黒い渦

第8話: 宍神は手近なカフェに入り

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.19

宍神は手近なカフェに入り、奥の目立たない席で携帯を手にした。いくつかの単語を入力して検索した。アンダーグラウンドな掲示板やソーシャルメディアの投稿がいくつもヒットした。ある企業が無数のダミー会社を経て「人間開発研究所」なる団体を設立し特殊教育の研究をしている。破格の報酬と引き替えに三歳前後の子供を求めているという。ひとたび契約を交わせば二度と逢えないのを知りながら多くの貧困家庭が子供を提供していた。厄介払いできたことを喜ぶ者、後悔する者、子供がどうしているか不安を語る者。匿名の言葉に信憑性はないとは言え共通点が多すぎた。代理人の車に関する証言も複数あった。黒いバンで街を巡回して子供を集めているという。
 宍神は例の衛星に接続した。監視範囲と車種とナンバーを指定して条件に合致する映像を抽出する。無数のプロキシを経由していくつかの大企業システムへ侵入し、余剰能力に並行処理させた。期待はしなかったが五秒も待たされなかった。監視衛星は街頭の監視カメラと同期した。暗視映像が表示された。例の地区だ。黒いバンは集合住宅の前に停めてあった。雪が降りはじめていた。どの窓も暗い。ダークスーツの男が三歳前後の男の子を脇に抱えて建物を出てきた。男の子は泣き叫んで暴れていた。四階の窓に人影があった。無精ひげの赤ら顔。その男は後部席へ放り込まれる子供を煙草を吸いながら見下ろしていた。
 バンは濡れた道を走り去った。行く先の見当はついている。宍神はカフェを出て地下鉄へ向かった。クライアントのビルに着いたのは数十分後だった。吐く息が白い。暗い空から雪片が舞い落ち、路面に触れては吸い込まれるように消えた。搬入口の前に停められたバンに近づいた。前面に人形を撥ねた跡がはっきりと残っていた。臨時に与えられた身分証を電子錠に通した。呆気なく開いた。監視されているのはわかっていたがあえて手の内に呑まれることにした。入ってすぐがエレベーターだった。籠が戻るのを待って乗り込んだ。数字を記したボタンの列でただひとつ何も記されていないボタンがある。押した。
 内臓が浮くような感覚が長く続いた。冥府へ向かって真っ逆さまに落ちるかのようだった。
 地下のフロアは広大だった。暗い空間を配管のような装置が埋め尽くしていた。変電所のような唸りで頭痛がした。青白い表示機器だけが光源だった。装置は血管のように絡みあっていて巨大な臓器のように見えた。床を這いまわるケーブルから配線が分岐し、パネルや配管に接続されていた。無数のケーブルを跨いで音へ近づいた。巨大な配管が天井から床へ分岐しながら拡がっていた。絡み合うケーブルが数十基の装置に繋がっている。半透明の繭のように見えた。小窓から剃髪された子供の頭が見えた。ケーブルにつながる針が無数に差し込まれていた。幼児がほとんどだが十二歳ぐらいの者もいた。どの顔も青白く唇は紫で、白濁した瞳を驚いたように見ひらいていた。皮膚は乾燥しきってあかぎれになっていた。半数以上は死んでから月日が経っているようにも見えたが腐臭はなかった。
 さっき拉致された子供は見つからなかった。装置に繋がれた人体はあまりにも多すぎた。
「ようやく辿り着いたな」
 宍神は振り向いた。親爺だった。背後にはダークスーツの人買いが控えていた。愛想のいい穏やかな笑顔は人間をよく模倣していた。あるいは生身の人間であったかもしれない。親爺はぞんざいに手を振り、その男を下がらせた。男は踵を返してエレベーターへ消えた。
「狼野はいつここへ」
「来ることはなかった」
「その前に殺したと?」
「事故だ」
