D.I.Y.出版日誌

連載第350回: ただこれだけ書くのに半日かけた

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2022.
12.28Wed

ただこれだけ書くのに半日かけた

おれはこう思ってたんだ。作家であるには、まず本好きってことが重要だってね。日本語を読む力がなければ。そして、感じたり思ったり考えたりしたことを言葉にする力。そのすべてを備えているのが最低限で、小説そのものの技量はその先の話だ。また、本やウェブサイトをつくるには言葉でのやりとりを避けては通れない。なので少なくともおれは、これまでに読んできたものを尋ねたとき、答えられない相手とは仕事ができない。メールで日本語の会話が成立しなければ、縁がなかったということになる。

 でもわかっているよ。世間的にはおれはまちがっているんだ。いまのこの国じゃ本を読んだことがなく、したがって日本語を読む力もなく、何も感じず何も考えず、読者にもそのようであることを強要する書き手が評価される。それが正しいんだ、そうだろ? 原稿は燃える、じつにあっさりとね。だからもう、ほっといてくれよ。わざわざおれのとこまで出向いてきて、夢の城を砂の城みたいに潰さなくたっていいじゃないか。四半世紀前の編集者にしても、いまの寄稿希望者にしてもさ。

 寄生虫に脳をやられた狼は、群れのリーダーに選ばれやすいんだってね。人間も野生動物なみにゆとりがなくなると、社会病質の犯罪者をもてはやすようになるのかもな。ヒトラーだって不況を背景に台頭したんだろ? 母親の愛を求めて、お粗末な警備をやぶり、お粗末な道具で首相を殺したインセル。犯罪の温床を提供する商売で成り上がり、騒乱や差別を扇動し、賠償金を踏み倒しつづけて、法の抜け道を見つけることや親を刺すことを小学生に教える男⋯⋯。前者はあたかも殉教者のように敬称で呼ばれている。後者は政府広報の動画に出たりなんかして、全国の高校生から「首相になってほしい有名人」に選ばれたと聞くよ。別の犯罪者に殺されるまでやりたい放題でついに捕まらなかった前例もあることだし、実現するかもしれないね。

 そんな国じゃ本の読者は、まともに生きていかれない。民主主義を否定し、人権侵害を肯定する価値観に、生まれながらに最適化されていなければね。詩集を手に浜辺を散歩しただけの女子高生がスパイ容疑で捕まって拷問される日は、もうすぐそこだ。読書を蔑むあんただって安泰じゃない。尻馬に乗る側にいつまでもいられると思うなよ。何かの拍子にうっかり違和感をおぼえでもしたら⋯⋯。おれだって、好きで社会病質を親に持ったわけじゃないんだ。

 一夜文庫さんが話題にしてくれたんで、これまで書いたものをちょっと読みかえした。これだけの仕事をしてだめだったんだから、やるだけ無駄。他人と較べて惨めになるだけだ。ばからしいから今年は小説を書かなかった。やったのは他人の本の出版とサイトの改修。 WordPress でかなり踏み込んだことをやった。あとはおひとりさまサーバを建てたくらいか。武器商人の暴走自動車が鳥小屋に突っ込んで、話題になっているけれど、あんなのいまにはじまったことじゃない。金になる差別主義者を優遇し、無名人の苦情は無視。議会襲撃事件なんてあいつらがお膳立てしたようなもんじゃないか。

 とはいえそこで知り合ったひとが多いから、これからも渋々、使いつづけるだろう。 FaceBook は UI が改悪される一方で、もうずいぶん前から閲覧していない。人格OverDrive の FB ページも放置だ。もともと世界中の見知らぬ他人を、知り合いだろうと押しつけてくる見当はずれの厚かましさが不快だった。はてなハイクを思いだす。あれはよかったよ。あの頃のはてなは現在ほどひどくなかった。わがちっぽけな犬小屋、楽犬舎は書くことへの心理的障壁を下げるために建てた。だれとも交流するつもりはない。視界に入れるつもりさえない。つい、較べてしまうから。自分の努力とその成果だけを感じていたい。

 書いたって惨めになるばかりだ。他人の本は売れ、自分のゴミは売れない。唯一の読者は書いたエディタでその場で読み返せるのに、なぜわざわざピタゴラ装置みたいな迂遠な手間と金をかける? ってのと、サイトの組版が印刷物と遜色ないくらいになったのとで、わざわざ本にする意味を感じなくなった。他人の本はこれからも出しつづけるつもりだけれど、時折ふと、あれなんでこんなことやってんだっけ? とわれに返る。おれ自身はあいかわらず糞溜から這い上がれずにいるのに、他人が祝福されるのを助けるなんて、いったい何をやってるんだ?

 蔑まれて生活するうちに鬱(医者たちにいわせれば性格が異常なだけで医療の対象じゃなく、一生治らないそうだ)がひどくなって過食と飲酒で肥った。筋トレのメニューを増やしてどうにか三年前のモッズスーツを着ていられるけれど、禁酒は二週間しかつづかなかったし、何年も避けていた炭水化物を日常的に摂るようになったので、臨界点に達するのを表面張力でどうにか踏みとどまっているようなものだ。十年前のベルトはすでに壊れてブレイシスに乗り換えた。くるみボタンもいずれ弾け飛ぶ。寝る直前まで喰いつづけ飲みつづけるので不眠は悪化し、これまで縁のなかった頭痛がするようになった。昼休憩がとれる日には仮眠しているから、まだどうにかなっている。

 何かほかのことをやりたい。自分で刷って雑に製本して売る、というのを試したかったんだよ。調べたら手間とコストがかかりすぎた。手間はともかく、プリントオンデマンドより高くつくのはいただけない。で、あきらめたんだけど、何かそういうくだらないことをやりたい。楽器が弾けたらなぁ。そうしたことを学ぶべき時期におれは隠れて書くのが精いっぱいだった。地下室で低い音量で、命がけで隠し持つレコードを聴くみたいにね。実際、音楽は隠れて聴いていたんだ⋯⋯。本だって図書館がなければ読めなかった、そのあたりのことは崖マロに書いた。その惨めな糞溜の先にいまのこの人生がある。

 文字を憶えてから四十年以上も書いてきて、どん詰まりでもうどこへも行けない。自由な子ども時代が人生を築くんだ。その逆なら人生を奪われる。何をどれだけ努力したところで、野垂れ死ぬまで臭いにつきまとわれる。ほんとうのほんとうに突き詰めれば、読まれるかどうかは重要じゃないんだ。読みたいものを読めて、書くことで頭のなかにあるものを外へ追い出せればいい。なのに他人が視界に入ると惨めになる。だれにも肯定されない人生を愉しむのは、むずかしいよ。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

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