バラクーダ・スカイ

第11話: プレイヤー・レコード

Avatar photo書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2022.12.19

ジョシュア・ザイトリンが経営するバー、〈ピークォド〉の隅には四つのコンガと三つのターンテーブルが並んでいる。ウィリー・マルティネスは樽型の上面に張られた皮を厚くなった指で撫で、隣のミッキー・ボボを見た。このミッキーは、昼はインペリアル・ビーチで過剰に砂糖を混ぜたコーヒーを、夜は桟橋の近くでマリファナを販売する昼夜二部制労働者である。ミッキーは負傷ジーンズのポケットからクラベスをとり出して交差させる。三台のターンテーブルの前に座るジェイクが螺旋構造の禅問答のような煙を吐き出した。クラベスとコンガが革命闘士たちの目を盗んで行われる秘密の祭儀、サンテリアのように呪術的で陶酔的に打たれはじめると、球形サングラスの縁を撫でたジェイクがターンテーブルのスイッチを次々と押した。スピーカーからは六八年にワルシャワで謎の死を遂げたジャズ・ピアニスト、ヴワティスワフ・ウカシェヴィチによる唯一のレコード『コメコン!』からジャズ・アレンジされた『ポーランド統一労働者党党歌』が流れ始める。雨だれのように荒れ狂う白鍵と黒鍵の応酬。満足げな笑みを浮かべたジェイクはもう一方のターンテーブルのスイッチを押し、碩学者、ホルヘ・ルイス・ボルヘスを食肉市場に追いやったファン・ペロンの演説を逆回転させる。ジェイクはレコードが置かれず、ただ回転を続けるレコードプレイヤーのダイヤモンド針に指で触れ、ノイズを増幅させる。ウィリーはクラベスをキューバの伝統的なサルサの調子で叩き、その間をマルティネスがコンガの皮を指先と付け根で叩き出す。まばらな酔客たちが噛み殺した欠伸をビールで流し込む。ハイネケンを握るハーフパンツにゴルフウェア姿の男が自身の足下、二足歩行するクマがプリントされた靴下を憎々しげな顔で見る。ジェイクは頭を垂れたヴォーカル・マイクに向かってささやく。
「ロングアイランドに住む黒魔術師。マホガニーのラジエーターは振り切り、デトロイトは妄想ゴムで自動車を走らせる。爆弾レコードの投下。奇跡たち、魅惑たちは足を組みながら永遠の風車を回す。病院から出て来たばかりの聖者たちはズボンの裾を引きずりながら路上へ。虹色のコーラスが声帯を震わせる。コーン・ブレッドのレーダー・システムはミステリー、エコー。怒り狂ったエドガー・フーバーが喉を締めあげ、真っ赤な絨毯が敷かれた証言台で右手を掲げる。ずんぐりした骸骨寺院の建立、こけら落とし」
 マルティネスはコンガの皮の中心を弾くように叩き、空いた片手で皮を押さえ込む。ヴォーカル・マイクに拾われたウィリーのクラベスが拍手のように木霊した。

