バラクーダ・スカイ

連載第3回: 保釈保証書不要につき

ハーフパンツにゴルフウェア姿の男が街路樹の幹に手を置いた。男はペインティングナイフで厚塗りされたような樹皮を爪で引っ掻き、髪色と異なるつけ髭を撫でた。片足を上げた男は焦げ茶色をした革靴の靴底を見る。視線を上に逸らして、二足歩行するクマがプリントされた靴下を見た。大きなため息をついた男はサングラスの縁に触れ、アルザス通りを歩き出した。男はシャンパングラスのような形に刈り込まれた五本のツバキの前で立ち止まると横を向いて、シャッターが半分開いたガレージに向かって歩き出した。白いシャッターを片手で持ち上げた男が
「いるか?」と言った。天井に取り付けられた赤外線センサーが赤黒く点滅した。ガレージの奥にある電子錠が開錠される音が響き、男はドアに近付いてドアノブを捻った。
 横長の事務机、横積みされたファイルと書類、腕と首がない石膏トルソ像、天井から垂れ下がるフィルム、窓辺に置かれた海水水槽。事務机に置かれたワープロのキーを叩いた男が口角を吊り上げた。
「ジム・フライ、お前の保釈保証書は書けない。なぜなら、護送中に逃げ出したお前には保釈される見込みがないから」
 ゴルフウェア姿のフライはこめかみを掻いて「随分な言われようだ」と言った。男はワープロの電源を落として立ち上がった。薄桃色の背広の下に着ているシャツにはヘルメスがプリントされている。フライが言う。
「トラウトマン、なんとかならないか? 前に助けてやったことがあるだろう?」
 トラウトマンは片眉を上下に動かし「借りは返した。保釈保証書を書いてやった。タダで」
「つれないな」
 首を振ったトラウトマンが
「おれの仕事は保釈金の二パーセントでしかない。保釈金は保険会社が支払う。フライ、お前は保険に加入しているか?」
 フライはハーフパンツのポケットに手を突っ込むと、裏地を引っ張り出し「薄情者」と言った。
「文無しの言葉は耳にも心にも響かない」
「おれには助けるだけの価値がないか?」
「そうだ」というトラウトマンの声は取り付く島もないほどハッキリしたものだった。フライは窓辺に置かれた海水水槽を見る。水槽の中に魚は泳いでおらず、砂が敷かれているだけのように見えた。
「そっちのほうが、価値がなさそうに見えるがね」とフライ。肩を竦めたトラウトマンが
「海の星、ヒトデだ。その五芒星は有機物を僅かに食うだけで生きる。価値がある」
「ラングーンと話がしたい」
 片手を左右に振ったトラウトマンが「お前がすべきことはラングーンに申し開きをすることじゃない。お前にできることは国境を超えることだけだ。チリがいい。ピノチェトは狂っているが、チャンスがある」
「高飛びなんて真っ平だ。なぁ、トラウトマン。昔のよしみで金を貸してくれ」
「インディアンは贈り物をすると叩き壊すそうだが、釣り合うものを差し出して交換するのがビジネスだ。フライ、お前はインディアンか?」
 顔を顰めたフライは腕に目を落とし「一滴ぐらい血が混ざっているかもな」と言うと、トラウトマンは青々とした目から下だけを吊り上げ、事務机の引き出しから封筒を引っ張り出した。
「ワンドロップ・ルールの慰謝料だ」
 フライは封筒を二つに折り、ハーフパンツのポケットにしまった。
「恩に着る」
 気のない様子でトラウトマンが「靴下を買え」と言い、フライは
「そうさせてもらうよ」と答えた。ジム・フライが出て行くと、トラウトマンは受話器を手にとってタイヤルを回した。海水水槽の中は波打つことなく、ヒトデが沈んでいるだけ。デスクに足をのせたトラウトマンが言う。
「ラングーン。会いたくてたまらない奴が来たぞ。誰だって? それを言わせるのか? 詳しくは、そちらに行ってから話す」
 受話器を置いたトラウトマンは海水水槽に向かって笑みを浮かべ「あとで水を変えてやる」と言った。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。

連載目次


  1. 星条旗
  2. テキサス人
  3. 保釈保証書不要につき
  4. バロース社製電動タイプ前にて
  5. アスク・ミー・ナウ
  6. ユートピアを求めて
  7. ヴェクサシオン
  8. フィジカル
  9. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅡ
  10. ジェリーとルーシー
  11. プレイヤー・レコード
  12. イースタン・タウンシップから遠く離れて
  13. エル・マニフィカ ~仮面の記憶
  14. バロース社製電動タイプの前で ~テイクⅢ
  15. 炸裂する蛾、網を張る蜘蛛
  16. 窓の未来
  17. セックス・アフター・シガレット
  18. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅣ
  19. アタリ
  20. 小カンタベリー、五人の愉快な火かき棒
  21. 回遊する熱的死
  22. 顔のないリヴ・リンデランド
  23. 有情無情の歌
  24. ローラースケーティング・ワルツ
  25. 永久機関
  26. エル・リオ・エテルノ
  27. バトル・オブ・ニンジャ
  28. 負け犬の木の下で
  29. バロース社製電動タイプ前にて ~テイクⅤ
  30. エアメール・スペシャル
  31. チープ・トーク
  32. ローリング・ランドロマット
  33. 明暗法
  34. オニカマス
  35. エル・マニフィカ ~憂鬱な仮面
  36. ニンジャ! 光を掴め
  37. バスを待ちながら
  38. チープ・トーク ~テイクⅡ
  39. ブルックリンは眠らない
  40. しこり
  41. ペーパーナイフの切れ味
  42. 緑の取引
  43. 天使の分け前
  44. あなたがここにいてほしい
  45. 発火点
  46. プリズム大行進
  47. ソムニフェルムの目覚め
  48. テイク・ミー・ホーム
  49. オン・ザ・コーナー ~劇殺! レスリングVSニンジャ・カラテ
  50. 血の結紮(けっさつ)
  51. 運命の交差点
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