Pの刺激

第18話: 『妄想老人日記』その2

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.25

青葉大学付属図書館所蔵。未発表作品。『妄想老人日記』最終回の草稿か。B5コピー用紙にレーザープリンタで印字。二十字×二十行。左下に通し番号が付されている。冒頭六枚、中間三枚の計九枚が散逸。保存状態は悪く、原稿のすべてに丸められた皺がある。一部に昆虫(蚊?)の体液と思われる黒い点状の染み。醤油と思われる褐色の丸い染み。破れで数カ所が判読不能。地下書庫に保管。傷みが激しいため一般の閲覧は不可。

 ……そう、奴はカルトと癒着してたってわけさ。息子の話は前にしたよな。おれの血が流れてるとは信じがたい優等生よ。その息子がよりによって奴の娘と出来ちまった。せっかくのコネを使わん手はねえ。悩める信者を装い、道場とやらへ潜入した。そこで運命的な出逢いがあった。Pだ。
 道場は古くからの住宅街にある。広大な敷地を囲む土塀はまるで寺さ。実際あのご大層な門は潰れた寺から巻き上げたって噂だね。在家信者が門をくぐるたび守衛が呼び止めやがる。一見さんは解放されるまで数分かかる。おれは名刺をくれてやり、支倉の使いだと告げた。コネは効果抜群さ。板張りの道場は大した眺めだったぜ。白装束が百名ばかり伏し拝んでる。祭壇前の玉座にふんぞり返るのが教祖だ。毛虫みたいな眉毛、瓢箪みたいに腹の膨れた体、筋ばった手足。神主気どりの浄衣やひげはまるで滑稽な扮装だ。老婆の頭上に大幣をかざし、眼をつぶってゴニョゴニョ唸った。老婆は合掌、床に額をすりつけて感涙さ。
 祈祷の唸りが高まって幹部どもが現れた。黒い錠剤を盛った三方を捧げ持ち、信者のあいだを練り歩く。信者らは拝みながら錠剤をつまむ。当然おれも頂戴した。実はこいつにはチョイとした噂があった。盛り場で小耳に挟んだのさ。それは(約一行判読不能
「本日の儀式を執り行う」
 教祖が長たらしいご託宣を述べる。信者どもはもう待ちきれねえ。虚ろな眼で落ち着きなく体を揺すった。ようやく合図だ。儀式が始まった……。そこで見たことはこのおれでさえ書く気になれねえ。幻覚のせいじゃねえぜ。連中は本気で聖なる儀(以下、三枚なし
 化学臭がしたかと思うと耳鳴りがして目眩に襲われた。信者も道場も薄れて消え、暗い四辻が現れた。鮮やかな濃緑の葉、毒々しい赤い実。頭上の枝や浮き上がった根は血管のように絡み合う。鬱蒼たるシダ、巻きついて垂れ下がる蔓。ねじくれて瘤のある幹や岩。空は鉛色の厚い雲に覆われ、幾重にもなる葉からはひと筋の陽光も射さねえ。踏み固められた二本の獣道が交わる暗がりに、腑抜けよろしく突っ立ってるって寸法さ。背中の歪んだ猿どもが翼をバタつかせて飛び跳ねやがる。口々に甲高くわめいた。
「キーッ、キーッ! おまえの名は生之介だな?」
「生之介だ、生之介だ!」
「誰だろうと関係ねえだろう……」
「『PUNK』はどうなった、キーッ!」
「どうしてそれを知ってる」
 さすがのおれも動揺した。珍しく取材に入れ込んでるのも、筆ならぬキータイプが進まなくなったからだ。夜明まで足掻いても珠玉の文章は湧き出てこねえ。編集者には決して認めんがね。
「書けるようにしてやってもいいぜ、キーッ!」
「不滅の芸術を物したくないか、キーッ!」
「どういう意味だ……」
「キーッ、悪夢は魂を引きずり込む!」
「キーッ、魂を頁に塗り込め、千年読み継がれる!」
 連敗続きの賭博師みたいなもんだ。無関心を装おうとしても釣り込まれちまう。顔に出たんだろう。猿どもは手足を打ち合わせて飛び跳ね、狂喜した。腐った(一文字判読不能)の臭いが押し寄せた。
「キーッキーッ、取引だ!」
「心臓には心臓を!」
「人間どもの魂にはおまえの魂を!」
「おれの魂を売れだと……。引き換えに魔力を寄越すってか。阿呆らしい。魂なんぞエテ公の手など借りんでも奪えるさ」
 猿どもはおれを指さして爆笑した。おれは連中の首を締め上げてやろうとした。捕らえる寸前で逃げられる。猿どもは嘲弄するように逆立ちや側転やバック転をした。終いにゃこっちは汗だく、舌を出して息をする有様さ。