「ちありはあなたに飼われていた。私につきまとわせて動向を伝えさせ、ゴム球をすり替えさせた。あなたはテロ組織に人形を与え、放送局を襲わせた。隙を生じさせて狼野を殺した。彼は Bebop の核となるコードの来歴を調査していた」
 親爺の手には短銃が握られていた。銃口は宍神の心臓を狙っていた。
「ウェブ上で噂が広まっているのをご存じですか。 Bebop カーネルの原型となったのは生身の人間だと。所詮は噂だ。世界に名だたる大企業が相手をするには値しない。でも Bebop は事実上、対人防護規定が機能しない。噂を知った消費者は考えるでしょう。人間が元になっていれば当然だと」
 親爺は嘲るように鼻を鳴らした。「何のために広告代理店が存在すると思ってる」
「噂は確かに金で買える。でも Bebop の根本的な欠陥は変わらない。淀橋ちありはとっくに死んでいる。違いますか」
「自我パターン抽出剤の副作用だ。開発計画は緒についたばかりだった」
「貧しい家庭の子供を犠牲にすることに彼女は厭気が差していたんでしょう。別の開発手段を模索した。死の直前に取られた彼女の複製がその成果だ。社にとっては同じ頭脳があればいい。それを疑似人格に模造記憶としてコーディングした。この手法は成功し、他の試作品にも偽の記憶が導入された。だが無からカーネルを構築する技術はいまだ確立されていない。だからまだ子供が必要だった」
「あのガキどもの何割がまともな職に就くと思ってる。学校にも行かず、引ったくりや強盗や売春に明け暮れる。強姦や殺人だって日常茶飯事だ。そもそも親が技術の進歩のために喜んで差し出している。どこに問題がある」
「ちありの複製は何重にもスパイ役を果していた。試作品たちに私を死神のように思わせたのは私を逆に揉み消させるためだった。失敗すれば試作品を処分できる。どっちに転んでもあなたは得をする」
 銃火が閃いた。宍神は槌で打たれたような衝撃に突き飛ばされた。装置で背中を打って磔にされるような格好で床へずり落ちる。左胸の銃創からどす黒い液体が噴き出した。親爺は喉の奥から息を洩らした。笑い声だった。腹の底からの高笑いとなった。眼は狂気の色を帯びていた。宍神の眼は虚無を見つめていた。
 親爺は高笑いをやめた。宍神の屍体に近づいて土気色の頬を銃身で押しやった。屍体の頭は力なく傾いだ。銃創から溢れる液体は粘性を増していた。触手のように伝い拡がり、分岐して腕を伸ばした。その先が親爺の靴先に触れた。フラッシュバックと呼ばれる現象をご存じですか、と声がした。親爺はギクッとなって後ずさり周囲を見まわした。誰もいない。
 あの薬の最初の被験者は私でした、とまた声がした。
「誰だ。どこにいる」親爺の叫びは反響し、装置群の唸りに吸い込まれて消えた。
 黒いゼリー状の物質が親爺の足に絡みついた。粘液を滴らせながら肥満した体を這い上がる。親爺は触手を引き剥がそうとした。潰れるばかりで掴めない。親爺はうわずった声を発し、屍体の顔をめがけて短銃を乱射した。形を失った頭部から黒い粘液が噴きこぼれた。蠢く触手となって伝い拡がる。触手は装置群を覆うように絡みついて生物の内臓さながらに照り光らせた。引き金が続けざまに乾いた音を発した。親爺は弾倉が空になった銃を取り落とした。よろめくように後退し、粘液に足を取られて転倒した。その体を粘液が覆う。彼は絶叫した。その口に粘液が侵入しようとする。親爺はそれらを懸命に引き剥がし、半ば這うようにエレベーターへ転がり込んだ。そして絶句した。
