黒い渦

第9話: 昔々、仲のいい五人組がいた

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.19

昔々、仲のいい五人組がいた。いずれも似たような境遇に生まれ育った。それが彼らを結びつけたのかもしれない。宗教指導者の父親から宍神は物心つく以前から一挙手一投足を執拗に否定されて育った。母親はいつもその場をやり過ごすために彼を生贄として差し出した。大人たちは幼い宍神の訴えに耳を貸さなかった。性的虐待に置き換えればそのまま夏美の状況となる。初潮を見る頃には誰彼となく寝て手首には傷跡が並んでいた。宍神や狼野と知り合った当初も関係を持ちかける素振りを見せた。
 伴は夏美と幼なじみだった。彼の体には煙草を押しつけられたり熱湯をかけられたりした痕や、度重なる打撲で刺青のようになった痣や、ミミズのような醜い傷跡があった。それらは成人してからも残った。服を着ていれば見えない場所ばかりだ。生き延びるために道化じみた態度を身につけ、奨学金とアルバイトの掛け持ちでかろうじて高校を出た彼が、名のある通信社に潜り込めたのは奇跡だった。それは貧困からの脱出を意味する。父親は自分が厳しく躾けたおかげだと言い、母親はあたかもまともな家庭だったかのような態度で祝福した。そんな彼も宍神が知り合った時点では腹を空かせた生傷だらけの少年に過ぎなかった。
 あとのふたりの家庭は裕福だった。大学まで出たのも彼らだけだ。雪乃の両親は極端な放任主義で自分の社会的地位しか頭になかった。諍いがない代わりに愛情も存在しなかった。社会生活に家庭という道具立てが必要だっただけだ。無関心もまた支配と同じく歪んだ人格を育んだ。娘が万引きを繰り返すたびに優秀な弁護士が穏便に解決した。おかげでのちに国家による審査も通った。狼野は過剰な期待をかけられて育った。エリートの人生を一直線に進んでいるようでも父親と同じ医学の道ではないという理由から家庭内では不良と見なされた。適性の違いは幼少時から顕著で、だからこその強制であり反抗だった。
 宍神と狼野は小学校の同級生だった。育ちも性格も正反対なのに気が合った。中学で伴と同じ学級になった狼野が宍神と引き合わせて三人は親しくなる。伴は夏美を紹介し、そこへ雪乃が転校してきた。とりたてて家庭の事情を口にする者はなかった。だが互いに無意識に嗅ぎとったのだろう。いつしか寄り集まっては悪さを企む関係となった。義務教育を卒業してからも関係は続いた。伴は奨学金を得るための勉強と生活費を稼ぐので忙しくなり、狼野と雪乃は有名校へ進んだ。それでも逢う機会は保った。五人がそれぞれの道を歩みはじめる頃には宍神と雪乃は同棲していた。その生活で宍神は最高傑作に取り組んだ。
 当時の人形メーカーは製品の些細な見栄えにまで配慮して他社との差別化をはかっていた。開拓されて間もない業界ゆえのおおらかさで出荷前の動作確認に至るまで原型師に任せていた。雪乃は初め何の関心も示さなかった。互いの仕事には干渉しない習慣だった。試作品が送られてきた日も気味悪がるばかりで近づかなかった。まるで自分の影を見ているようだと。だが数日後には連れ歩くようになり双子の妹だと紹介して周囲の反応を試した。彼らの酔狂に伴は呆れた。夏美は生理的に受け入れられないようだった。面白がったのは意外にも狼野だった。技術的な質問を熱心にぶつけてくるようになった。宍神は造形を手がけているだけで模造人格や駆動機構の専門知識はなかった。質問が高度になるにつれ曖昧な回答しかできなくなった。狼野は専門書を読み耽るようになり騒乱後はOS供給元へ就職した。
 完成した製品は最大のヒット作となった。やがて雪乃の妊娠が判明した。予想もしない大金が転がり込んで子供まで生まれる。宍神は人並みの幸せを掴んだかに思えた。初めて味わう家庭生活を。その製品はモジョの名を知らしめたことで歴史に残った。感染被害は拡大した。コードは眼に見えず機械には実体がある。消費者には問題がセキュリティーの欠陥ではなく人形そのものにあるかに見えた。社会変化への不安も作用した。人々は便利さから抜け出せない一方で人形を畏れ、憎んだ。
 騒乱の夜、暴徒はこの型を捜し出しては破壊した。磔にして火を放った。
 そして原型の少女もまた彼らの手にかかった。
「俺たちは仲間だった」伴は奇妙な笑みを浮かべて冷静に言った。「一人ひとりが掛け替えのない存在だった。テレビのホームコメディに出てくる理想のきょうだいみたいにな。違うか?」短銃で宍神の心臓を狙っていた。「それをお前が殺した」
「伴……」宍神は催眠術でもかけられたように立ち上がっていた。全身の感覚が麻痺していた。「不可抗力だった。あの夜がどんなだったか憶えてるだろう」
 伴の眼は暗く燃えていた。宍神を通じて過去の幻を見ていた。「雪乃は俺たちみんなの女だった。それをお前は独り占めした気でいたんだ」
「何が言いたい」宍神は知り合って初めて伴が理解できなくなっていた。別人に思えた。父親と同じような狂人に。
「俺と狼野と三人でやったこともある。お前が知らなかっただけだ。内緒にしてくれとあの子に頼まれたんだ。だから黙っててやった。うぶなお前のために」伴は急に感情を噴出させた。子供時代から親しんだ装いは表情から消えていた。「お腹の子の父親は本当に自分だと思ってたのか。あれは俺の子だった。俺たちによく似た赤ん坊が生まれるはずだったんだ。それをお前が母親もろとも殺した。家族の未来を奪ったんだ。くだらないお人形細工のために」引き金に指をかけた緊張からか全身に脂汗を掻いていた。
「それで復讐の機会を窺ってたというのか」バーの爆破事件。あのとき伴は便所に立ち、用の済んだあともグズグズしていた。時限装置の頃合いを計っていたのだ。「お前なら取材を通じてテロ組織との人脈もある。全部お前の仕業だったのか。ウィルス騒ぎを仕組んだのも、あの脅迫も」
「十年前に雪乃が味わった恐怖を思い知らせてやったんだ。懺悔の言葉でも聞けりゃ許してやるつもりだった。それなのにお前ときたら、まるでズレたことばかり抜かしやがって」
 襲われるかもしれないとの警告が脳裏に蘇る。不自然なほど普段通りに口にされたあの台詞はまるで別の意味を持っていた。伴にしてみれば悔恨を引き出す最後の機会だったのだろう。あれで心を固めたのだ。
「どうして狼野まで……」
「所詮お前と同類だよ。余計なことを嗅ぎまわりやがって。おかげで計画が台無しになるところだった。お前らが親爺と呼んでたあの男に話を持ちかけられたのはいい機会だったぜ。それにあの色情狂の餓鬼だ。どうして好きにうろつかせてたと思う? 連中の手を借りて嵌めてやった。狼野も少しは思い知ったろうよ。家族を奪われる気分をな……」
「雪乃はそんなこと望まない」
「お前に何がわかる。あいつが厄介に嵌り込んだときお前は何をした。お人形細工にうつつを抜かしてただけじゃねえか。あいつが組織を抜けようとしたのは誰のためだ? それをお前は……」
 伴は泣きながら指に力をこめた。
 銃声が轟いた。弾丸が天井際に喰い込んだ。
 伴は唖然として床に落ちた右手を見下ろした。それは銃を握り締めたままだった。彼は切り株のような腕を見つめた。暗い孔のような口から黄色い滴のように歯が抜け落ちはじめた。伴はよろめいて曖昧な声を発した。その声は恐怖の叫びとなった。己の身に何が起きているか悟ったのだ。
 彼もまた親爺に操られていた。紛い物の記憶で。
「あああああ!」
 伴は両手で頭を押さえて前屈みになった。髪の毛が何の抵抗もなくヌルッと抜け落ちた。頭皮が剥けて赤黒い粘液から白い頭骨が覗く。腐った果物のように指が顔にめり込んで筋肉が露出した。表皮が重い音を立てて滴った。彼は全身を痛みに貫かれたように吠えた。よろめきながら宍神に近づき、助けを求めるかのように手を伸ばした。その腕が崩れ落ちて床で砕けた。
 宍神にはどうしてやることもできなかった。ただ早く終わるよう祈るしかなかった。
 昔なじみの複製は濡れた砂が崩れるように倒れて崩壊した。粘液で黒ずんだ服が抜け殻のように残った。気がつくと宍神は片膝を突き、湿った塵を両手ですくっていた。指のあいだから虚しくこぼれ落ちる。
 莫迦野郎、と彼は呟いた。涙が塵に落ちて染みをつくった。
 産廃物処理場で本物の屍体が発見されたのは数日後だった。死後かなりの日数が経過していて化学物質による腐食が骨まで進んでいた。歯形から身元を特定するのに時間がかかった。遺体は宍神が狼野と同じ墓地に埋葬した。揉み消し屋の人脈をもってしても遺族は見つからなかった。廃墟に保管された資料の山。古いレコードの蒐集品。それらを引き継ぐ者は宍神のほかになかった。

