夜の雑記帖

連載第15回: 「ぼっち」に捧げる夜想曲

Avatar photo書いた人: 一夜文庫
2022.
12.05Mon

「ぼっち」に捧げる夜想曲

昔ひとり暮らししていた頃部屋に来た男に本が多すぎるよ段ボール一箱以内に減らせこれじゃ結婚できないよと言われた

これが私にとって死刑宣告にも等しい言葉であることはこの駄文をお読みくださっている皆さんならよくお分かりいただけると思う普通に泣いた。 「そんなことをしたら死んでしまうよと言ったら間髪入れずに死なないよ!と返ってきた肉体的には死ななくても心が死ぬのだがそれを分かってくれるような人ではなかったそれだけが原因ではないけれどその男とはもちろんうまくいかなかった

非モテの私ではあるがそれなりの年月を生きてきたので出会いもあれば別れもあったプロポーズされた男からは全力で逃げた結婚願望がなかったわけではないそいつとは無理だったからだ互いに全く気が合わないのは分かっていてそれでも互いに世間体を保ちたいだけで付き合っていた三十代始めでその関係をぶっちぎってひとりで生きてひとりで死ぬ覚悟を決めたその覚悟は今も私の胸に刻まれている

杜昌彦氏の小説ぼっちの帝国を読んで思い出したのはその頃のことだった

仕事の派遣先でモメて契約を切られ彼氏に捨てられ財布の中身も帰る部屋もなくし全てを失って帰郷した主人公の権田原明日香は謎のアパートでの住み込みの家政婦の職を得るアパートの住人は無愛想な作家だの女性を連れ込みまくるデブだのヤンキーのゲイだの引きこもりだの怪しいやつらばかり変なおっさん達は独身中年男性向けの新たなウェブマガジン兼ソーシャルメディアを立ち上げようとしているらしい

戸惑いながらも変なやつらと新しい仕事に慣れていく明日香は一方で地元の同級生たちとも再会し友達付き合いをしていく自分は二十代後半にもなって独身で変な仕事について全然普通にできていないのに地元の友達は皆ちゃんと結婚して家庭を築いている取り残されたような明日香の気持ちは私にもよく分かる私もそうだったしこの気持ちは男女中性共に一定の年齢を過ぎても独身のひとは多かれ少なかれ感じたことがあるはずだそんな明日香の前に少女漫画なら理想のカップルになれるようなスペックの男が現れる高校時代に片思いしていた憧れの先輩だこれが少女漫画なら即めでたしめでたしのハッピーエンドなのだがそうはいかないのが杜作品で⋯⋯

私の記憶が間違っていなければ杜氏は以前この作品をフェミニズム小説と称していたはずだ確かに根底に流れる著者の魂のようなものはそうだといえるがこの物語はまず第一に読んで楽しいエンターテインメント作品なのでその言い表し方はちょっと損かなと私は思っていた明日香が住み込むことになる怪しい屋敷とそこの怪しい住人たち彼らが展開しようとするウェブサービス明日香の周りの奇妙で魅力的な人物たちが同じ屋根の下で付かず離れず暮らしていく様子やがてその関係が変わっていく息つくような展開はどんどん苦しくなっていくのにいやむしろそうなっていくからこそ目が離せず読むのを止めることができない

なんとなく惹かれる気になるひと高校の同級生だったおっさん達の濃密な関係性孤独な作家と愛されたことのない子どもの強い信頼全面的な親愛の情をくれる老婆信頼しあうひととひととのつながりには普通」 「常識」 「社会」 「世間体といった規範のみで縛られたような歪さはない自立した個人と個人の心の結びつきがあるいま個人と書いたがどうもしっくりこない。 「という感じがするひとは本来誰もが誰でもないたったひとりの自分だ誰もが孤独だ彼らはその孤独をまるごと抱えて生き基本的にはそれぞれ独立したひとりでありながら時にそれぞれの孤独を抱える他人と共鳴し寄り添いあう互いを個として認め時にはぶつかり合っても踏み込むべきではない線はきっちり引きそれでも越えなければいけないときは踏み込みひとりで生きていきながら共に伴走するかのように物語を駆け抜けていく

物語の中盤から明日香は自分らしさを取り上げられ何かに縛られていくそれは周囲の人々だけのせいだろうかもしも彼らに植え付けられた思想や常識が違っていたら誰が誰を縛ることもなかったのではないか私達は簡単に普通と口にする。 「普通ってなんだろうなんとなく漠然と多くの人のイメージする普通がある安定した職につき遅くとも三十代までには結婚して子どもを二人くらい産み育て郊外に一軒家を買って暮らすというような家電やら洗剤やらの CM に登場しそうな普通に幸せな家庭のイメージたかだか戦後数十年の間にできたもののはずなのにそれができないひとの居場所はここにはないとでも言わんばかりの頑強なイメージ自然にそうできるひとは素晴らしい価値観の合うひとと出会い共に歩む人生はかけがえのないものだ私の出会った素敵なご夫婦は皆さんそういう感じなのでそんな素晴らしい人生もあるということは分かるだけどそれに当てはまる生き方がどうしてもできない人間がいる私もそうだ結婚もできなかったが仕事もできるほうではないみんなができることを私はできない私は普通に当てはまらないから幸せではないのだろうかおかしいな自分では自由気ままに生きてとても楽しいのにどうしてみんな私をそんな哀れむような目でみるのだろう

普通という概念は案外強いもので気にしていないつもりでも振り払ってうまく逃げおおせたつもりでもいつのまにか脳裏に芽生えている明日香がそんな普通にからめとられ縛られていく苦しい中盤からのラストの展開は凍てつく冬を越えた先に雲間から差す春の日差しのような温かさがあるなんの打算も役得もなくただ互いが互いであるからこそ大切に思いあえる仲間の存在の得難さが胸に染み渡る

私は生産性のない生き方をしていることに今でも引け目のようなものは感じている自分の好きなことだけをする生き方が許されるのは私が自由な独身貴族だからだ好きな仕事をして趣味にかまけてふらふら遊んでばかりの私は色々な場面でいたたまれない気持ちになることが度々ある

だけど私にそんなふうに思わせているのはいったい何なんだろう誰なんだろう

読書や古本市を楽しむことは無為なのか文章を書くことは無為なのか当たり前の社会人としての要件を満たしていない自分には気兼ねなく楽しいことを楽しむことも許されないのか社会にとって生産性がある活動でなければおこなうことは許されないのか

そうじゃない! そんなはずないんだ! という叫びが、 『ぼっちの帝国という作品の根底にある

自分の違和感を信じろ行きたいほうに行け! という力強い肯定がある

かつて私が悩みながら震えながら出した答えがそこにあった私の生き方はやっぱり私にとっては間違っていなかったのだ

いまだに根強く残る普通にさらされて居心地の悪い思いをしながら必死に生きているひとみんなにこの物語を読んでほしい

そんなふうに思っているのはあなただけじゃない

ぼっちの帝国


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。人格OverDriveに憧れてダメ元でお願いしたら書かせて頂けることになってしまい震えている。永遠の前座。
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