 親爺は背後を振り向いた。扉も地下工場も消えていた。狂気に染まった人々が周囲を走り過ぎた。十年前の彼自身もその中にいたかもしれない。燃え盛る炎。逃げ惑う男女。黒煙をあげて炎上する車。路上できらめくガラス屑。飾り窓を叩き割る人々。熱い泥がねっとりと親爺の脚にまとわりついた。抗う術もなく押し流された。火柱が噴き上がって黒煙と熱気が視界を歪めた。人や車を巻き込みながら路面が陥没する。窓が砕け落ち壁が裂けて、埃を舞い上げながら建物が瓦解した。見る間に濁流に捉えられ押し流されて沈んだ。大地はどす黒い奔流と化して摺鉢状の陥没へなだれ込んだ。黒い渦の中心には何かが潜んでいた。蜃気楼のような影が炙り出されるように実体化した。無数に穿たれた眼が親爺の姿を捉えた。裂傷のような口がひらいて暗い血の色が覗いた。金属的な咆哮。
 親爺は泥の流れに抗おうとした。覆い被さる影を振り仰いだ。その眼がこぼれ出んばかりに剥き出される。荒く呼吸する口から声にならぬ息が漏れた。
 鎌状の鉤爪が一閃した。
 宍神は暗い自室のソファーで目覚めた。端末と暖炉からの光に人形の群が浮かび上がっている。頭が鉛でも詰まったように疼いた。荒い呼吸が鎮まるにつれ眩暈も治まった。視界が徐々に現実味を取り戻す。鼻の奥にガソリンの臭いが残っていた。夢の印象は鮮烈だった。自分がもう死んでいるという拭い去りがたい感覚があった。
 傍らの影に気づいた。女は足元に落ちたドレスから踏み出した。宍神のシャツのボタンを外し、荒い息を吐いて絡みついてくる。動かぬ人形たちに見下ろされて床でもつれ合った。業者の屍体が転がっていた場所だ。膿んだ傷口をえぐるような音が速まり、喘ぎが獣じみた叫びへ変わったとき、女は彼の胸を突き飛ばし、脱いだ服へ手を伸ばした。戻ってきた手には剃刀の刃が握られていた。頬が濡れているのが垣間見えた。
 首を掻き切られる寸前で宍神はその手首を掴んだ。クッションの下から短銃を抜き、相手の顔を撃った。女は彼を激しく締めつけて痙攣し、仰け反って倒れ込んだ。宍神はのしかかる体を押し退けて腰を引き離した。粘性の塊が流れ出るような音がした。頭部を吹き飛ばされた死骸を宍神は見下ろした。どす黒い体液が重油のように床へ拡がった。
 端末に臨時ニュースが入った。クライアント名と親爺の本名が読み上げられる。暴走した人形と共に遺体が発見されたという。血中から大量の薬物が検出されていた。宍神は左胸に触れた。古い傷跡のような醜い盛り上がりがあった。
 携帯が振動した。伴源太からだった。
「興味を持ちそうなネタがある。女の溺死体が上がった」
「溺死なんて珍しくもないだろう」
「橋の飛び降りた場所で遺書が見つかった。教育研究所に我が子を売ったのを後悔する内容だった」
「人間開発研究所か」
「チェッ、何でも知ってやがる。また車を借りた。迎えに行くから待ってろ」

 ちありは後部席で俯いていた。虚ろな眼だった。存在しない内面に深く沈み込むかのようだった。薬欲しさから親爺の言いなりだった生活を見つめ直しているのかもしれない。シートベルトを締めながら宍神は、話したのかと伴に尋ねた。洗いざらい教えたよ、と車を出して記者は肯いた。
 過去の人生のあらゆる場面が幻だった。身勝手な父親も冷たい母親も。飛び級を重ねる孤独な日々も。子供の従順さと大人の責任を共に求められる生活も。仲間のふりをして試作品たちを泳がせ親爺に売った。双子とも言える同型は自分に似せて造られたと信じて疑いもしなかった。麻薬を必要とする本当の理由にも気づかなかった。任務の重圧から逃れるため、作業能率を上げるために頼っているつもりだった。地面が急に消失したようなものだ。自分の存在が手の内からすり抜けて煙と消えた。
「あと一歩で記事にできそうだ」
「聞かせてくれ」
「例の次期製品は有機培養のハードウェアに深刻な欠陥があった。デスを定期的に摂取しなきゃ体組織を維持できない。脱走した試作品が十数体。うち二体は同型で最後の一体は子供の形状をしていた。街の売人に偽薬を掴まされて肉体の崩壊を止められなかったんだと」伴はいつもの暢気な口調のまま警告した。「気をつけろよ。残りが揉み消し屋を逆に襲う可能性がある。少しでも生き長らえるためにな」
