Pの刺激

第11話: 過去の亡霊

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.25

PUNKだ」
「確かに頭は破裂寸前すけど」
「このビラだよ」郁夫は紙片をびらびら、と振ってみせた。ポルノまがいの描写が書き連ねてある。「この子の祖父さんが書いた話の一部なんだ。上から何も知らされてないのか」
「先輩」丸米は箸を止めて哀れむように郁夫を見た。「家族から何かひとつでも教わったことあります?」
「笛に合わせて踊ることだな。おかげでこのザマだ」
「日本中があの宗教ならって思わないすか。おれらだけだからこんな目に」
「外部の人間を巻き添えにしてどうすんだよ。おれらは大人たちの罪を負わされたんだ」
「焼け跡の臭いを憶えてますか。石灰が撒かれたけど何年も消えなかった……」
 郁夫はかつての後輩を文化横町の食堂へ連れてきた。瑠璃子のつけでラーメン、カツ丼、カレー、店名物のレバニラ餃子定食を驕った。丸米は何日も水しか口にしていなかった。郁夫は教団時代の食事を思い出していたたまれなくなった。食べながら丸米は新興カルト教団「テレヴィジョン」について語りだした。
 教団にかつての道場のような活動拠点はなかった。ひと月に一度、市民センターの会議室や体育館で集会が開かれ、幹部が説教する。本部の所在地はおろか教祖がどんな人物かさえ信徒には知らされなかった。信徒は班に振り分けられ他班との交流は禁じられた。集会では私語厳禁。知り合いを見かけても挨拶すら許されなかった。
 特務班に選出されると数人で共同生活を強いられた。生活費はアパート代も含めて自腹だ。数日おきにストリーミング中継や携帯メールで特殊任務を与えられる。数週間も音沙汰がないかと思えば何の前触れもなく指令が下る。常に誰かがブラウン管の前に待機していなければならないし、指令が下れば仕事を早退したり休んだりしなければならない。丸米はビラ撒き担当だった。ビラは小説の一部のようで布教に役立つとは思えなかった。上層部からは修行の一環と説明されていた。徳を積めば世界救済の「ヴィジョン」へ近づくのだという。問題は丸米がその理想を信じていないことだ。「救済」されるのは幹部や教祖だけと身に染みていた。
「何が目的だろう」
 郁夫は酸化した脂でべとつくテーブルで腕組みした。黒ずんだ壁では砂浜でジョッキを掲げる水着娘が色褪せていた。会社員で混み合う時間帯は過ぎ、店内に客は彼らだけだ。椎奈はソフトクリームを舐めている。初老の店主は広げたスポーツ新聞の陰で聞き耳を立てていた。
「知るもんか。おれはただ命令に従ってるだけさ」
 信徒にはかつての教団の出身者が多かった。孤独よりも慣れ親しんだ地獄を彼らは選んだ。テレヴィジョンには旧教団ほどの勢力はなかった。入信者獲得のノルマが信徒に課されていた。雑踏で声をかけても成果は知れている。詐欺や宗教の被害者を調べてソーシャルメディアで近づくのが効率的だ。だがカモの情報を手に入れるには元手がかかる。あの薬さえあれば、と旧教団を知る信徒らは囁き合った。プリオナール、通称P。旧教団とともに地上から消えた黒い錠剤。あれさえあれば金も人間もたやすく集まる。
「最近、何度も聞かされる説教があるんすよ。『ヴィジョン顕現が近づいている。運命の日は近い』って。どうせまたある日突然『さあ今からみんなで死にますよ』ってやるつもりだろ。見てくださいよこのニキビ。きっとあんときまされたPのせいだ」
 郁夫は椅子にもたれて首を振った。「あの頃とは違うんだよ。成分が規制されたし原料も国内じゃ手に入らない。もう研究施設も工場もない。外国で作らせて密輸する金がありゃ、信徒獲得に躍起となる必要はない」
