Pの刺激

第7話: 探偵ごっこ

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.25

原色のネオンに騒々しい音楽。仕事帰りの人々に付きまとう客引き。埃っぽい排気ガスとラードの臭い。潰れた飲食店と入れ替わりに風俗店が増殖し、中央資本も入り込んで老舗を移転や廃業へ追い込み、この街ができあがった。ただでさえ狭い道が違法駐輪でさらに歩きにくい。至るところに紙片が貼られていた。側溝の泥水に浸かっているのもある。今まで気づかなかったのが不思議だ。
 郁夫はチラチラと隣を窺った。椎奈は隈取られた眼を熱病のように光らせていた。宮崎アニメの登場人物さながら、前のめりで生気に溢れた歩き方だ。彼女のおかげで浴室で着替えねばならなかった。パーカは洗濯物の山から発掘した。なぜ彼女がついてきたのか理解できない。郁夫は溜息をつき、携帯で吾朗にかけた。
 意外にもすぐに出た。「なんだいっ君か。別の電話を待ってるんだ。用があるなら早くいって」
「どうせまた女だろ」
「まあね。思ったより忙しいよ」
 えー誰ぇ? と女の声が聞こえる。郁夫はどっと疲れを感じた。「不公平だな。こっちは乱闘に巻き込まれ、ガキのお守りを押しつけられた」
「誰がガキよ!」椎奈は背後で憤慨する。
「だから商売女には気をつけろって」
「十七のガキだよ。おれの子じゃない」
「まだ十六です!」
「なんかうるさいな。誰かいんの?」
「今刻文町なんだよ」
「いっ君の財布を狙う家出少女か。ガッカリするだろうね」
「家出少女は合ってる。羅門椎奈」
「誰」
「ほら茶川賞獲った……」
「えっまじ生之介の孫? 勘違いしてデビューした一発屋の? やるじゃんどこで知り合ったの」
「瑠璃子さんの親友の娘」
「身近にそんなツテがあったなんて。実はオフ会の討論、生之介の家族観がテーマでさ。中継見てくれよ」
「PCzについて教えてくれ」
「今まで興味示さなかったのに」
「興味は金だよ」郁夫は経緯を説明した。
「まったくお袋ときたら何でも勝手に決めるんだから……」吾朗は不平をこぼしながらも教えてくれた。おおよそ宍戸の話と同じだった。「最近は贋作が多くてさ。大抵は文体や稚拙さで見分けがつくけど、形態素解析でも白黒つかないのもあって。逆に正典と認められても疑問点が指摘されたのもある。実在しない架空のPCzを報告する奴も珍しくない。こないだもトンネル構内に『羅門は生きてる!』ってスプレー書きした奴がいて——
 痺れを切らした女の声。ねえいつまで話してんのよぉ。
「新発見があれば教えるよ」吾朗は早口にいった。
 郁夫は頼むぜといって切った。椎奈は相手を知りたがった。「あんたの新しいボスだよ」
「あたしのこと何かいってた?」
「今教えてやったよ。瑠璃子さんが無断で決めたんだ」
 郁夫は風俗店の前で足を停めた。疲れた眼で椎奈の顔を窺う。
「社会勉強よ。案内して」
 何をいっても無駄だ。郁夫は肩をすくめ、狭くて急な階段をのぼった。蛍光灯が切れかけていた。踊り場には学園祭を思わせるベニヤ板の残骸や壊れた電球、おしぼりの段ボール箱が積まれている。店内の色調は見るからに林家ペー・パー子を参考にしていた。安物のラジカセがアニメ音楽を流していた。椎奈は貪欲に何ひとつ見逃すまいとしていた。郁夫は疲労が募るのを感じた。
 ポラロイド写真が貼り出されたカウンターに貧相でひと癖ありそうな男が突っ立っていた。化繊の白シャツと黒スラックス、サスペンダー、宴会用品風の蝶ネクタイ。鼻の下にでかいホクロがある。エアコンが騒々しい音を立てていた。除湿だとしたらまるで効いていない。ベニヤ板で仕切られた小部屋から営業中の声が聞こえた。
「どうしたのいっ君。その顔」
「ちょっとトラブッてさ。景気どう」
「名古屋の激安チェーンが進出してきてね。もうオワリ」店長は鳥のような声で笑った。椎奈に気づいて疑わしげに眼を細める。「彼女……じゃないよね。常連が減るかと焦った」
 郁夫はうっせえ放っといてくれといった。
「うちじゃ雇えないよ。レズの筆下ろし?」
