Pの刺激

第15話: 特務班との対決

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.25

椎奈が失踪したおかげで郁夫は堂々と事務所に寝泊まりできるようになった。とはいえ手をこまねいていたわけではない。彼女の親は金持ちだ。無事に連れ戻せば金を請求できる。写真機材屋へ赴くと若い男が陳列棚にハタキをかけていた。すぐには丸米とわからなかった。店名入りのエプロンをつけ、坊主頭には手拭いを巻いている。ラーメン屋の見習い店員のように見えた。ニキビはともかく血色はよくなり背筋まで伸びていた。看板娘に気に入られたらしくまとわりつかれていた。「ねぇ遊ぼうよお兄ちゃん」
「お兄ちゃんお仕事しなきゃ……」
 この子どもはいつ学校へ行っているのかと郁夫は訝った。
 働き者を紹介してくれて助かったよ、と店長は上機嫌だった。新入りは早くも営業手腕を発揮していた。何年も埃を被っていた光度計を裕福な老人に売りつけたのだ。六十万もするドイツ製だった。勧誘で鍛えた手腕だろうと郁夫は思った。丸米は郁夫が見せたピンバッチをつまみ上げた。
「あぁ、すんません。すぐ外れるんすよね。造りが粗雑で。どこで見つけました?」
「おまえのじゃない」
 丸米は青ざめて郁夫を見つめ返した。
「ほかにもいるんだろ、特務班。住所を教えてくれ」
「おれたちにとっちゃもう終わったんですよ。今さら掘り返さなくても」
「終わりなんてない。死ぬまでこれが続くんだ」
「じゃ、何のために助けてくれたんすか」
「おまえはそれでいい。おれだけの問題だ」おれと若様だけのな、と郁夫は思った。
 郁夫はバスに乗り、寂れた住宅団地へ向かった。老人と低賃金労働者ばかりが住む地域だ。丸米は数週間前にこの一帯で勧誘活動をしていた。一軒しかないコンビニで、集会でよく見かけるノッポを目撃したという。ノッポはジャージ姿でレジ袋を提げ、アパートの階段を登っていった。部屋番号までは確かめなかったと丸米はいった。リフォーム詐欺の標的にされそうな民家ばかりだった。コイン洗車場、倉庫、資材置き場が並んでいた。幅の狭い坂道をトラックが轟音を立てて通過した。苔むしたブロック塀には消費者金融のブリキ看板があった。通行人の頭を今にも直撃しそうな鉢植えの列のあいだで野良猫が昼寝していた。
 築半世紀にはなるアパートは廃屋のように見えた。地理を憶えて文化横町へ戻り、深夜になるのを待った。壁時計を睨み、枕に頭を乗せた。肉体を抜けて浮上した。あぶくが無数に浮かぶ夜空を、湿った風の抵抗も受けずに飛んでいく。玩具屋の夢からハロウィン用の衣裳を、金物屋の夢から三面鏡を失敬した。夢の一部を盗まれた彼らは、そこはかとない喪失感を抱いて目覚めるかもしれないし、商品が一時的に記憶から抜け落ちるかもしれない。アパートの上空には憶えのある波長が感じ取れた。ほかの住民の泡に混じって、どす黒い泡が三つ寄り添っていた。郁夫は煙のような黒い筋の根元へ降下した。