「隠し在庫があるとしたら? それも山ほど。青葉市民が全員イッちゃって永遠に戻れなくなるくらい」
 郁夫は動揺した。「あんときありったけ服んじまったろ」
「直前まで無尽蔵にあったんすよ。それが急に配給が統制されて、先輩たち『悪夢っ子組』にさえ行き渡らなくなった。で最後にあのお祭りだ。教祖の末期癌だけじゃない。あの頃教団は何かと揉めてた。規模がでかくなり過ぎたんすね。在家信者が外で話すことまで管理しきれなくなってた。強制捜査が入る前にご破算にしなきゃいけなかったんすよ」
「悪夢っ子組が本当は何をさせられてたか知らねえだろ。妬まれるような身分じゃない」
「先輩は若様のご贔屓だったから……」丸米はぬるい水をひと息に干した。「おれが当時の幹部ならPはどっかに隠しますね。配給減らして溜め込んで、いつか出直す日に備えるんです」
「それがテレビジョンだってのか」
「ねえPって何」椎奈が口を挟んだ。「悪夢っ子組って? 教団とかあのときとか何の話よ」
 男たちは急に押し黙った。
「除け者にされるの嫌いなの。誰か教えてくれる人は?」
「食事中の話題じゃねえよなぁ!」
「いけるなぁこのカレー。ダシが効いてて」
 椎奈は陰険に眼を細めた。「食事中にできないカレーの話?」
 男たちは再び黙した。店主は新聞を畳み「今の若い連中はわからん」とでもいいたげに首を振った。
 ノルマを達成しないと禊の儀が、とぼやく丸米を郁夫は写真機材屋に連れて行った。店主の顔を見るなり郁夫は小学二年の娘を褒めだした。賢いお子さんですねぇ、立派な受付嬢でしたよ云々。店主が上機嫌になるのを見計らい、後輩を雇ってはくれまいかと切り出した。店主はあっさりいった。「いいよ。採用」
 幸運が呑み込めず茫然とする丸米を残して店を出た。郁夫はパーカのポケットに両手を突っ込み、背中を丸めて歩いた。椎奈と視線を合わせようともしない。
「ねえあの人どういう関係」
「どの人だよ。カメラ屋?」
「ニキビ面よ。紹介もしてくれなかったじゃない」
「保育園の幼なじみだよ」
 椎奈がひと言も信じていないのは明らかだった。仮に真実を打ち明けたところで理解できまい。郁夫は雑貨店の暖簾をくぐり、透子と当たり障りのない挨拶を交わした。今夜あたりどう? いいすね、働きづめでもう腹ペコすよ。まだ搾取されてんの、賃上げ要求しなよ。代わりにお願いします。やあよ、あたしだって瑠璃子さん怖いもん。ふたりは声をあげて笑った。
 椎奈は爆発した。早口の金切り声で罵倒した。何を叫んでいるのか郁夫と透子には聞き取れなかった。被害は奇跡的にも木製のガネーシャ像が倒れただけだった。ふたりは背中を突き飛ばされて表へ転げ出た。ガラスが割れそうな勢いで扉が締まった。音高く施錠され日除けが降ろされた。
「なんであたしまで」
「知らないすよ」
「いっ君変なことしたんじゃない」
「とりあえず飯でも」
「どうせ客も来ないし。お財布ないから貸してね」
「奢ってくれるんじゃなかったんすか」
 扉越しの会話が遠ざかった。椎奈は扉に背中をもたれた。拳を握り締めると体が慄えた。鼻がつーんとして店内の光景が滲み、熱い液体が頬を伝わった。カウンターをまわって階段を上がった。数千歳も老けたように感じた。今日まで高校を中退したての処女だったとは信じられない。
 ソファーへ倒れ込むと埃とともに何かが顔に落ちた。手にとって睨んだ。初めてだったのに。世界地図めいた火傷痕のある大きな体。ひとたび膚を重ねたからには血の一滴まであたしのものなのに!
 力任せに投げつけた。下着はまたどこかへ消えた。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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