 気まぐれな演奏が終わると、まばらな拍手が響き、満面の笑みを浮かべたジェイクがウィリーとマルティネスと握手を交わした。ウィリーとマルティネスは客たちからチップを受け取るなり、手を振りながら陽気に夜の街に繰り出して行った。バーテンダーのモーガスタンは見計らったようなタイミングでバーカウンターの下に配置したミキサーのボリュームを上げ、スピーカーからファンキーズの『ナウ・アイム・ア・マン』が流れ出した。スピーカーの奥から控えめな鈴が鳴り、エコーがかった開放弦が弾かれる。まばらなパーカッション。波のようなシンバルがオルガンにバトンを渡す。ザイトリンからハイネケンを受け取ったジェイクはカウンターの前に腰を下ろし、ハイネケンの瓶についた水滴を撫でた。ジェイクが「グルーヴィ。労働に」と言ってハイネケンを飲むと、黄ばんだランニングシャツを着たザイトリンはチャック・ノリスのような胸毛を一撫でして
「世の中で一番、労働から遠い奴がそれを言うかね」と言った。
「ブルースは綿花を摘まなきゃ歌っちゃいけないわけじゃないぜ」
「あれはブルースだったのか? おれにはとてもそうは聴こえなかったがね」
「ロバート・ジョンソンはもちろんだが、ギンズバーグもケルアックもブルースなんだ。ブルースは形式じゃない。むしろ、形式からこぼれ落ちたもの、字余りか字足らず。つまるところ、ブルースは過剰で寡黙なんだよ」
 呆れ顔のザイトリンが「ヒッピーらしい言い方だ」と言うと、ジェイクは手をヒラつかせてハイネケンを飲んだ。ゴルフウェア姿の男がサングリア片手にジェイクの隣に腰掛け、髪色と異なる口髭をもったいぶった態度で撫でた。
「さっきの演奏、なんだかよくわからなかったが、良かったよ」
 大袈裟に手を叩いたジェイクが「この通り、ブルースはしっかり伝わるものさ」と言って男に手を差し出した。男はジェイクの手を握り
「おれはフライ……バーフライ。チャールズ・バーフライ。お前は?」と尋ね、ジェイクが
「ジェイク・キニスキー。ジェイクって呼んでくれよ」と答えた。
「OK、ジェイク。よろしくな」
「グルーヴィ」
 バーフライが目を丸くしていると、ザイトリンは脂ぎった禿げ頭を撫で「ジェイクの言うことに意味なんてない」と言った。
「求めよ、そうすりゃ意味が生まれる」
「なんかの引用かい?」
 ジェイクは球形サングラスの縁を撫で「さしずめ、ジェイク記ってやつさ」と言い、顔を顰めたザイトリンが「アドナイをジョークにするな」と言った。ジェイクが言う。
「それで、チャーリー。ここには何をしに来たんだい? ゴルフならティワナ川の近くをオススメするが、バンカーだけを楽しみたいならビーチもいいぜ」
 バーフライはサングリアを飲み干し、スライスされたレモンを口に放って口をすぼめた。
「あぁ……まぁ、観光だよ」
「そりゃいい。ここは羽を伸ばすなら最高の場所さ。たとえば、さっきクラベスを叩いていたミッキー。今ぐらいの時間なら、桟橋の下でハーシーの板チョコの包装に包んだハッパを売っている」
「嘘だろう?」
「こう見えて、おれは嘘を言わないんだ」
「それこそ嘘だ」とザイトリン。
 ジェイクが「嘘つきが嘘つきだと白状したら、それは嘘つきじゃなくなっちまう」と言うと、バーフライは腹を抱えて笑った。目を細めたザイトリンが
「そんなに可笑しいかね」と言って毛だらけの腕を撫でた。ジェイクは麦わら帽子をポンと叩き
「そういや、ジョシュア。明日のポーカーはどうなったんだい?」
「ブーンとブリードが来る」
「アーロは?」
「駄目だとさ。カラテ道場が忙しいそうだ」
 ジェイクは突き立てた人差し指を唇の前にやり、左右に振りながら小さく舌打ちした。
「ジョシュア、ニンジャ・カラテ道場だぜ」
「そんな名前だったかもな」
「聞いてくれよ、チャーリー。そのアーロって奴はとびきり変わった奴で、ニンジャなんだ」
「ニンジャ?」
「そう、ニンジャ。リー・ヴァン・クリーフみたいなものさ」
「そのニンジャがどうかしたのか?」
「アーロはニンジャになる方法を教えているのさ」
「クレイジーな奴だな」
「そう、最高にイカした奴なんだ。でも、残念だよ。アーロとは久しぶりに会えると楽しみにしていたんだが。チャーリー、ポーカーはできるかい?」
「できるが、強くはない」
「グルーヴィ。それじゃあ、決まりだ。明日、これぐらいの時間にここに来てくれよ」
「金がない」
「その靴下を賭けるっていうのはどうだい?」
 ザイトリンが「おれは欲しくない」と言い、ジェイクは口笛を一吹きした。バーフライは髪を撫で
「気が向いたら来るよ。アテもないしな」と言って、バーカウンターに金を置いて立ち上がり、そのまま店を出て行った。