 窮屈な部屋だった。拉致未遂の三人組が垢じみた煎餅布団でうなされていた。元の顔がわからないほど負傷している。包帯に血と消毒薬が滲んでいた。郁夫は三つのあぶくを玉転がしの要領で融合させた。この悪夢にもまた密林がはびこっていた。他人の悪夢へ潜るたび勢力を増しているかに思える。シダに足を取られ、枝が顔を打ち、蔓が絡みついた。絡み合う樹々のあいだから赤く揺らぐ光が見えた。炎上する道場だった。
 焼け落ちた障子。炎に舐め尽くされそうな床や壁。それに信者らの亡骸。実際にはあの場にいなかった者の夢だ。灯油に焼かれる人体の臭いがなかった。恐怖の磁場はノッポを力点として作用していた。彼のごく親しい人、おそらくは家族が信者だったのだと郁夫は見抜いた。夢なりに細部は練り上げられていた。幼少時から何度も思い描いたのだろう。ひとは納得のいく理由を求めて運命の分岐点へ繰り返し立ち戻る。人生はそうして致命的に変わる。苦しむばかりで損なわれた流れは戻らない。
 郁夫は前にも似た夢に潜った経験があった。市内で起きた陰惨な事件で、仕事でもないのに首を突っ込まずにいられなかった。愛娘を殺された母親に報道陣が群がり、生前の映像を要求して心境を問い質していた。夫は自傷のように仕事に逃避して妻を護れなかった。深夜のオフィスで過労で眠り込んだ一瞬を郁夫は捉えた。妻の悪夢へ連れてきて金属バットを与えた。加害者は天然パーマで斜視の小男だった。そのチワワのような顔を父親は一撃で叩き潰した。被害者を責め立てる報道陣はかすんで消失した。娘は頬笑んで昇天した。ありがとう、幸せだったよ、お父さんお母さんも幸せになってね。夫婦は声もなく泣きながら固く抱き合って見送った。夫婦はその後、離婚したが、娘の命日には決まってふたりで墓参りをする。会話は交わさずに手を握り合っている。
 郁夫は加害者その人には関わらないことにした。ただ危険なばかりでなく、制裁を加える意味がなかった。節のある針金のような生物が、白い灰にまばらに生えているだけの世界だった。よく見ると針金には油虫のような粒が無数に貼りついていた。人の顔だった。その夢は人間の内面としての体をなしていなかった。郁夫が育った教団の教祖もまたその種の人間だった。彼らは生涯でどれほど多くの人生を闇に染めることか。大人たちは好き好んで騙された。子どもたちは気がつけばそこにいて、誤った常識に適応しなければ罰された。教団で育たなかった子どもでさえもが、こんな生きづらさを抱えねばならないのか。郁夫は事実をまざまざと見せつけられた思いだった。
 燃える道場のなかで三人は抱き合って慄えていた。横たわる信者が次々に起き上がり、三人を囲んで踊りはじめた。火に包まれた者や黒焦げで縮かんだ者もある。吊り上がった眼や耳まで裂けた口は、狂気の笑みそのものだった。人数がやけに多いのは三人分の悪夢が合成されたからだろう。遠くからチャルメラのような音が聞こえる。ふざけた旋律が執拗に繰り返された。郁夫は知らなかったがオーネット・コールマン七七年のアルバム『 Dancing in Your Head 』だった。父の蒐集物を聴いて育ったデブの記憶から紛れ込んだのだ。
 喉の潰れたような金切り声を合図に、全身タイツ集団は組体操をはじめた。肩車して体を寄せ合った。尻を突き出し、手足を伸ばしたり直角に曲げたりした。キーッ? キーッ? キーッ? 