 郁夫は事情を説明した。店長はビラについて何も知らなかった。羅門生之介とはレスラーかと尋ねた。
「有名作家も知れないとは呆れたね」
「いっ君だって中卒の癖に!」店長は手が空いている従業員を郁夫に教えた。「上玉なのに喋りすぎるんだよ。それで客逃してる」
「確かにサービス中もずっと喋ってるもんなあ。噂話には詳しそうだ」
 小部屋は一度に三人も入れなかった。備品も最低限しかない。うがい薬、ローション、ウェットティッシュ、それに女。ヘルス嬢は百円ショップで売っていそうな薄手の下着をつけ、ベッドで胡座をかいていた。壁には「本番厳禁」の注意書き。極彩色マーカーによる女子高生風の手書きだ。店長が自分で書いたのを郁夫は知っていた。「わっどうしたの顔。女?」
「仕事だよ」
 郁夫の背後から椎奈が物珍しげに室内を観察した。ヘルス嬢は不快と警戒を露わにした。
「いくら常連さんでも変なプレーはお断りだよ。うち一応、優良店なんだから」
「今日は仕事で来たんだ」郁夫は事情をかいつまんで説明した。女は瞳を輝かせた。
「知ってる! 気になってたんだ、あのビラ」
「この子の爺さんが書いたって噂があってさ。羅門生之介って作家」
「そうだ、いっ君に相談しようと思ってたの」ヘルス嬢はふたりを押し退けて小部屋を飛び出し、プリクラを手にして戻ってきた。「この子なんだけどさあ」
 ハート型の枠で「美女見参!」と書き文字が入っている。ふたりの女が親友同士のようにポーズを決めていた。ソフトフォーカスで目玉は巨大だった。誰でもなく誰でもある記号化された顔。ショートヘアの女はおそらく元は吊り眼だったのではと思われた。「新顔だね。名前は?」
 女は源氏名しか知らなかった。「黙って急に辞めるような子じゃないの。無遅刻無欠勤。暇さえあれば勉強してた。社会福祉士の資格取るんだって。ストーカーから逃げてこの街に来たって。心配で……」
 よくある話だ。中には本当に社会福祉士の資格を取る子もいるのだろう。郁夫はそんな女に出逢ったことがなかった。誰もが自分の物語を編集して生きているのだ。「何か思い出せることは? どんな些細なことでも。疲れると枝毛を捜す癖があるとか。ラーメンは塩味派で、のびるまで待ってから箸をつけるとか」
「そういえば変なのにはまってたな。ピーチズ? ビーチク? ウェブで話題とかいってた。一度その子と飲んだの。趣味とか話されてちょっとひいた。宗教の勧誘かと」
「PCz。今その話をしてるのよ!」低い声で椎奈が口を挟む。ふたりの女に険悪な空気が漂った。
「例のビラだよ。おれもさっき知った。これ預かっとくよ。何かわかったら教える」
「見つけたらサービスしたげる」風俗嬢はこれ見よがしに郁夫に抱きついた。「今でもいいよ」
「それよりその爺さんだよ。十三年前に海難事故で行方不明になった。最近この近所で目撃されてる」
「お祖父ちゃんを捜してるの?」ヘルス嬢は椎奈に微笑みかけた。これほど人工的な営業スマイルを郁夫は見たことがなかった。椎奈は答えなかった。ヘルス嬢も期待していなかった。
「この子も作家なんだよ。茶川賞の中坊。話題になったじゃん」
「羅門椎奈ちゃん?」ヘルス嬢は眼を丸くし、両手で口を覆って叫んだ。もしかして化粧をしなくても本当に瞳が大きいのではと郁夫が思ったほどだった。ベニヤ板で隔てた両隣が水を打ったように静まり返った。「芸能人、初めて見た。テレビより可愛い! ヌード写真集出すって本当?」
 怒り狂って暴れる椎奈を引きずり、郁夫は次の聞き込み先へ向かった。さっきのと双子のような店長と、顔の負傷を巡るやりとりを繰り返し、水槽の前へ案内された。保育園めいたカーペットに、クレーンゲームの景品めいたクッションが点在し、セーラー服の女たちが待機していた。駄弁る者。スナック菓子を貪る者。ヘッドフォンで音楽を聴く者。携帯ゲームをする者。テレビの子ども番組を眺める者。手首を隠すリストバンドや、入れ墨を灼いた痕も眼についた。ネイルアートは例外なく醜かった。
 従業員用の扉から入ると親しげな声があがった。
「おー、いっ君久しぶりじゃん。何その顔」
「嘘。いっ君彼女できたの」
