バラクーダ・スカイ

第16話: 窓の未来

Avatar photo書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2022.12.24

オルセンは車椅子の両側についた車輪をまわして横長の事務机に茶封筒を置いた。車輪を後ろにまわしたオルセンはウェーブがかった栗色の髪に触れ、窓辺に置かれた海水水槽に粉末を落としているトラウトマンを見た。トラウトマンが着ている薄桃色の背広とヘルメスがプリントされたシャツはひどく猥褻に見えるものの、薄ら笑いを浮かべながら海水水槽のガラスを人差し指で突くトラウトマンの姿に比べれば、はるかに真っ当に見えた。オルセンは器用に車椅子を操作しながら冷水機に近付き、床に置かれた紙コップを手にとって水を注いだ。
「酒は?」
 粉末が入った紙パックを窓辺に置いたトラウトマンが壁に寄りかかって肩を竦めた。
「飲酒運転は犯罪だ」
「ちょっとぐらいじゃ酔わない」
「それじゃあ、仕事中だ」
「金魚に餌をやることも?」
 喉を鳴らしたトラウトマンが「順序が重要だ」と言い、横長の事務机の前に置かれた椅子に腰を下ろした。オルセンは顎を上下させ
「そういうシャツはどこで買うんだい? 土産物屋?」と言い、トラウトマンがシャツの襟元を親指で撫でた。トラウトマンはオルセンを指差し
「そういうお前は? 白シャツに紺のズボン。腰ベルトと吊りベルト」
 吊りベルトを引っ張ったオルセンが
「心配性でね」
「車椅子に座っているお前のズボンが落ちる心配はない」
「物事、万に一つっていうことがあるからね。下着を見せびらかす趣味はないんだ」
 トラウトマンの宝石のような二つの青い瞳が動いた。
「羞恥心は重要なものだ。人間と動物を分ける。動物は下着を履かない。始終、ペニスを見せびらかせている。人間は? 女の前だけだ」
「男の前ということもある」
 手をヒラつかせたトラウトマンが「好きにすればいい」と言うと、オルセンは目を丸くした。
「ゲイを嫌っているかと思ったんだけど、違うのかい?」
「大腸にペニスを挿入することをか?」
 紙コップに注がれた水を飲んだオルセンが「まぁ、そう」と答えた。トラウトマンは髪に触れ、口を開く。
「下着を履く人間はエイズを怖がったりしない。オルセン、お前は動物か?」
「人間も動物でしょ?」
「知的な動物だ。夜目がきくわけでも、海に垂らされた一滴の血を嗅ぎ分ける鼻もないが、地上を支配していることになっている」
「その前は恐竜かな」
「デカいだけのトカゲに何ができる? 食い散らかすだけ。なにもだ。二酸化炭素の排出とブラジルの森林伐採を憂いつつ、ソビエトの息がかかった中東のどうしようもない国を支配したいと考える。それが人間だ」
「逆説的だ」
 トラウトマンは真っ黒の瞳孔とラピスラズリのように澄んだ瞳を一切動かさずに口角だけを吊り上げた。人差し指を上下に振ったトラウトマンが言う。
「いい言葉だ。しっくりくる」
 脚を組んだオルセンが「そりゃあ、どうも」と答えた。トラウトマンは茶封筒を開き、剥き出しのパスポートをとり出す。ページをめくりながらトラウトマンが舌鼓を打った。
「オルセン、IDカードを持っているか?」
「いいや。心配性だから」
「お前は損をしている。役所に置いてある書類にサインをして、パスポートのコピーを同封すれば無料でIDカードを作ることができる。それがあれば、取得から初めの一年間は美術館と博物館に無料で入ることができるし、バスケット・ボールのチケットを割り引いた値段で手に入れることもできる」
「スポーツにも芸術にも興味がないんだ」
 指を組んだトラウトマンが言う。
「興味は重要なものだ。興味、好奇心は人間を進化させる」
 トラウトマンは横長の事務机に置かれた真新しいコンピュータを見た。真っ黒い画面にトラウトマンの薄桃色の背広が映っている。トラウトマンはコンピュータの画面を指差し「これが進化だ」と言った。シャツの襟を撫でたオルセンが
「最新式?」
「そう。これは大きな一歩になる。設計した奴を含めて、誰も想像できないところまであっという間に到達することになるだろう。これを作った会社にはありったけの金を注ぎ込んでもいい」
「ぼくに投資を持ち掛けている?」
「残念ながら、この会社は上場していない。だが、それは遠い日じゃない。楽しみだ」
 水を飲み干したオルセンは握り潰した紙コップをゴミ箱に放り投げると、車輪をまわして車椅子を後退させた。トラウトマンは机の引き出しから引っ張り出した金をオルセンに渡した。

 車椅子の車輪を回転させながらオルセンが出て行くと、トラウトマンは手を伸ばし、机の上に置かれた石膏トルソ像の尻を撫でた。それから、パスポートを開き、ゼロックス社製普通紙複写機に挟んでボタンを押す。白黒の用紙が吐き出された。トラウトマンは魔術師が命を吹き込むように用紙に息を吹きかけ、黒い粉が放射状に広がる。書類にサインをしたトラウトマンはライトブルーの封筒に書類を封入し、切手を貼って封を舐めた。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。

連載目次


  1. 星条旗
  2. テキサス人
  3. 保釈保証書不要につき
  4. バロース社製電動タイプ前にて
  5. アスク・ミー・ナウ
  6. ユートピアを求めて
  7. ヴェクサシオン
  8. フィジカル
  9. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
  10. ジェリーとルーシー
  11. プレイヤー・レコード
  12. イースタン・タウンシップから遠く離れて
  13. エル・マニフィカ ~仮面の記憶
  14. バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
  15. 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
  16. 窓の未来
  17. セックス・アフター・シガレット
  18. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
  19. アタリ
  20. 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
  21. 回遊する熱的死
  22. 顔のないリヴ・リンデランド
  23. 有情無情の歌
  24. ローラースケーティング・ワルツ
  25. 永久機関
  26. エル・リオ・エテルノ
  27. バトル・オブ・ニンジャ
  28. 負け犬の木の下で
  29. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
  30. エアメール・スペシャル
  31. チープ・トーク
  32. ローリング・ランドロマット
  33. 明暗法
  34. オニカマス
  35. エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
  36. ニンジャ! 光を掴め
  37. バスを待ちながら
  38. チープ・トーク ~テイクⅡ
  39. ブルックリンは眠らない
  40. しこり
  41. ペーパーナイフの切れ味
  42. 緑の取引
  43. 天使の分け前
  44. あなたがここにいてほしい
  45. 発火点
  46. プリズム大行進
  47. ソムニフェルムの目覚め
  48. テイク・ミー・ホーム
  49. オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
  50. 血の結紮(けっさつ)
  51. 運命の交差点
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