「ふん、考えてみりゃそいつも面白え……。使い古しの魂なんぞくれてやる。やってもらおうじゃねえか!」
 猿どもはその言葉を待ち構えていやがった。風もないのに密林がざわめいた。連中は皺くちゃの赤ら顔でニヤついた。絡み合う枝がしなって覆い被さってきた。堆積した枯葉が沈んで両足を呑み込む。どす黒い蔓が体へ巻きついた。
「畜生、騙しやがったな!」
 喉や肋骨を締めつけられ身動きがとれない。猿どもは甲高く笑うだけだ。ナメクジのような蔓が顎をこじ開けようとする。歯を喰いしばって抵抗した。唇が裂け前歯がへし折れ、ずるずると喉から体内へ侵入された。腐った味がして金臭い血が口に溢れた。蔓は密林世界のすべてに繋がっていた。シダの茂み。熱帯樹。腐った枯葉。苔むした倒木。毒々しい紅い実。厚い雲に覆われた空……。森羅万象が渦を巻き、黒い靄と化して臓物に入り込んできた。毛細血管を経巡り、全身へ染み渡ってジワジワと同化した。
 猿どもは生贄の儀式よろしく周囲を跳ね踊った。奴らの薄笑いがぼやけて揺らぎ、現実の道場が戻ってきた。夕陽が射していた。信者どもは魚河岸のマグロさながらに昏倒していた。現実では半日が経過してやがった。猿どもの嘲りが鼓膜の奥に残っていた。それからというもの儀式のたびに道場へ潜り込んだ。薬を頂戴してアパートへ戻り、愛機を立ち上げて錠剤を服み下す。化学臭が忍び寄ったかと思うと黒い渦へ呑み込まれる。気がつきゃ樹のうろを睨み、サルノコシカケを叩いてる塩梅さ。
 我が最高傑作はキーが焦げるほどの勢いで書き進められた。言葉が放射能のように風に漂い、全世界へ撒き散らされるのが見えた。(約一行判読不能)おれとPは前世でデカい悪さでもしでかした仲なんだろうよ。一心同体、離れようにも離れられねえ。どうにか盗み出せねえかと、そればかり考えるようになった。幹部は睨みを利かせてやがるし、信者同士も牽制し合ってる。ひと粒でも余計につまんだらすぐバレる。きっとどこかに溜め込んでるに違いない。奴らは決してボロを出さねえ。隠し場所はどうしてもわからなかった。
 素面でも黒い熱を操れるようになった頃、教団の気前が悪くなった。儀式の頻度がめっきり減った。どうも教祖は末期癌らしい。道理であの三流ペテン師、儀式に姿を現さなくなっていた。この地獄耳に漏れ聞こえてきたところじゃ、近々Pの主成分は規制を喰らいそうだった。警察の査察も予定されてた。教団が集団自殺を計画しているとの噂も聞いた。死ぬのは下っ端ばかりなり。幹部は道場に火をつけてトンズラさ。面白いのはその先だ。Pは実は大量に溜め込んである。ほとぼりが冷めたらそいつを撒き餌に信者を集め、教団を復興する魂胆だという。それで配給量を減らしてたのさ。
 快楽をひとり占めする好機だ。おれは一計を案じた。
 こう記す今、実はひと仕事終えてきたばかりだ。信者どもが寝静まった深夜二時。物資の搬入口へ廻ると、誰もいないはずの場所に運送屋のトラックが横づけされてた。幹部どもが声を潜めて指示を出し、手下らに作業を急がせてやがった。照明は最小限で暗かった。積み込みが終わるのを待って猿どもに合図した。どす黒い靄が立ちこめる。教団の連中は毒気を吸って倒れた。プロレスラーみたいなしぶとい男がいて、なかなか意識を失わない。殴り倒してやった。キーキー騒ぐ猿どもを率いてトラックを出した。まんまと分捕りに成功さ。
 通路がひらいた。星雲みたいに渦巻く黒い靄だ。その核へ突っ込んだ。ほかの誰にも見つけようがない隠し場所へ、P満載のトラックを運び入れた。しかるのち現実へ戻り、アパートでこの文章をしたためたってわけだ。読者諸君よさらば。我が愛機で出かける。むさ苦しい四畳半とも磨り減ったキーボードともお別れだ。編集者の前で一世一代の芝居を打ち、世間の眼を欺くのさ。
 異世界への扉は、おれの魂とともにある。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告