Pの刺激

第6話: 禊ぎを前に

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.25

築半世紀にはなろうかという、木造モルタルの四畳半アパート。ジャージに裸足の男たちが、ささくれた黄色い畳に車座になり、陰鬱な顔を突き合わせていた。
 独特の臭いが籠もった室内。ボロ布と化したダークスーツが三着、漆喰壁の鴨居に吊られていた。風呂なしひと間、便所は汲み取り式。締め切られたカーテンから射し込む西陽は、街灯に取って代わられた。それでも蛍光灯の紐を引こうとする者はない。床の間にはブラウン管テレビが繻子の座布団に鎮座していた。
 郁夫と椎奈がこの三人を見たら、あっと声をあげたろう。ノッポにデブに柔道家風。ゲーセンの拉致未遂犯だ。痣、打ち身、擦り傷だらけで頬が腫れ上がり、歯は数本が欠けていた。デブとノッポの後頭部には瘤の山がある。柔道家の両眼は、腫れた瞼でなかば塞がれていた。
「おれたち、どうなるんだろう」か細い声で柔道家風がいった。
「再教育送りは確実だ」デブが畳を見つめて呟く。
「そのくらいで済めばいいけど……」ノッポの声は慄えていた。
「泣くなよ」デブはノッポの肩に手をまわし、背中をさすってやった。
「頼むよ。惨めになるだろ」柔道家風も泣きそうだ。
 流しの蛇口からしたたる水が金盥で虚ろな音を立てた。野菜屑が饐えた臭いを発していた。人参や大根の皮、菜っぱの切れ端。あとでキンピラにするつもりなのだ。ゴミ収集所で拾った冷蔵庫は電気代がかさむし、夜中の唸りで寝不足になる。その割に冷えないので最近は使っていない。
 三人は同期だった。入信前は宗教になど関心はなかった。多少なりとも縁があったのはノッポだけ。両親がカルト信者だった。十三年前、子ども部屋で眠る彼を残して道場へ赴き、二度と帰ってこなかった。親戚の家に預けられ「狂い死にした家の子」と陰口をいわれて育った。進学先が膚に合わず、引き籠もりを経てフリーターに。低賃金の重労働を転々とする毎日を過ごした。気がついてみれば結構な歳だ。養ってくれた親戚夫婦は年金の不安をこぼす老人となった。かつての同級生らは部下や家族を抱え、住宅ローンに悩んだり生命保険に加入したりしていた。近所のスーパーで目撃した初恋の人は、丸々と肥えて子どもを三人も連れていた。
 硫化水素は遺体が緑色になると聞いた。練炭と車を用意できる仲間が必要だった。匿名掲示板の自殺スレッドに出入りするうち、親身に悩みを聞いてくれる人たちに出逢った。誘われるまま自己啓発セミナーに参加して使命に目覚めた。
 柔道家風の人生は序盤こそ悪くなかった。ゼミの仲間に羨まれる有名企業に就職できた。入社式では社長が景気のいい挨拶をした。職場にはすぐに溶け込めた。仕事を憶えるのも面白かった。やがて社ぐるみの不正が発覚。業績が急悪化し、あれよという間に倒産した。再就職は難しかった。経歴を知ると誰もが冷淡になった。ぬか喜びさせた両親には愛想を尽かされた。親戚縁者にも白い眼で見られた。やっとありついた仕事もすぐに派遣切りになった。職安巡りにも疲れ果て、公園のベンチで缶コーヒーを啜っていたとき勧誘された。人生の転機だと思った。
 デブは外食チェーン企業に勤めていた。何もかもが順調で幹部候補になった。家業の大衆食堂を継ぐため一念発起して辞めた。武者修行の成果を見せて親孝行したかった。ある早朝、いつものように厨房へ仕込みに向かった。先に立っているはずの父はいなかった。もう高齢だ。夜中に倒れたのではないか。寝室や浴室、トイレを捜した。男手ひとつで育ててくれた父は姿をくらましていた。冷蔵庫の扉に磁石でメモが留められていた。
「すまん あとをたのむ 父」