 朝、ジェイクが目を覚ましたのは砂浜の上だった。ジェイクの腹の上で休んでいた毛だらけの小さなカニが目玉を上下に振った。ジェイクが笑みを浮かべると、カニはそそくさと横に歩いて行った。空に浮かぶのは白んだ支配者、金色スペクトル型の恒星。ジェイクは球形サングラスを通して支配者の黒点を見、はっきりした表面がない曖昧な存在に向かって手をかざす。中心核、放射層、対流層、光球、彩層、遷移層、コロナ。オリオン腕に位置する八光分一九光秒にして、ほぼ完全な球体。立ち上がったジェイクは麦わら帽子で砂をはらい落とし、汗ばんだアロハシャツとジーンズを脱いで鮮やかな青色に染まった太平洋で沐浴した。たった一人のクンブ・メーラ。乳海かく拌の後、不死の妙薬をたたえた神が水瓶を運ぶ際にしずくが滴った聖なる川はジェイクにとって同じものである。
 海水で汗と汚れを洗い清めたジェイクが下着姿のまま海からあがると、肩に藍色の海藻がのっていた。ジェイクは海藻を口に入れ、嚥下した。セルロースと厚いゲル状多糖からなる細胞壁を分解する微生物、バクテロイデス・プレビウスを腸内に住まわせないジェイクにとって、この行為は意味を持たないものの、ジェイクは気にする素振りも見せずに脱ぎ捨てたジーンズとアロハシャツを肩にかけ、足の指で砂に文字を書いた。押し寄せる波が文字を掻き消した。桟橋の近くまで歩くと、筋骨隆々のライフセーバーがジェイクに向かって手を振り、ジェイクが麦わら帽子を撫でた。ジェイクはスティーヴィー・ワンダーの『太陽の当たる場所』を口ずさみながら、脳内でストリングスと軽いスネアドラムを流して桟橋を悠々と歩く。桟橋の最果てには背の高い、痩せたアフリカ系の青年が佇んでいた。青年は杭に両手を置いている。ジェイクは球形サングラスの縁を撫で、口を開く。
「よぅ、ブラザー。浮かない顔して、どうしたんだい?」
 青年がゆっくりと振り向き、細くて薄い肩を上下に振ってため息をついた。青年は縮れた髪を短く刈っており、黄色いTシャツには鎖と〈ブランコ万歳!〉という文字がプリントされている。ジェイクが言う。
「死ぬには勿体ない日だぜ?」
「死にたいとは思うけど、死にそうに見えるかい?」
「言うだろう? 思い立ったが吉日ってさ」
 青年は腫れた目の下を手の甲で拭い「それは死んで欲しいっていう意味?」と尋ねると、ジェイクが手をヒラつかせた。
「死ぬなんて、一度で腹いっぱいだろ?」
「腹は減ってない」
「胸いっぱいってわけだ」
 青年が大きなため息をついて「まぁ、そうかな」と言った。ジェイクが麦わら帽子を脱いで焦げ茶色の髪をなで、海水が滴り落ちた。ジェイクは濡れた手を勢いよく振って海水をはらい落とすと、手を差し出し「おれはジェイク・キニスキー。ジェイクって呼んでくれよ」
青年は「JA」と名乗り、ジェイクの手を握った。
「OK、JA。よろしくな。それで、こんな所でどうしたんだい?」
「どうもしない。ただ、どうにもならなかったってだけ」
「どうにかなるほうがおかしいのさ」
「ラジオ番組のアシスタント・ディレクターの仕事があるからどうだと誘われたんだ。でも、いざ行ってみたら、この通り。お前はどうやってもドン・コーネリアスみたいにはなれないってさ」
 褐色の手をヒラつかせた青年が大きなため息をついた。ジェイクは球形サングラスの縁を撫でると、下着のゴム紐を鳴らした。
「ソウル・トレイン・ダンサーを目指しているのかい? だったら、ここじゃなくてシカゴに行くべきだぜ」
「別に、ダンサーになりたいわけじゃない」
「じゃあ、なんだい? 折角の身長が台無しだ」
「黒人はみんながみんな、ダンスが得意ってわけじゃない」
「JA、袋小路だ。考えが迷路に入っている。人生にアリアドネの糸はないんだ。迷路に入った考えは先細りするだけ。ようやく迷路から出た時は、すっかり痩せちまって、ラーゲリ帰りみたいになるだけ。いいかい? それは違うんだ。まず、得意だからと、それを目指す奴は横着をしている。なぜなら、最初から持っているんだからな。遠く、うんと遠い、カリフォルニアやシカゴ、月よりも遠い場所を目指すんだ。散乱しない光、六〇〇本のフラウンホーファー線をくぐり抜けて、核の肝っ玉を握り潰せ」
「どういう意味?」
「グルーヴィ。ジェイク曰く、問うより先に行動せよさ。そのためにも、JA、まずはインパクトだ。今、JAはTシャツ一枚……おれはもっと薄着だが、そこは気にしないでくれ。インパクトほどデカいものはない。最初に見た瞬間、読んだ一行ですべてがキマる。批判も無視も、白い目も全部が称賛だと思っていい。差し当たったインパクトは髪型だ。アフロヘアーがいい。ヌンチャクやサイ、十手、なんでもいいからそんなものをぶら下げるんだ。それとサングラス。JAは優しそうな目をしているからな。何をやるかわからない奴を目指すといい。そうすりゃ、世界が踊る」
 言い終えたジェイクはJAの肩を叩くと「それじゃあな」と言って、桟橋から歩き去った。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。

連載目次


  1. 星条旗
  2. テキサス人
  3. 保釈保証書不要につき
  4. バロース社製電動タイプ前にて
  5. アスク・ミー・ナウ
  6. ユートピアを求めて
  7. ヴェクサシオン
  8. フィジカル
  9. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
  10. ジェリーとルーシー
  11. プレイヤー・レコード
  12. イースタン・タウンシップから遠く離れて
  13. エル・マニフィカ ~仮面の記憶
  14. バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
  15. 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
  16. 窓の未来
  17. セックス・アフター・シガレット
  18. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
  19. アタリ
  20. 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
  21. 回遊する熱的死
  22. 顔のないリヴ・リンデランド
  23. 有情無情の歌
  24. ローラースケーティング・ワルツ
  25. 永久機関
  26. エル・リオ・エテルノ
  27. バトル・オブ・ニンジャ
  28. 負け犬の木の下で
  29. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
  30. エアメール・スペシャル
  31. チープ・トーク
  32. ローリング・ランドロマット
  33. 明暗法
  34. オニカマス
  35. エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
  36. ニンジャ! 光を掴め
  37. バスを待ちながら
  38. チープ・トーク ~テイクⅡ
  39. ブルックリンは眠らない
  40. しこり
  41. ペーパーナイフの切れ味
  42. 緑の取引
  43. 天使の分け前
  44. あなたがここにいてほしい
  45. 発火点
  46. プリズム大行進
  47. ソムニフェルムの目覚め
  48. テイク・ミー・ホーム
  49. オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
  50. 血の結紮(けっさつ)
  51. 運命の交差点
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