 淀橋ちありを紹介されたとき宍神はその経歴から雪乃を連想した。早熟の天才という言葉はまさに雪乃のためにあった。飛び級に継ぐ飛び級。素行の問題は何の障害にもならなかった。宍神があらゆる半端仕事を経て原型製作の職にありつく頃には、雪乃は大学院で国家機密に関わる研究をしていた。本人は何も話さなかったが噂はあった。神経ガス解毒剤と称して兵士に服用させ、殺人への抵抗を麻痺させる興奮剤だ。当時の政府は戦争ビジネスに熱心だった。その政策を納税者も支持していた。
 雪乃が悪い仲間とつるんで薬物の横流しに関わっているのは知っていた。それだけのことをやって表面化させないだけの権限を彼女は持っていた。その仲間との付き合いは宍神たち四人よりも長く深いようだった。宍神は首を突っ込まなかった。つまらぬ諍いで雪乃を失いたくなかった。足抜けの条件として研究中の薬剤を渡すよう強要されたのだと宍神はのちに推測した。そして雪乃は協力を拒んだのだ。深夜ふたりは寝室に押し入られて病院の廃墟まで車で拉致された。宍神はガムテープで縛られ黒い錠剤を服まされて、雪乃が手術台で輪姦されるのを見届けさせられた。動物実験さえ充分でない薬で顧客に何かあれば信用に関わる。加害者らは宍神を実験台にしたのだ。
 宍神が意識を取り戻したのは明け方だった。手術室は血まみれで吐瀉物と尿の臭いが立ち込めていた。加害者たちの姿はなかった。宍神の手足を縛るガムテープは寸断されていた。数日のうちに遺体があいついで発見された。ある者は自宅アパートの浴槽で、ある者は路地裏のゴミ山に埋もれて。またある者は地下クラブの便所で。いずれも獣に引き裂かれたかのような変死体となっていた。商売にしくじって制裁を受けたのだろうと宍神は考えた。雪乃は流産して精神に変調をきたし、機密を漏らすのを畏れた政府によって大学病院に強制入院させられた。面会謝絶となり厳重な監視がついた。
 上向きつつあった宍神の収入は治療費に消えた。彼自身も後遺症に悩まされた。ふとした拍子に悪夢が閃光のように蘇る。その生々しい現実感は幻覚とは信じがたかった。逃避のためにいつしか複製を雪乃の身代わりにしていた。日々の会話を愉しみ、友人たちと過ごし、深夜放送の映画を観ながら同じベッドで眠った。試作品は企業に返却したと友人たちに説明した。
 雪乃が監視をどうやって出し抜いたかはわからない。失踪を報らされた夜までには自分が愛しているのが何者か曖昧になっていた。夜の街へと消えた哀れな狂人か、電話の相手を眠たげに尋ねる女か。違いは重要でないようにさえ思えた。騒乱を知ったのは病院に向かう身支度をしていたときだ。迎えに来るはずの役人はいつまで待っても現れない。わずかな貴重品だけを手に外へ出た。そして雪乃の複製は暴徒の群に呑まれた。本物の消息も知れない。あの夜には数知れぬ人間が行方のわからぬままとなった。
 いつまでも腹が大きくならない雪乃をいずれは不審がられたろう。だが宍神は仲間の誰にも話さなかった。雪乃の不幸を隠し、人形を本人であると偽った。だから伴は——伴の複製は、母子が騒乱の夜に死んだと思い込んだのだ。宍神のせいで殺されたと。
 それはある意味で正しかった。