 殴り書きされた紙片を手に茫然と佇んだ。取り立て屋が押し掛けてきた。何も持たない人間が自らを換金する方法について、彼らは扉を蹴りながら町内に響き渡る声で提案した。デブはどちらの腎臓も惜しかった。着の身着のままトイレの窓から脱出した。生まれ育った家には二度と戻れなかった。駅やガード下で寝泊まりし、コンビニの廃棄食品を盗んで喰った。その生活から救ってくれたのが教団だった。
 公民館で行われた集会で、三人は互いの身の上に共感した。その日から親友となり、何をするにも行動をともにするようになった。力を合わせればどんな逆境も乗り越えられる。そんな気がしていた……そう、今までは。
「もう一度チャンス貰えないかな」柔道家風が俯いたまま呟いた。
「あれだけの騒ぎを起こして?」とデブ。「顔も大勢に見られたんだぞ。聞いただろ、第四班の噂……」
「よせよそんな話」
「やり損ねてどうなったか」
「よせったら」
「お終いだ」ノッポは泣きじゃくった。「されちゃうよ!」
「ま、まさか」
「いくら上層部でもそこまでは。第四班だってトンズラしたに決まってる。意気地のない奴らだ。失敗が恥ずかしかったのさ」デブは自分の気休めを信じたがっていた。
 突然ボツッと音がした。テレビの電源がひとりでに入った。三人に緊張が走った。十四インチのブラウン管が高周波を発して明るくなる。室内が青白く浮かび上がった。
 砂嵐が薄れ、聖者然とした身なりの男が現れた。白装束に灰色の長髪、長いひげ。首が太く胸板は厚く、プロレスラーのような体格だ。堅く口を結び、冷淡な眼でこちらを睨み据えている。背景には輝くブラウン管をかたどったシンボルマーク。この男が弁護士の資格を持っているとは誰が想像するだろう。
「特務大臣!」電流にでも打たれたように三人は平伏した。
「任務の重要性はわかっておろうな。娘を逃がした挙げ句、衆人の注視まで集めるとは」
「どうかお許しを。精一杯やったのです!」
「騒ぎになるとは想定外で」
「お慈悲を……もう一度チャンスを頂ければ、必ずや!」
「黙れ!」大臣は一喝した。三人の声が届いているのだ。身も心も教団に捧げた三人に、監視装置のありかを突き止める気などない。プライバシーを求めるのは魂が穢れた証だ。「貴様らは特務班の任を解かれる。失敗は穢れが原因だ。禊ぎの儀を執り行う。ありがたく思え」
 音声が途切れ、青白い光が収斂して消えた。室内は再び闇に沈んだ。画面は薄く蛍光を放ち、埃が静電気で弾けた。三名は声にならぬ声を漏らした。
 玄関で物音がした。振り返る間もなく黒い影が侵入してきた。総勢六名。いずれも全身黒タイツを身につけていた。筋肉質で股間が盛り上がっている。眼が吊り上がり、耳まで裂けた口から歯を剥き出しているのが暗がりに見て取れた。エイフェックス・ツイン『 Richard D James Album 』のジャケットそっくりの顔だ。侵入者らは口々にキーッと叫んだ。何かあった際、秘密を漏らさぬよう声帯を潰されているのだ。
 囲まれた三人は色を失い、抱き合って慄えた。
 全身黒タイツは有名私大の強姦サークル出身者で構成された精鋭部隊だった。全員が示談で逃れるか、拘置期間を服役に含めてもらい、実刑判決当日に釈放されていた。弁護士は贖罪の機会を与えた。転居した被害者の住所と連絡先を教えたのだ。そのときの経験を買われた彼らは今、全身黒タイツで、整形された顔で、さまざまな形状の珍しい道具を持っていた。表の通りをバイクのヘッドライトが過ぎ、金属がきらめいた。
 低所得の違法滞在者や、年金暮らしの独居老人ばかりの地域だった。進んで警察と関わりたがる者はない。近隣の住民は耳を塞いでやり過ごした。
 三人の声が絶えるまで長い時間がかかった。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告