「そういう子が好きなんだぁ。ゴスロリ?」
「ゴスじゃなく真性でしょ」女たちは声を合わせた。ろーりーこん、ろーりーこん。
 ひとりが突っ込んだ。「彼女のわけねえじゃん。依頼人だよ」どっと笑いの渦となる。
 郁夫は「余計なお世話だよ……それよりさあ」と本題に入った。実はかくかくしかじか。
「増えたよね最近」
「あれってさ」
「なんのこと?」
 一斉にかしましく喋るので聞き取れない。「頼むからひとりずつ喋ってくれ!」
 どうにか聞き出した話を総合すると宍戸の説明と一致した。PDFを閲覧したことのある者も三人いた。うち一名は更新を欠かさずチェックし投稿までしていた。頻繁に眼にするアカウントが同僚だった事実に、彼らは互いに気まずい顔をしていた。羅門が目撃された噂を知る者がほかに一名いた。誰から聞いたのか憶えていなかった。この四人以外の全員が、羅門とは何者か知りたがった。
「プロレスラー?」
「歌舞伎役者でしょ」
「落語家」
「だったら亭とか付くじゃん」
「じゃ漫才師でいい」
「でいいって何だよ」
「この子の祖父さん。作家なんだ」
 誰も聞いていない。好き勝手に喋り合っていた。新情報を得るどころの騒ぎではなかった。普段は仲が悪いくせにどうしてこんなときばかり喋るんだ、と郁夫は内心で毒づいた。ついでにプリクラを見せてみた。顔見知りだという者、前に同じ店で働いたという者。顔を見たことがあるという者。源氏名はそれぞれ違っていた。失踪後に見かけた者はひとりもいない。そもそも同じ人物について話しているのかどうかも定かではなかった。
 体力を消耗しただけに終わった。女たちに養分を吸収されたかのようだ。
 似たような店を数軒まわった。何の成果も得られなかった。いつの間にかラブホ街へ入り込んだのに椎奈は気づいた。郁夫の広い背中に不安を憶えた。すぐさま自意識過剰を悟らされた。窓に遮光シートを貼った黒いバンが路上駐車していた。サングラスの男が窓枠に肘を乗せ、車内灯で文庫本を読んでいた。娼婦が仕事を終えるのを待つ送迎係だ。郁夫は近づいて話しかけた。男は負傷の理由を知りたがった。この手順を踏まねば本題に入れないらしい。
「見たことあるよ。こいつだろ? カバーに写真あったけどなくしちまってよ」男は変色した本を掲げてみせた。電飾の光で題名が見えた。『獣と暮らし過ぎて、魂の箍が外れても何ともなくなった男の手記』羅門生之介著。
「すげえ。インテリすね」
 男は満更でもないように照れた。「ばあか。こいつの本だけだよ読むのは。おれらの言葉で書いてあるからな。あのビラもだろ? きっとテメーで印刷してやがんだよ。出版社の恨みでも買ったんだろ」
「確かにお祖父ちゃんだったの?」
「誰こいつ」
「生之介の孫。茶川賞のガキ」説明も雑になってくる。椎奈に睨まれるのにも麻痺した。
 男はふうんと関心なさげに頷いた。「後ろ姿チラッと見ただけだからな。交番の近くにまずいラーメン屋あるじゃん。あの交差点で普通に歩いてたぜ。『あれ写真のジジイ?』みたいな」
「後ろ姿だけでよくわかりましたね。昼間?」
「ばあか寝てるよ夜、夜。そりゃナリもでかいし不潔だし。異様な雰囲気放ってるから」
「騒ぎにならなかったんすか」
「自殺が騒がれたのは大昔だしな」
「『失踪』よ」椎奈の訂正は無視された。
「ほかに誰かいませんかね、目撃者」
 男は助手席から携帯を拾い上げ、肘を窓枠に乗せて話しはじめた。「あーおれ。郁夫が話したいってさ」
 郁夫は携帯を受け取った。「もしもし」
「いっ君、相変わらず眠そうね」
「誰」
「ご挨拶ねあたしよ。よく店に来てくれたじゃん」
 どの店だ。「羅門生之介見たって本当?」
「ラモショーのスケミタ?」
「羅門生之介。無頼派作家の。ワイドショーで『謎の失踪』とか騒がれた」
「そう最初からいってよ。酔っててよく憶えてないの」女は鳥のような声で笑った。「ねえ信じられる? あたしもう人妻なのよ」
「あんたならあり得るよ。酔ってないときに教えてくれ」
 郁夫は携帯を返した。相手はおれじゃないと送迎係は弁解した。彼の幸運を郁夫は祝福した。
