Pの刺激

第3話: 元天才作家の憂鬱

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.25

羅  門椎奈らもんしいなは十四にして消費された。ウォーホルのいう十五分間を使い果たしたのだ。
 茶川賞を最年少受賞。華々しい文壇デビューで日本中の話題を席巻した。週刊誌のグラビアを飾りワイドショーに取り上げられる。受賞作が立ち読みされ図書館では予約が数年待ちとなる。それらすべては運命の残酷な冗談に過ぎなかった。文芸誌や新聞に短編を書き散らしたが本になる量ではない。編集者は長編を要求し大人の視点を求めた。ファンタジーは子どもだましだといい、学校を舞台にするなといった。雲をつかむような助言が混乱を煽った。
 半年が過ぎ一年が経った。編集者は進捗を尋ねてくるどころか連絡さえつかなくなった。地方紙のコラム枠の依頼さえ途絶した。『青葉新報』など祖父が東北出身というだけで、義理でもあるかのようにしつこかったのだが。その祖父には逢ったこともなかった。彼女が幼い頃に行方をくらまし、死んだものと見なされていた。
 彼女の精神はもとより安定とは縁遠かった。左上腕の傷は折り返しに入った。大食しては戻した。鎖骨やあばら、腰骨が浮き出る。なぜか胸だけは逆に異常発達。生理痛もろとも重みを増した。ブラを何度も買い替えた。肩凝り、頭痛、吐き気に悩まされた。それでも初めは虚勢を張っていられた。今に見ていろ、あたしには天賦の才があるんだ、本気を出せばすぐに……。やがて小学生がものした恋愛小説が話題になる。作品は雑誌掲載に留まった。代わりに企画された握手券つき水着写真集が大ヒット。著者は旬のタレントとなった。椎奈はようやく悟った。時流に取り残された。宴は終わったのだ。
 作家が書けなくなる理由は単純だ。人生に失敗したとの想いに押し潰されて、無根拠な自信や、力業を成し遂げる強引さが湧かなくなるのだ。彼女の問題は家庭にあった。父親はテレビ局の敏腕プロデューサーだった。日に灼けた膚とジム通いで鍛えた肉体が自慢。常に若い女たちを引き連れて歩き、白い歯を輝かせて快活に笑う。そんな男にも弱みがあった。今はなき実父、羅門生之介だ。それもただの不和ではない。息子は父を蛇蝎のように忌み嫌っていた。
 羅門生之介は身長百九十センチあまりの大男だった。ナイフで彫り出されたような顔。眠たげな二重瞼に、糸のような細い眼。大きな鼻に分厚い唇。頭頂部の禿げた長髪と伸び放題のひげは、ギリシャの傲慢な神を思わせた。顔や背中は吹出物に覆われていた。手脚などまるでゴリラだ。いつも猫背気味で頭を低く突き出している。手だけは小さく華奢で、ちぐはぐだった。フランケンシュタインの怪物を思わせた。酒、女、競馬。無頼派文豪の名に恥じず、毎日がやりたい放題。いい歳して革ジャン、ジーンズにエンジニアブーツ。長髪をなびかせ、田舎の国道を大型バイクでぶっ飛ばす。台所で涙に暮れる母を見るにつけ、幼い息子は堅く心に誓った。親父みたいな碌でなしにだけはなるものかと。
 生之介は予想通り、碌な死に方をしなかった。あらゆる社会責任から遁走した。それから幾星霜。息子は華やかな業界で多忙を極めた。家庭を顧みる余裕もなかった。ふと気づくと娘が同じ道を歩んでいた。呪われた不良の道を。彼はあるとき娘にフリルのドレスを買い与えた。少しでも女の子らしいことに関心を向けてくれれば、との親心からだ。数週間後に帰宅するとドレスは黒く染められ、袖が引きちぎられていた。娘は実際にそれを着て出歩いた。一事が万事。手がつけられなかった。
