プラットフォームも国家も人権と民主主義を憎むけれど、 まだこの国では人間ごと非表示にされるとこまでは行ってない。 かろうじて、 まだ。 アフガニスタンもミャンマーもチベットも香港もロシアも他人事ではない。 名誉ある地位はどこ行った。 非表示にする側にいられると思い込んでるばかばっかり。 長い歳月をかけて民主主義をだめにしていった動きが、 ついに大詰めというか収穫のときを迎えた印象がある。 おれが物理的に非表示にされるそのときに備えてまたひとりごと垂れ流し専用のサーバを建てた。 前回のオール・トゥモロウズ・パーティーズはポルトガルのヒューゴさんに頼ったけれど今度は曲がりなりにも自力。 おかげでボタンやリンクをオレンジ色にするのが楽だった。 それをやったのはおれにとっていいことだったけれど、 日本企業の VPS なんでほんとうにやばい状況になったら結局はだめかもしれない。 このところひどいニュースばかりでこの国もいよいよ 「宿願」 の方向へと舵を切ったらしい。 痛い目に遭った世代が死に絶えたからな。 自衛隊の偉いひとでさえも驚き呆れて嘆くほどめちゃくちゃだ。 よその国も大差ないというか、 インターネット全体がもう何年も前からそんな方向だし、 2022 年は民主主義がいよいよほんとうに死んだ年として記憶されるかもしれないね。
アパルトヘイトで成り上がった出自の、 殺人自動車の武器商人を弁護するつもりは毛頭ないけれど、 赤字プラットフォームをけちけち運営するならいわゆる丼砲回避で大規模インスタンスは出禁にするかもしれない。 負荷がかかれば金もかかるからね。 おれんとこは現状どこともつながってないから、 おれに言及されても負荷なんかかかりようがないけどさ。 いや、 でも締め出したところで負荷は防ぎようがないか。 単に連合からの閲覧を拒否すればいいだけで、 でも連合側では別にツイートを言及できないとかの騒ぎにはなってない。 まぁいいんだけど、 こういうのはそこそこ話題になるし、 胸部や太腿を強調した子どもの絵を公道に曝すことにかけては、 狂ったように表現の自由を主張するくせに、 国家があきらかにやばい方向に進んでいてもだれも気に留めないんだから、 どいつもこいつもおめでたいな、 みんなくたばれよと思う。 国家に調教され去勢されて勇ましいことを叫ぶばかりの不抜けた阿呆ばかりだ。 おれは似たような経験をしただれかの役に立ちたくて、 笑いにすることで人生の元をとりたくて、 ただふつうにおもしろい小説を読んだと思ってもらえればそれでいいのだけれど、 ただそれだけのことが、 プラットフォームの客層やアルゴリズム、 国家の説く道義といった、 本の内容とはかかわりがないところでうまくいかない。 もっといえば権力におもねる大出版社様がたの方針だよな。 だれもかれもがいいなりの腰抜けばかりだ。 おれはそんな恥ずかしいやつにはなりたくない。 抗う方法を模索している、 ガリ版刷りの詩集を隠し持ってまわし読みするみたいにしてね。
楽犬舎は価値がないことを意識しないですむ場所にしたいんだ。 ただ、 気兼ねなしに垂れ流したい。 でも連合やフォローの機能が半端にあるものだから、 寂しく感じさせられてしまう。 CSS で非表示にしようかな。 最後に何も残らないくらい、 ほんとうのほんとうに突き詰めれば、 おれはだれかに認められるために書いてるわけじゃないんだ。 読まれることは必ずしも前提じゃない。 そのことは最後に何も残らないくらい、 ほんとうのほんとうに突き詰めて考えて、 幾度もあれこれ試したから、 断言できる。 おれは自己愛者じゃない。 父親みたいな虫のいいサイコパスじゃないんだ。 でもそれとは別に弱い気持もたしかにあって、 それが入り込んできておかしなことになる。 だれかをフォローすれば、 価値ある他人に思考や気持が乱されるし、 フォローバックされないことで無価値を思い知らされる。 なのにその機能があると、 使わないのが寂しくなる。 いやだな。 おれはおれがきらいだ。 おれの言葉を企業に握られてたまるか、 と若いころは意地をはってオープンソースの道具で書こうとしていたけれど、 当時の Linux の日本語環境は貧弱で、 ろくなフォントもなければ (東風フォントが権利問題で中華フォントみたいになった直後だった) 漢字変換もお粗末だった。 音をあげて Mac に移行して、 それからずっとプロプライエタリで書いている。 いまじゃ CotEditor がなければ小説もコードも書けない。 小学生レベルの漢字変換すら満足にやれないくせに優等生気どりの Atok には耐えがたい瞬間がたびたびあるけれど⋯⋯。
人格 OverDrive の 「著者」 は内部的には author と tag に分かれていて、 前者を後者にリダイレクトすることで見かけ上、 統合している。 以前は ActivityPub 対応していたので別々にせざるを得なかった。 また ActivityPub 対応に戻すことを考えている。 寄稿者をフォローすれば Mastodon や Misskey のタイムラインに人格 OverDrive の記事が表示され、 リプライすれば人格 OverDrive ではコメントとして表示される。 そのために戻そうと試行錯誤していた。 そうすると tag に author へのリンクをカスタムフィールドで設定して、 そこに入力があれば author へリダイレクトするように誂えなければならない。 author のウェブサイトを tag に設定しているからリダイレクト先でまたリダイレクトされるようなおかしな流れが生じる。 人格 OverDrive では書籍単行本のメタファを使っていて、 それと記事単体の両方が表示されるのは UI の一貫性という観点からよくない。 著者に tag と author が混在するのがそもそも不自然で気に入らない。 そして作業量を考えたら気が遠くなった。 めんどくさすぎる。 以前のテンプレートを 「二度と使うまい」 と判断して消去してしまったのが悔やまれる。 しかしあのときの判断がまちがっていたとは思わない。 不自然なことはしないほうがいい、 なるべく簡素にまとめたい。 何かいい方法はないか。 tag のほうに author のフィードを表示させることはできないか。 ただ記事一覧を表示させるだけなら可能だけれどフィード的な情報がどうなるのかわからない。 技術的なことに疎いおれの理解では ActivityPub は RSS フィードの発展形みたいなもんで、 要はそれが読めるようになっていればいいはずだ。 丸一日、 試行錯誤してあきらめた。 そこまでして ActivityPub 対応する意味もないか⋯⋯更新通知ていどの意味しかないんだし。
前よりも整合性のあるすっきりした UI がどうしても考えつかなかった。 うちでは連載を本に見立てている (=綴/閉じている)。 記事は本の一部なので、 記事単体で見せるやり方 (=ソーシャル/ひらかれている) になじまない。 本は言葉ないしそれに類するものをパッケージしたものなのだけれど、 それを紙も epub も使わずに、 概念だけでやっている。 具体的には書影のメタファとリダイレクトでやっている。 これをやっているのは世界でおれだけなので、 いまここに書いたことの価値はおれにしか理解できない。 それがちょっと寂しい。