バラクーダ・スカイ

連載第9回: バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ

ブラインドサックスの名手、フリーランチは害虫駆除剤で脳漿旅行の真っ只中。ヘドロとカドミウムの上澄みに首まで浸かったフリーランチが九生地区にあるゴミ溜めアパートで目を覚ましたのは午前一時。空より高いHCTIB放送局がサイン波で構成されたチャールズ・ミンガスの『ポークパイハットよ、おさらば』を垂れ流しはじめると、フリーランチは丸めた新聞紙ベッドから起き上がり、そのまま勢いよく、窓から飛び降りる。酸性雨避けコートに気化した瀝青が染み込んでいく。フリーランチはモンゴリアン・デスワームの如きトンネルを走るオープン均士に見事不時着。フリーランチがイギリス訛りで「スーパーカリフォルニアエクステンドシドヴィシャス」と言う。毒虫が戦争の穴に放り込まれる。
「ようこそノヴァへ。三月の虹、どこに行きます?」
 均士ラジオ、真空管の中で鉱石が秘密の輝きを放つ。フリーランチは酸性雨避けコートのポケットから赤煙硝酸入り角砂糖をとり出して口に含む。すると、フリーランチの顔が黄ばみ、膨らんだ毛細血管が同音連打。フリーランチは中折れ帽子、次いでシャツの丸襟に手をやる。
「テラヘルツ劇場に向かってくれ」
 均士運転手はモールス信号のようにアクセルペダルを踏み、フリーランチはブラインドサックスの見えない孔を指で塞いで息を吹き込む。
 テラヘルツ劇場のステージはガラス製。ステージは所々、ヒビが入り、裂け目は綿埃で埋められている。ステージの上ではマスク姿の筋骨隆々が前衛的ルチャ・リブレ、ルチャ・ダダの試合中。ルチャ・ダダにルールはない。既成の秩序、常識を否定するためのルチャ・リブレ。人間が最も粗野で、剥き出しの感情を表現するために開発された肉体的非言語コミュニケーション。アドレナリンの絶頂、チャールズ・ダーウィンのハースヤ。オマル・ハイヤームの一節を繰り返す自動音声装置はユーナーニ医学。アイルランド訛りのアナウンス、ベースラインは可聴領域ギリギリ。振動が猫の喉のようにゴロゴロ鳴る。フリーランチは隅で佇む給仕用ロボットに話し掛ける。
「おれの出番は?」
「モット、大キナ声デ言ッテ下サイ」
「鉄屑」
「ヴァイス社製最新式モデル ハ 最高品質ノ鉄屑ヲ、オ約束シマス」
「どこでそんなジョークを覚えたんだ?」
「標準採用デス」
「千人力ならぬ万人力ってわけだ」
 ガラスのステージに真っ黒い大砲が置かれ、子供のような身長の五人の男たちが次々とあらわれる。
 フリーランチは赤煙硝酸入り角砂糖を奥歯で噛み砕き、セスキテルペンラクトンの苦汁で流し込む。小男たちが一人ずつ大砲に入ると、大砲は点火。人間マシンガンが発射される。赤煙硝酸入り角砂糖を噛み砕いたフリーランチはヒモ状原子のサックスケースを撫でる。
 九生地区の雑多なネオン。フリーランチは路上に虹をかけ、虹の上を確率論数値が魔法を唱える。酸性雨避けコートの袖で口元を拭い、虹の残滓がこびりつく。フリーランチはポケットから赤煙硝酸入り角砂糖をとり出して噛み砕く。そして、膨張した筋繊維が糸ミミズのように動き出す。

 鳴り続ける電話の音で目を覚ましたジェイクは吸いさしのマリファナに火を点け、ひっくり返ったまま床に落ちている麦わら帽子を拾った。細切れにされた言葉の紙吹雪が舞い、笑みを浮かべたジェイクが受話器を手にとる。
─ 留守かと思った。
 ジェイクはタイプライターから巻物のように吐き出されている紙を眺め
「ちょっとばかり、出掛けていたんだ。それで、クエンティン。何か用かい?」
─ 君の印税。振り出した小切手を郵送した。
「グルーヴィ」
─ USメールでも三日ほどで着くだろう。
「郵便喇叭が吹き荒れそうだ。ところでクエンティン。目を覚ました時に、書いた覚えがないものをタイプライターが噛んでいたことはあるかい?」
─ そういうことはないよ。残念ながらね。私の小説を読んだことがあったのかい?
「続けたほうが良かったと思うぐらいには面白かったぜ」
─ 私には才能がない。
「才能なんていう、目に見えないものを、あるかないかなんて判断する材料がどこにある?」
─ 飢え死にしたくない。
「まぁ、そうだな」
─ 進捗は?
「青い鳥を捕まえるのに四苦八苦しているよ」
─ 君ならできる。
「まぁ、やってみるさ。終わらないものなんてないんだからな」
─ また、電話するよ。
「グルーヴィ」
 受話器を置いたジェイクはタイプライターの前に立ち、ボタンの上に指を置いた。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。

連載目次


  1. 星条旗
  2. テキサス人
  3. 保釈保証書不要につき
  4. バロース社製電動タイプ前にて
  5. アスク・ミー・ナウ
  6. ユートピアを求めて
  7. ヴェクサシオン
  8. フィジカル
  9. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
  10. ジェリーとルーシー
  11. プレイヤー・レコード
  12. イースタン・タウンシップから遠く離れて
  13. エル・マニフィカ ~仮面の記憶
  14. バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
  15. 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
  16. 窓の未来
  17. セックス・アフター・シガレット
  18. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
  19. アタリ
  20. 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
  21. 回遊する熱的死
  22. 顔のないリヴ・リンデランド
  23. 有情無情の歌
  24. ローラースケーティング・ワルツ
  25. 永久機関
  26. エル・リオ・エテルノ
  27. バトル・オブ・ニンジャ
  28. 負け犬の木の下で
  29. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
  30. エアメール・スペシャル
  31. チープ・トーク
  32. ローリング・ランドロマット
  33. 明暗法
  34. オニカマス
  35. エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
  36. ニンジャ! 光を掴め
  37. バスを待ちながら
  38. チープ・トーク ~テイクⅡ
  39. ブルックリンは眠らない
  40. しこり
  41. ペーパーナイフの切れ味
  42. 緑の取引
  43. 天使の分け前
  44. あなたがここにいてほしい
  45. 発火点
  46. プリズム大行進
  47. ソムニフェルムの目覚め
  48. テイク・ミー・ホーム
  49. オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
  50. 血の結紮(けっさつ)
  51. 運命の交差点
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