだろうな。ブーンが聞いたら、しかめっ面をするだろうが」と言った。
「あの人は立派ですよ」
「マトモな奴は銀星章をもらわない」
「それが立派であることの証明なんです」
「戦争に行くことだけが正しいというわけじゃない。あとでなんとでも言えるからな」
「だから、ジョシュアはベトナムに行かなかった?」
胸毛を撫でたザイトリンが「まぁ、そうだ。兵役拒否をしたつもりはないんだが。モーグはどうだ?」
「スクウェアの家庭に生まれると、頭の中までコチコチになるんです。いい加減、嫌気が差してここにいるわけです」
苦笑いを浮かべたザイトリンが「掃き溜めはどこにでもある」と言った。
商店〈名誉ある者たち〉の店主であるブーン・ランカスターは会計事務所で働く妹のホリーが休みの度に綺麗に並べていく商品には目もくれず、レジ・カウンターの下に絨毯で隠した、観音開きのドアを開けて階段を下りた。地下室は厚いコンクリートに囲まれており、壁には所狭しに銃器が飾られている。椅子に腰掛けたランカスターは床に置かれたままの瓶ビールを震える手で握り、ビールの栓をナイフで開けた。そして、テーブルに置かれた瓶から鎮静剤、ジアゼパムの錠剤を掌に撒き、口いっぱいに頬張ってビールを流し込んだ。ランカスターは浅い呼吸を繰り返しながら腹の上で手を組む。コンクリートの天井を見つめるランカスターの目は仏像のように細い。目を閉じると鼓膜を破るような爆撃音が聞こえた。鼻先には四散して血しぶきに変わった肉体の臭いが嗅ぎ取れた。目を開けたランカスターはテーブルに転がるナイフを掴み、壁に貼られた黒いマン・ターゲットに向かってナイフを投げる。コルク材で加工されたマン・ターゲットの心臓にナイフが突き刺さった。
ライブハウス、〈テイルズ・アウト〉の薄暗いステージに上がったのは〈ブリード師と乱調美学オーケストラ〉の三人。オーケストラと呼ぶにはいささか心許ない。誇大広告である。ドラムとヴォーカルを担当するジーン・ブリードは丸いドラム椅子に腰を下ろし、ヒョウ柄コートのポケットからとり出した八端十字架型キーレンチで、タムを囲んでいるボルトを締めていく。その間にケースからギターとベースをとり出したチャド・ホプキンスとカイル・メノフェザはシールドをアンプに挿入した。ホプキンスはギターピックの代用品であるペソ硬貨で雷光のような形のギターを爪弾き、メノフェザが親指でベース弦を叩く。手を止めたホプキンスが言う。
「そういえば、乱射があったらしい」
メノフェザは綿飴のようにふんわりとした髪を振り「どこでだ?」
ブリードが両側の口角が裂けそうなほど吊り上げ「おれは太陽だ」と言い、ホプキンスとメノフェザは揃って眉を上下させた。キーレンチをポケットにしまったブリードはドラムスティックを握った。
「地球も月も火星も土星すら太陽の家来だ」
「あぁ……そういうことか。ハイなのかと思ったよ」とホプキンス。ブリードは星形サングラスの縁を撫でる。
「よく聞け、小僧ども。いつだって、最も高いのは音楽だ。それ以外の地上にあるものは一つ残らず地に足がついている。つまり、一段落ちる」
メノフェザが手を振り「ブリード、曲はなんにする?」と言い、ブリードは首に巻いた紫色のスカーフに触れた。
「『おぉ、我らが酔っ払い小僧』にしよう」
メノフェザとホプキンスがうなずく。ブリードがペダルを踏み、メノフェザとホプキンスはリズムと調性の異なるフレーズを弾きはじめる。定期的に交わる脱臼的混合拍子。ブリードはモダンダンサーのように頭を下げたマイクに毛むくじゃらの顔を近付ける。
ギャベツの寓意よ
檻と薔薇の純粋な肉 メキシコ・シティの頑固な塩の奇蹟と
顔のない骨が大通りを吹き抜けるトランペットの響き
煮たアルミニウスム 溶けたパラジウム
ベンガルの聖者はのたうち回り 白い靄の水平線に沈んだ
大気の一滴 ブラスターの脅威 おぉ
酔ひさまたる我らが小僧!
メノフェザは爆撃機が急降下するように指板を滑らせ、ホプキンスが五連符のアルペジオ、ブリードが両手を挙げると三人の音は吸い寄せられるように一点に不時着した。
連載目次
- 星条旗
- テキサス人
- 保釈保証書不要につき
- バロース社製電動タイプ前にて
- アスク・ミー・ナウ
- ユートピアを求めて
- ヴェクサシオン
- フィジカル
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
- ジェリーとルーシー
- プレイヤー・レコード
- イースタン・タウンシップから遠く離れて
- エル・マニフィカ ~仮面の記憶
- バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
- 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
- 窓の未来
- セックス・アフター・シガレット
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
- アタリ
- 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
- 回遊する熱的死
- 顔のないリヴ・リンデランド
- 有情無情の歌
- ローラースケーティング・ワルツ
- 永久機関
- エル・リオ・エテルノ
- バトル・オブ・ニンジャ
- 負け犬の木の下で
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
- エアメール・スペシャル
- チープ・トーク
- ローリング・ランドロマット
- 明暗法
- オニカマス
- エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
- ニンジャ! 光を掴め
- バスを待ちながら
- チープ・トーク ~テイクⅡ
- ブルックリンは眠らない
- しこり
- ペーパーナイフの切れ味
- 緑の取引
- 天使の分け前
- あなたがここにいてほしい
- 発火点
- プリズム大行進
- ソムニフェルムの目覚め
- テイク・ミー・ホーム
- オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
- 血の結紮(けっさつ)
- 運命の交差点