 何ひとつ成果が得られぬまま九時を過ぎた。雨が降りだした。ふたりは建ち並ぶホテルの軒下へ駆け込んだ。闇に青く浮かび上がる円筒形の建物。「H」なるネオンはSF風のテーマパーク施設を思わせた。郁夫は恨みがましく雨を眺めた。ふと椎奈の視線に気づく。マスカラと隈取りが流れ、髪がべっとり貼りついていた。睫毛はもともと長いらしい。爆発ヘアーがしぼむと頭が縮んで見えた。軍艦のような胸が不自然に際立っていた。
「いろんな人と知り合いなのね。ヤクザなんかと関わって平気なの」
「ヤクザ?」
 送迎係のことと気づくまで間があった。この界隈で働く男の多くは、確かに暴力団と無縁ではない。県公安委員会の許可を受けたのはひと握り。残りはすべて違法店だった。
「あーあの人。別にヤクザじゃないと思うよ。昔ちょっとね」
 死にきれなかったのは自分ひとりではなかった。中学を出て夜の街で働きはじめてそのことに気づいた。幼少時にカルトに適応すると、成人後も就ける職種は限られる。小さな街ではどこかで顔を合わせることになった。送迎係はそのひとりだった。
 雨足は弱まらない。遂には土砂降りとなった。車が通るたびに泥水が撥ねる。ひときわ派手な水飛沫が上がり、ふたりは同時に跳びすさった。自動扉がひらいた。
 相合い傘のカップルが気まずそうに通り過ぎた。濡れた体が冷えてきた。郁夫と椎奈は顔を見合わせた。どちらからともなく玄関をくぐる。カチッと音がして照明が灯り、アニメ声の自動案内が響いた。椎奈はウォータースライダーのある部屋に興味を示した。郁夫は一番安い部屋のボタンを押した。ブラックライトに星座が光る箱で上昇した。
 椎奈は自意識過剰になっていた。「黒蜘蛛シスターズ」の遊びはごっこに近く、あとはお粗末な体験しかなかった。聖パトリシアではある男の存在が知られていた。指示された日時にマンションの一室へ赴けば、年齢不詳のイケメンが性の手ほどきをしてくれるというのだ。椎奈は芸の肥やしとやらを思い詰めた。男には退学の事実は隠した。女子高生の肩書きがなければ相手にされないからだ。さあいよいよという段になって怖くなり、服を掻き集めて逃げ帰った。あのときも今も勢いで突っ走り、追い詰められている。相手の顔から考えは読みとれない。代わりに何かに似ていると気づいた。イグアナだ。
 郁夫は疲れて気が滅入っていた。都会の女子高生のいかに進んでいることか。逢ったばかりの好きでもない他人と、こんな場所へ来るのに何の躊躇もないなんて。部屋番号の点滅する扉をくぐった。自動会計機のアニメ声を聞きながら靴を脱ぎ散らかした。椎奈は率先して部屋に入り、濡れたドレスを頭から脱ぎ棄てた。このような機会を軽んじる郁夫ではないが、今は早急にシャワーを浴びることしか考えられなかった。熱い湯に打たれ、腰にタオルを巻いて戻ると、椎奈はベッドに倒れ込むようにして眠っていた。膚は静脈が透けるほど蒼白い。死んでいるかと思ってドキッとした。
 濡れたドレスと網ストッキングが床に散らばっていた。大麻の悪夢のような柄のバンダナもだ。着けているのは黒レースの下着のみ。体は小さく華奢で、あばらや腰骨、肩の骨が浮き出ていた。寝息とともに上下する胸は異様だった。郁夫はシリコンや生理食塩水、脂肪注入のバルコニーを見慣れていた。天然物だとしたら解剖学的にデッサンが狂っている。悪魔めいた化粧は落ちていた。手足の黒い爪だけがそのままだ。素顔の寝姿はあどけなさを残していた。つぶっていてさえ大きな眼。小猿のような鼻。ふっくらした桜色の下唇。左上腕には常習的な傷跡があった。
 郁夫はふと椎奈の寝顔に気づいた。見憶えのある表情。悪夢を見ているのだ。
 目の前に苦しむ人がいて、自分にできることがある。郁夫はどんなに疲れていても見過ごせない性分だった。正義感や義侠心からではない。罪悪感に押し潰されるよりは、そのほうが楽なのだ。
 やれやれ……。彼は意を決し、隣に横たわった。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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