バラクーダ・スカイ
第15話: 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
ジェリーが一三番通りでフォード・ランチェロを停止させると、ルーシーはガラスパイプ片手に大欠伸をした。ブロンドの髪を掻き上げたルーシーが「着いたのかよ?」と言い、ジェリーが頷いた。舌打ちしたルーシーがダッシュボードをコンバットブーツで蹴った。
「クソみてぇな日だ。ハゲに自慢話を聞かされた、最低のクソ曜日」
肩を竦めたジェリーが「ラングーンはここじゃあ、有名人だからな」と言い、ルーシーはぶつくさと文句を言いながらガラスパイプをレザージャケットのポケットにしまった。ジェリーが「約束の場所はこの裏だ」と言って自動車から降りると、気だるい様子でルーシーがドアを開けた。
二人は七五号線を歩いている。ジェリーの後ろをノロノロと歩くルーシーはオレンジ色の光を放つ街灯の真下まで歩くと、突然、片脚を高く上げ、青白い毛に覆われた太い胴体の蛾をコンバットブーツで蹴飛ばした。そして、蛾の体液と蛇の目模様の翅がジェリーのヌーディスーツの肩にこびりつく。足を止めたジェリーが整髪料と外灯の光で黄金に輝くオールバックスタイルを撫で、黄色い体液が飛び出した蛾の残骸をはらい落とす。ジェリーはヌーディスーツに刺繍されたケシの花を下から指でなぞってため息をついた。それから、黙ったままルーシーに近付いて彼女の頬を張った。ルーシーが歯を見せて笑い、ナックルダスターをはめた拳でジェリーの頬を殴った。よろめいたジェリーは地面に片膝をついて神を罵る。ルーシーは歯科検診を受診する患者のように歯列を見せ、腹を抱えている。アスファルトに血が混じった唾を吐いたジェリーが「クソ女」と言った。ルーシーは両手をヒラつかせ
「景気づけだよ」
「癪に障ることばかりしやがって」
「ダセェ服なんて着ているからだぜ。これで少しはマシになっただろ?」
「いい加減、黙れよ。馬鹿野郎」
ルーシーは調子が外れすぎてホーミーのような音色になった口笛を吹いた。ふらつきながら立ち上がったジェリーが洗車場の看板に手を置いた。ルーシーが言う。
「ところで、ご機嫌なジェリー。どこに行くんだい? 気分転換のピクニックかい?」
ジェリーはスライドサングラスの縁から鼻を撫で、親指を突き立てた。ルーシーは
「洗車なんて反吐が出る」
「なら、黙って車とヤっていろ。だけど、おれの車は汚すな」
ルーシーが肩を回し、レザージャケットの金属ファスナーが擦れる音が響いた。
二人が無人の洗車場に入ると、銀色のダイハツ、コンパーノ・スパイダーのヘッドライトが点滅し、小男が降りるのが見えた。小男はカエルのように大きな口を開けて手招きした。二人が近付くと、ジェリーが口を開いた。
「ジム・フライの居場所はわかったか?」
小男はポケットに両手を突っ込んで押し殺したように笑った。髪を掻き上げたルーシーが
「このチビは?」と尋ねると、小男は胸を張った。
「ジェリー、相変わらずみてぇだな」
ジェリーは手をヒラつかせ「チビのサミーだ」と言い、ルーシーが退屈そうに首を鳴らした。洗車場を夢遊病患者か恋焦がれる乙女のように歩いたルーシーが街灯に手をやり、ジーン・ケリーのようにぐるりと旋回した。ジェリーが言う。
「それで? わかったのか?」
「焦るなよ。フライの女房の住所がわかったんだ」
「折角、逃げ出したっていうのに、女のところに行くか? おれはそう思わない」
「お前ぇさんは女嫌いだから、そういうことを言うんだ」
ため息をついたジェリーがひび割れたアスファルトに唾を吐いた。街灯に長い脚をからませたルーシーは独楽のように旋回しながら垂直に立っている街灯を遠心力と腕力のバランスだけで登っていく。頬を撫でたジェリーが「それで、住所は? 一応、聞いてやる。どうせ無駄だろうが」と言うと、サミーは手鼻をかんだ。
「そうこなくっちゃ。ドナックス・アベニュー九二六。部屋番号は二〇二」
ジェリーはヌーディスーツに刺繍された白いケシを爪で引っ掻いた。
「よっぽどいい女なんだろうな」
「そこそこだよ。でも、フライは馬鹿だからな。おれなら、さっさとズラかるよ。ラングーンに睨まれちゃあ、ここでやっていけねぇし」
街灯の上部まで登ったルーシーがスピンし、街灯を股に挟んで上体を弓なりに逸らしながらレザージャケットのボタンを外した。白く、尖った乳房と浮き出た肋骨がオレンジ色の光を浴びながら輝く。サミーは黄ばんだ歯を見せながら笑い、ジェリーが喉を鳴らした。
「網を張っても無駄骨になる。フライの居場所が知りたい。網にかかったら連絡してくれ」
ルーシーが絶頂するように身体を仰け反らせた。
「いい女だな」とサミーが言うと、顔を顰めたジェリーは吐き捨てるように
「ジャンキーのクソ女さ」
「でも、いい女だ」
ジェリーが金を渡し、サミーは金を数えてから二つに折ってポケットに入れた。ジェリーが
「いい加減、ショウは終わりだ」と言うと、ルーシーは街灯から急降下した。サミーが手を叩き、ルーシーはレザージャケットのボタンを留めずにガラスパイプを口にくわえた。
髪を掻き上げたルーシーが「さぁ、行くぜ。クソッタレのジェリー」と言って歩き出し、駐車されている自動車の窓ガラスをナックルダスターがはめられた拳で叩き割った。
呆れ顔のジェリーが「いい女の条件は見ず知らずの車の窓ガラスを割ることらしい。どうだ?」と尋ねると、サミーは「おれの車じゃなければ構わねぇよ」と答えた。
連載目次
- 星条旗
- テキサス人
- 保釈保証書不要につき
- バロース社製電動タイプ前にて
- アスク・ミー・ナウ
- ユートピアを求めて
- ヴェクサシオン
- フィジカル
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
- ジェリーとルーシー
- プレイヤー・レコード
- イースタン・タウンシップから遠く離れて
- エル・マニフィカ ~仮面の記憶
- バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
- 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
- 窓の未来
- セックス・アフター・シガレット
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
- アタリ
- 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
- 回遊する熱的死
- 顔のないリヴ・リンデランド
- 有情無情の歌
- ローラースケーティング・ワルツ
- 永久機関
- エル・リオ・エテルノ
- バトル・オブ・ニンジャ
- 負け犬の木の下で
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
- エアメール・スペシャル
- チープ・トーク
- ローリング・ランドロマット
- 明暗法
- オニカマス
- エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
- ニンジャ! 光を掴め
- バスを待ちながら
- チープ・トーク ~テイクⅡ
- ブルックリンは眠らない
- しこり
- ペーパーナイフの切れ味
- 緑の取引
- 天使の分け前
- あなたがここにいてほしい
- 発火点
- プリズム大行進
- ソムニフェルムの目覚め
- テイク・ミー・ホーム
- オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
- 血の結紮(けっさつ)
- 運命の交差点