 連絡橋の袂には人だかりができていた。眉を潜めて囁き合う者。携帯で撮影する者。救急や警察の車両が集まって関係者らが立ち働いているのが見えた。飯沢が気づいて声をかけてきた。群衆を掻き分けて近づくと潮の臭いがした。やんだばかりの雪で濡れた防波堤に女は寝かされていた。髪が海草のように顔に張りついている。質素なブラウスにスカート。片方の靴はなくなっていた。瞼は検屍官の手で閉じられていた。伴は気乗りしない様子で何枚か撮影した。人形が夢遊病のように歩み出た。宍神の呼びかけに答えず屍体の傍らにしゃがみ込む。やがて独り言のように呟いた。
「夢の話、憶えてる? 誰だかわからない女の人があたしを置き去りにするの」飯沢が物問いたげに伴を見た。記者は困惑したように肩をすくめた。辛うじて聞きとれる声で人形は「お母さん」と呟いた。
 担架が運ばれてきた。人形は屍体が黒い袋に包まれるのをじっと見つめた。
「仏の携帯にあんたからの着信記録があった。説明してもらえるか」と飯沢が言った。
「狼野がメモを残してたんです。かけたが拒否された」
「あとで署に来てくれ」
 宍神と伴は飯沢に礼を言い、人形を連れて車に戻った。
 宍神はぐったりと座席にもたれ、眼を閉じて深い息を吐いた。潮の香りに混じるかすかな腐臭がまだ車内に残っている。濡れた顔が網膜に焼きついていた。追跡中の人形を黒いバンに撥ねられたあの日、夫らしき男と運河を眺めていた女だった。狼野は再びあの街を訪れたのだ。宍神が回り道をしてようやく掴んだ情報をその時点で手にしていた。
 記事にするのかと宍神は尋ねた。わからんと伴は答えた。
 廃墟へ帰るのは気が重かった。人形の死骸は一点の染みも残さず撤去されていた。宍神は家財の整理をはじめた。ゴム球や閃光銃をゴミ袋に放り込む。 Bebop が実用化された世界ではこんな子供騙しは役に立たない。シーツを引き剥がしたとき枕の下から青い手帳を発見した。ちありの複製が熱心に書いていたのを想い出す。口論になって出て行く前の晩のことだ。いつか作家になるのよ。訊きもしないのにそう説明された。制服の胸ポケットに入れて持ち歩いていたその手帳が、どうしてここに残されているのかはわからなかった。
 相手が人形だと知った今では無断で読むのに抵抗はなかった。裸に剥いたベッドに腰掛けて頁を繰った。大半は開発に纏わる雑感だった。技術的な考察が展開されていた。私的な述懐もあった。親爺との関係。同型の人形について触れた箇所が興味を惹いた。その人形は同じ青い手帳を持っていた。逃亡生活の手記だった。
 逃亡した試作品群との接触は、数度に渡って行われた。居場所が常に特定できたわけではない。だが模造記憶の設定が役立って怪しまれることはなかった。行動の監視で得られた情報は製品化に向けての改良へ還元できた。奇妙なことに件の複製は双子の姉と共に行動するのを厭がった。集会に姉が参加すれば席を外した。目の前にいるのがどちらなのか、逐一説明を求められるのも嫌った。自分はおろか姉が教えるのさえ拒否したという。おかげで仲間たちは両者を混同することも少なくなかった。手記の筆者はそうした状況に便乗した。
 手記にはある人物との関わりも詳細に記されていた。十年前、モジョに感染した人形に恋人を殺された男だ。その少女を宍神は誰よりも知っているつもりだった。だがそこに描き出されていたのは彼ではなかった。
 読み終えたところで声をかけられた。
「俺が何者かわかったか」顔を上げると伴が戸口に立っている。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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