 宍神はあの地区を再び訪れた。伴の遺体が発見された翌週のことだ。街は黒く濡れ、運河には濁流が渦巻いている。集合住宅の谷間は薄暗く、見渡す限り人の気配はない。狼野と人形を追ってからひと月も経たないとは信じられなかった。
 彼はある噂を耳にしていた。生きていれば伴が関心を持ったかもしれない。狼野なら冷笑しつつも愉しんでくれたろう。あの懐かしい店のカウンターで莫迦げた噂を肴にするところを宍神は想い描いた。どうせなら夏美と雪乃をそこに加えてもいい。いつもの顔ぶれがくだらない冗談で笑い合う。
 宍神は目的もなく街を歩いた。壁に電柱。煉瓦や漆喰、コンクリート。落書きを見つけられないことに驚きもしなかった。あの壁の前に立つ。狼野と指さしたのは確かここだ。掌をそっと押し当てる。湿って氷のように冷たい。すべては幻だったかに思えた。あの追跡劇も、狼野と伴の死も。 Bebop を巡るすべても。捕まえたかと思うと飛び去るあの娘も。騒乱の夜と雪乃の死さえも。
 頬に冷たいものを感じて宍神は頭上を振り仰いだ。ちょうど人形を黒いバンに撥ねられた場所だ。電線と建物の影に刻まれた鉛色の空。そこから小さな雪片が舞い落ちてきた。始めは遠慮がちに、やがて無数に。今夜は積もりそうだ。すべてが白く塗り替えられていくのだろう——棄てられた街の廃墟も、整然と並ぶ高層ビルも。すべてが分け隔てなく。
 立ち止まって遠い路上へ眼を凝らした。長髪の女を見たように思った。
「雪乃……」彼は茫然と呟いた。
 雪は四つ辻に降り続けた。
 ただ静かに。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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