 三人は血の気の失せた顔を突き合わせた。
「今度は何だろう」
「『愛』じゃない?」
「そうかな」
「たぶん……」
「そうだよきっと。自信ないけど」
「じゃ、せーの……」
 愛! と三人は声を合わせ、固唾を呑んで答えを待った。
 全身黒タイツ集団は狂喜して三人に襲いかかった。キーッ! キーッ! キーッ! 人文字クイズに誤答するたびに爪を剥がす規則なのだ。この世のものとは思えぬ絶叫が響いた。郁夫は顔を見られないようダースベイダーの扮装をして炎をくぐり抜け、三人の前に進み出た。灼かれなかった。何の苦痛もないことに奇妙な寂しさを感じた。やはり他人とは何も共有できないのだというような。その場にいなかった者があの日を語ることで自分がなかったことにされるかのような。
「シュー、コホー。助けてやってもいい。協力する気があればな」
 三人は両手を血に染め、涙と鼻水で顔をグシャグシャにして振り向いた。
「だ、誰だよあんた」
「協力って?」
「あの子をどこへやった。シューコホー」
「あの子?」
「とぼけるな。十三年前の自殺教団との関係は? 支倉秀一郎とはどうなってる」
 三人は見るからに狼狽した。触れられたくない話題のようだ。
「さっさと吐け。Pのことも忘れるな。コホー」
「そいつだけは堪忍を……」
「今度こそ殺されちまうよ!」
「あっそ。じゃ、せいぜい愉しんで」
 郁夫はマントを翻して立ち去ろうとした。全身タイツ軍団は再び三人に群がった。
「あっ待って」
「もうこいつらの餌食になるのは厭だ!」
「何でもします。お助けを!」
 郁夫は彼らに三面鏡を押しつけた。三人は戸惑いながら三面鏡をひらいた。まばゆい光にタイツ集団は眼を細め、それから自分らが何者になり果てたかに気づいた。教団で特権的な地位を得たところで一流企業には就職できないし結婚もできない。社会階級の上部にいたつもりでいたが世間に疎外される身でしかなかった。キー……。キー……。キー……。うなだれて肩を落とし、とぼとぼと列をなして退散した。最後のひとりが炎に消えるのを見届けて、郁夫は三人に向き直った。「では、お聞かせ願おうか」
 三人組は拉致の失敗で特務班を降ろされていた。命令に従って動いたに過ぎず、椎奈が狙われた理由など知らなかった。今回の失踪はなおさら初耳だった。Pについてはノッポが両親の古い知人から噂を聞いていた。十三年前の事件当日、安全な場所へ移送される手筈となっていたが、何者かに強奪されたという。テレヴィジョンはその隠し在庫を捜しているらしい。教祖が支倉邸に出入りしているとの真偽不明の噂も三人は耳にしていた。いつしか彼らは仏にすがる亡者さながらに郁夫に訴えていた。きつい労働と不条理な任務との往復。絶望で目覚め、泥のような眠りに落ちる日々。誰にも相談できずに抱え込んでいた。話を聞いてくれる者はたとえ悪夢の登場人物であろうとも貴重だった。
 ブラインドから漏れる朝日で郁夫は目覚めた。ぐったり疲れていた。毛虫の内臓でも詰め込まれたかのように口も気分も苦かった。三人を不幸な境遇に放置したのが腹立たしく後ろめたかった。くそっ。この稼業しょうばいでおれは何人を救えた? 眼をつぶってやり過ごしてばかりじゃないか。顔を洗い、洗濯物の山から着られそうな服を発掘した。地下鉄とバスを乗り継いで支倉邸へ向かった。
 相手は必ず逢いたがる。郁夫には確信があった。椎奈の失踪について話があると無人ゲートのインターフォンに告げた。待つように指示された。忘れられた死骸が砂になるほどの時間が過ぎた。再び呼鈴へ手を伸ばしたとき車の音がした。庭木や剪定道具を積んだ軽トラックだ。敷地内の坂道をのろのろと下って現れた。先日の老人が運転していた。門が金属的な唸りをあげて左右へひらいた。郁夫は助手席に乗ろうとした。庭師は荷台のほうへ顎をしゃくってみせた。顎には剃り残しが目立っていた。
 赤茶けた松葉に尻を刺されながらガタゴト揺られて丘を登った。二度目の豪邸はやはり記憶に残らなかった。荷台から飛び降りた郁夫をオルメカ顔のクローン軍団が威圧するように取り囲んだ。腹に爆薬を巻いているとでも思われたのだろう。郁夫は睨み返した。三人組のことでやり場のない怒りに囚われていた。大食堂へ護送された。支倉秀一郎は顔色が悪く、こわばった表情で怯えているかにも見えた。料理には手をつけた形跡がない。秘書と給仕人、メイド服の女たちは姿を消していた。用心棒ばかりが並んでいた。
 司祭めいた衣裳の青年が同席していた。放射能のような威圧感があった。
 テレヴィジョンの教祖だ。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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