Pの刺激

第17話: 失踪者発見

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.25

炎は渦を巻いて弾け、逆流する瀧のように樹々を焦がし、茂みを舐めるように這い拡がった。黒い毒気を吐いて火の粉を胞子のごとく撒き散らした。四方八方から壁のように迫り、頭を庇う郁夫の両腕に降りかかった。郁夫はむせて涙を流した。その涙もたちまち乾いた。睫毛や眉が焦げ落ちて髪の毛が縮れた。燃え盛り爆ぜる音に混じり、鳥の声や猿の叫びが聞こえた。網の目に絡み合う樹木、毒々しい真紅の実、鬱蒼と生い茂るシダ、枝に巻きつき垂れ下がる蔓。すべてが炎に包まれていた。
 人々に蔓延する悪夢に彼自身も感染したのだ。
 横たわる信者らはすでに半数が泥に呑まれていた。眼を見開ひらいた遺体が押し流されていた。祭壇前の医療ベッドは炎に覆われ、舐め尽くされようとしていた。レスラー風の元弁護士と、四角頭でガニ股の元ヤクザが、猿そのものの顔で炎の狭間からこちらを嘲笑した。彼らの背中は瘤のように曲がり、蝙蝠の翼が生えていた。
 郁夫は袖越しに呼吸した。煙と涙で視界が霞んだ。炎の舌をかわし、火の粉や垂れかかる蔓を払って捜し歩いた。歩くたびに足元が沈んだ。瓦礫まじりの熱い泥流には熾火のような光が脈打っていた。大地がぬるぬると動き、床板から泥が油井のように湧き出ていた。歩みを停めれば呑み込まれるのがわかっていた。地面に浮き上がった根にも足を取られそうになった。踏みつけたのが根なのか、信者の手足なのかもわからない。柱は瘤だらけの苔むした大木と融合していた。枝に顔を打たれ、蔓が絡みついた。燃えさかる木が倒れて火の粉が舞い散った。黒煙が渦を巻いて上昇した。
 ——いた!
 前回はなぜ見過ごしたのか。ショートヘアの女。プリクラの風俗嬢だ。スエット上下に裸足、古い鼻血の痕。全身が煤けていた。炎に何日も晒されたに違いない。胸元には古い血の染みがあった。崩落した梁の炎に阻まれて近づけなかった。大声で呼んだ。勢いを増す炎に掻き消された。何度か叫ぶとやっと振り向いた。憔悴した顔に驚きがよぎった。同時に瓦の崩れる音がして大木が倒壊した。
 視界を取り戻したときには女は蔓に囚われていた。蔓は獲物を締めつけ、蛭のように血を吸おうとした。人体を灼くガソリンの臭いに化学臭が混じった。金属的な鳴き声とともに巨大な影が迫った。毛むくじゃらの巨大な蜘蛛だ。蜘蛛は鉤爪を振りかざし、女にのしかかろうとした。体液で照り光る腹がふいごのように動く。顎が花弁のように割れ、牙が剥き出された。煤にまみれた女の顔は蒼白だった。眼の色は正気を失う一歩前に見えた。大蜘蛛は獲物を丸呑みにしようとした。
 郁夫は怒りに取り憑かれていた。炎に灼かれながら蜘蛛の腹部に突進した。外殻を引き剥がすと黒い内臓が飛び散った。蜘蛛は郁夫を頭から噛み砕こうとした。郁夫は手を牙に貫かれ、唾液で灼かれるのも構わずに、蜘蛛の口を力任せに引き裂いた。蜘蛛は黒い粘液を撒き散らし、痙攣して動かなくなった。
 女は化け物を見るように郁夫を見た。郁夫自身も同じように感じていた。
 揺らぐ炎と熱気の向こうに人影が見え隠れした。ヘルズエンジェルスのような格好の老人だった。猫背気味に頭を突き出し、焼死体を眺めてニヤついていた。郁夫は老人に近づこうとして転びそうになった。足首に蔦が絡みついていた。本体が背後から紅い葉をガサガサ鳴らして集まった。郁夫は引き剥がそうともがいた。勢いを増した炎の向こうに老人は消えた。
 郁夫は女の手をつかみ、もう一方の手を便所の扉へ伸ばした。太い蔓が郁夫を絞め殺そうとした。ノブは炙られて赤熱していた。髪の毛を焦がす臭いがして郁夫の手がジュウッと灼けた。扉は樹皮に埋もれていた。渾身の力でこじ開けた。
 水は爆発的に噴き出した。
 視界が乳白色に塗り込められた。ふたりは木の葉のように押し流された。巻きついた蔓は衝撃でちぎれ飛んだ。残骸は奔流に浮き沈みしながら沸騰して煙になった。朽ちかけた倒木、折れた生木、蔓や枯葉。すべてが渦巻く水に流された。火事場は一転して洪水となった。なぜ今までこの手を思いつかなかったのか。十三年ものあいだ彼を苦しめた炎は、白い閃光を放って蒸発した。
 郁夫は事務所のソファーで女を護るように抱いていた。視線が合った。
 郁夫は女から飛び退いて浴室へ駆け込んだ。膀胱からの信号は水のイメージに置き換えられる。川や雨など水にまつわる明け方の夢はそのせいだった。安堵の息をついて水を流して戻った。女はソファーに座って部屋を眺めていた。状況を他人事のように感じているかに見えた。
 信じられないだろうけど、と郁夫は説明を試みた。
「今なら何だって受け入れるわ」女のスエットは焼け焦げて泥にまみれていた。「これ家着なのよ。部屋で飲みながらブログ巡回してた。仕事明けの日課なの。そしたら扉に吸い込まれた」
「おれの悪夢なんだ。餓鬼の頃からうなされてた」
「自殺教団事件?」女はいった。炎の世界について自分なりに思い巡らしていたのだろう。共有できないはずの経験を力ずくで納得させられたのだ。「失踪の翌日、同じ街で起きた事件。生之介ファンなら誰でも知ってる。あんた、あそこにいたんだ……」
「おかげでこのざまだよ。扉に吸い込まれたって?」
「PDFに新しい私家版が公開されてたの。発見されたばかりのPCzを加えた最新版。これまでで一番良くできてた。引き込まれて最後まで一気読みした。変な臭いがして眩暈と耳鳴りがして、何かが視界の隅に見えた。振り返ったら扉があった。悪酔いだと思った。近づいて触ってみた。幻覚とは思えなかった。眩暈でグラグラするし鼻血も出た。あいつの厭がらせだと思った。もう何が何だか混乱して……」
「ストーカーだね。お友達から聞いたよ。君を捜すよう頼まれた」
 郁夫は源氏名を口にした。女は他人に気遣われたことに驚いたようだった。
「扉が開いてからはよく憶えてない。嵐に巻き込まれて気づいたら火事場だった。行方不明の知り合いが何人かいるの。ひとりを一度あの世界で見かけた。呼びかけたけど炎に遮られて声が届かなかった」
 郁夫は女をアパートへ送り届け、お喋りな風俗嬢にメールした。吾朗に連絡を取ろうとした。
「お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が——
 何度試しても繋がらなかった。吾朗もまた私家版を読んだのだろうか。すべての断片の正しい配列を。
 完全版『PUNK』を。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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