バラクーダ・スカイ
第10話: ジェリーとルーシー
海岸線をひた走る黄色のフォード・ランチェロの助手席ではダッシュボードに両足をのせたルーシーが長いブロンドの髪を掻き上げ、大きな欠伸をした。ルーシーは素肌の上に羽織っただけのレザージャケットのポケットからコカインを吸引するためのガラスパイプをとり出した。ハンドルを握るジェリーはスライドサングラスの縁をフックのように折り曲げた人差し指で撫で、口笛を吹いた。ルーシーはコンバットブーツの踵でダッシュボードを打ち、靴紐の先端を覆う半透明のプラスチックが揺れた。
ルーシーが「クソみてぇだ」と言うと、ジェリーは整髪料で輝く髪を一撫でしてから足下に置いたジョニー・ウォーカーの瓶を掴んでルーシーに渡した。栓を開けたルーシーが喉を鳴らしながらウィスキーを飲み、ベルトを外してレザーパンツをずり下げる。そして陰唇に触れた。
「なぁ、クソッタレのジェリー。酒を飲むとヤリたくなるのは、どうしてだと思う?」
「おれが知るか」
ルーシーは自身の女性器に向かって「なぁ、お前ぇはどう思う?」と言い、腰を上下させた。呆れた顔でジェリーが
「ラングーンの前ではお行儀良くしろよ」
ルーシーが中指を突き立て、ジェリーは「わかったか?」と念を押した。
「OK、クソのジェリー」
「たしかに、クソみたいな仕事だ。それは認める」
「実際、この前はメキシコからクソ運搬車の運転だもんな」
ジェリーが苦虫を嚙み潰したような顔で「忘れたい仕事だ」と言い、ルーシーは下腹部を撫でた。
「クソ運搬車のために死んだ野郎の顔を思い出すと笑っちまう」
「こっちの国境警備隊だったらマズかった」
「あの中身、コカインだったんだろ? 吸っておきゃあ良かった」
ジェリーは突き立てた人差し指をひび割れた唇に近付け息を吹きかけた。
「詮索好きは早死にする」
「お前ぇの教師みてぇな言い方には反吐が出るよ。首から上はお上品なことを並べるのに、知らん顔でしゃぶらせる野郎」
「実体験か?」
ルーシーは手をヒラつかせながら「さぁな。どちらにせよ、ぶっ殺してやった」と言うと、ジェリーが口笛を吹いた。
「ラングーンはお上品なことを言う奴じゃないから安心だ」
「そんな奴、知らねぇよ」
「これから知るんだよ。嫌でもな」
「お尻あいってわけだ。ホモのジェリー」
ため息をついたジェリーがスライドサングラスの縁を撫でる。後続車のライトがサイドミラーに反射し、ジェリーが舌打ちした。
「おれはお前にコカインをやめろと言わない。おれの前でオナニーするなとも。だから、お前もおれのことをとやかく言うな」
口を尖らせたルーシーが「こりゃ、ケツ礼」と言った。後続車からクラクションが鳴らされ、ジェリーは窓から出した手をヒラつかせた。車線変更をした後続車が猛スピードで追い越し、灰色の煙がフロントガラスを曇らせる。ジェリーが悪態をつくと、ルーシーはジョニー・ウォーカーの瓶の先端を白っぽく変色した舌先で舐めた。カー・スピーカーからグレイトフル・デッドの『ダーク・スター』が流れ出す。定期的なパルスが叩かれず、『トビト記』や『チベット死者の書』といった埋蔵された書物から掘り起こされた、感謝する死者たちの瞑想的なインプロビゼーション。スピーカー越しに漂うヒキガエルの涙、ジメチルトリプタミンの甘い響き。
ジェリーが「ひとまず、メシにしよう」と言うと、ルーシーが
「金がねぇ」と言った。ジェリーは首を振り、襟と皮膚が擦れる音が響いた。
「後先考えずにナックルダスターなんて買うからだ」
「ケツしか見てねぇお前ぇと違って、モノを見ているんだよ」
「金を貸してやる。言っておくが貸しだ」
「OK、ケチのジェリー」
「わかったら、さっさとズボンを上げろ」
腰を上げたルーシーはレザーパンツを上げてベルトを締めた。
オーシャン・レーンのイタリア料理店で食事を終えた二人はフォード・ランチェロに寄りかりながら煙草を吸っている。ケシの花が刺繍された白いヌーディスーツにつけられたばかりの、赤い小さな染みを見つけたジェリーが舌打ちした。
「ソースを飛ばしやがって……これがいくらしたか知っているか?」
ルーシーが首を振り、腰まで伸びたブロンドの髪が波打った。ルーシーはイタリア料理店の外壁の上部に取り付けられた枯れたヤシの葉を眺めながら笑みを浮かべた。
「なぁ、ジェリー。あれ、ニセモノだと思うか?」
ジェリーは黄土色の外壁を見て「さぁな」と答えた。レザージャケットのポケットからライターをとり出したルーシーが爪でスイッチを引っ掻き、歯車が軋んだ。
「燃やせばわかるぜ。燃えればホンモノ。燃えないならニセモノ」
「プラスチックは燃える」
ルーシーがライターを宙に放り投げ、ライターはルーシーのてのひらに落ちた。ルーシーはこの世には運命の悪戯など存在せず、幅のない一本の線によって構成された完璧な幾何学であるという真理を伝える導師のように自信に満ちた笑みを浮かべた。
オールバックスタイルを撫でたジェリーは整髪料が付着した手を振り、外壁についた配電盤の蓋とずんぐりした青いポリバケツを見た。煙を吐いたジェリーが
「ラングーンの事務所は近くだ」と言うと、ルーシーは外壁の上部から垂れるヤシの葉をライターの火で炙った。ルーシーは収縮しながら溶けていく葉の先端から立ち上る黒っぽい煙を吸った。
目を細めたジェリーが「偽物だな」と言い、ルーシーはコンバットブーツの踵でアスファルトを鳴らし「イキそうだ」と言った。
連載目次
- 星条旗
- テキサス人
- 保釈保証書不要につき
- バロース社製電動タイプ前にて
- アスク・ミー・ナウ
- ユートピアを求めて
- ヴェクサシオン
- フィジカル
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
- ジェリーとルーシー
- プレイヤー・レコード
- イースタン・タウンシップから遠く離れて
- エル・マニフィカ ~仮面の記憶
- バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
- 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
- 窓の未来
- セックス・アフター・シガレット
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
- アタリ
- 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
- 回遊する熱的死
- 顔のないリヴ・リンデランド
- 有情無情の歌
- ローラースケーティング・ワルツ
- 永久機関
- エル・リオ・エテルノ
- バトル・オブ・ニンジャ
- 負け犬の木の下で
- バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
- エアメール・スペシャル
- チープ・トーク
- ローリング・ランドロマット
- 明暗法
- オニカマス
- エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
- ニンジャ! 光を掴め
- バスを待ちながら
- チープ・トーク ~テイクⅡ
- ブルックリンは眠らない
- しこり
- ペーパーナイフの切れ味
- 緑の取引
- 天使の分け前
- あなたがここにいてほしい
- 発火点
- プリズム大行進
- ソムニフェルムの目覚め
- テイク・ミー・ホーム
- オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
- 血の結紮(けっさつ)
- 運命の交差点