 何不自由なく育てた。必要なものは惜しみなく買い与えた。勉強に打ち込むふりをして書いていたとは。あまつさえ新人賞に応募し、世間に恥を晒すとは……。悔やんでみてもあとの祭り。怒りを噛み締める間もなかった。素人を有名人へ祭り上げる側から、一夜にして逆の立場へ巻き込まれた。取材や執筆依頼が殺到した。回顧録『天才少女の父となって』は大ベストセラーとなり、新古書店の百円コーナー常連となった。局の上層部のお褒めにもあずかった。騒ぎが収束すると娘への疎ましさだけが残った。
 プロデューサーの妻は夜遊び好きの元ファッションモデル。金持ちや芸能人を得意先とするブティック経営者だった。商売と噂話、男の肉体美の三つが関心のすべてという女だ。彼女はこの十六年、先進的な子育てを実践してきた。腹を痛めた娘だからと甘やかしたりはしなかった。身のまわりの世話は極力自分でやらせた。自立心を身につけさせるためだ。幼い頃から「一人前の女」として扱った。食事や買い物につきあわせた。のろけや愚痴を聞かせ、人生の厳しさや喜びを教えた。そう、まるで親友のように——そう考えて悦に入った。なんて進んだ、自由な子育てだろう。娘の受賞時にはもちろん育児論の本を出した。執筆者は聞き取りに苦心した。奔放に跳躍する論旨はありきたりな枠には収まらなかった。
 そんな素晴らしい母親も、椎奈の眼には歪んで映った。厚化粧。派手なドレス、靴、装身具……子どもチャンネルの再放送で観た妖怪人間ベラを思わせた。父は娘を求めず母は都合よく求めた。そしてマスコミは母のように奪い父のように棄てた。よくある話だった。椎奈の身に起きた事態もありがちな高波だったのだろう。一時は自宅や学校へ取材陣が詰めかけた。登下校する生徒にマイクやカメラが突きつけられた。望遠レンズは教室の窓を捉えた。機材を担いで校門を乗り越える者もいた。適応できぬうちに波がひいた。同級生や教師の冷ややかな視線が残った。
 聖パトリシア女学院は中高一貫の名門で堅苦しい校風だった。校名は戦前の修道女パトリシア寿美子から取られた。そこで椎奈は「黒蜘蛛シスターズ」と渾名される一派に属していた。BL漫画やSM文学の愛好会。レズの仲間ではと噂され、実際にそれらしき遊びも何度か試した。その仲間でさえ洟も引っかけてくれなくなった。居心地の悪さに耐えかねて欠席がちに、それが高じて不登校に。夜の街を徘徊するまでに至る。似たような家出少女らと知り合い、麻薬使用を誘われた。変態に買春を持ちかけられた。有名大テニスサークルに輪姦されかけた。
 素行不良と単位不足で学校に呼び出されるに至り、両親はようやく意識を振り向けた。「世間に羨まれる進歩的な家庭」の体面を傷つけられて激怒した。勉強する気がないのなら辞めてしまえ、と彼らは娘を脅しつけた。じゃ辞める、と椎奈はいい放ち、さっさと退学届けを出した。両親はまたも裏切られた。同級生も教師も別れを惜しまなかった。事務員が書類を受理して一切が終わった。知恵の足りない下級生ただひとりが、自作詩を綴った恋文を無言で押しつけてきて、わっと泣きだし走り去った。
 背中に視線を感じながら椎奈は校舎をあとにした。
 昼頃起きて少女漫画を読みゲームをしてエロサイトを巡回した。閑散としたスレッドに「本人君臨」と書き込みコケにされた。自分の名前を検索し奈落の底まで落ち込んだ。記述の対象は彼女の乳房。内側の魂についてではなかった。しかも更新日時はどれも過去。「ランバダ」や「エリマキトカゲ」の同義語として語られていた。
 そんなある日、一通のメールが届いた。もうひとりの伝説的な負け犬からだった。何度も読み返した。これを機に人生を改めようと椎奈は決意した。モバイルPCをリュックへ突っ込み、待ち合わせの地へ向かった。
 いざ東北。青葉市へ。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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