黒い渦

第6話: 連続した炸裂音。一瞬前までいた床が

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.19

連続した炸裂音。一瞬前までいた床が線を描くように弾けて抉れた。男の悲鳴がゴボゴボという濡れた音に変わった。その連れらしき女が血の海を這いずって逃げるのが見えた。宍神はちありを物陰へ押しやって煙に目をこらした。狂ったような悲鳴、機銃掃射の炸裂音。椅子やテーブルが跳ね踊るように砕け散った。十年前の再現のように感じた。どこから狙われてるんだ。宍神は息を潜めて銃声に耳を澄ませた。近づいてくる。銃火が見えた。宍神は弾倉が棄てられるタイミングを逃さずに低い位置から突進した。自動小銃を持つ男の手首を掴んで手摺に叩きつけた。銃は階下の炎へ消えた。
 揉み合いになった。背格好が宍神とよく似た男だった。顔の下半分が布に覆われている。男はコートの懐から何かを抜いた。宍神は寸前で飛び退いてかわした。男は薄い笑みに唇を歪め、ナイフを逆手に持ち替えた。殺害を楽しんでいるのだと宍神にはわかった。男が距離を詰めた。刃が炎を浴びて輝いた。
 男の頭蓋がハンマーで打たれたように破裂した。男はよろめいて横ざまに倒れた。
 宍神は床に転がり、銃声のした方向を振り向いた。黒服の集団が煙の切れ間に見えた。短銃を発砲し、逃げる男女を追い散らしながら殺到する。誰かを探しているようだ。ドレッドヘアの男に見憶えがあった。ちありが這い寄ってきた。その手を掴んで宍神は立ち上がり、煙に紛れて非常口へ駆けだした。背後に発砲音がしたが狙われたのかわからなかった。店の外には人だかりができていた。サイレンが近づいた。連続した炸裂音が聞こえた。突入した警官隊と銃撃戦になったようだ。人混みに紛れて店を離れた。
 宍神が一瞥するとちありは怯えた眼をした。返り血と煤で汚れているが怪我はないようだ。あいつら何者だと彼は尋ねた。
「コートの男は知らない。あとは他社が雇った業者。どの社もなりふり構わなくなってる」
「違うな。連中はわざと人目を惹くようにやってる。これが現代の戦争なんだ」携帯で撮影や共有をする人々を宍神は身振りで示した。「人命は貶め合いの道具でしかない」
「あたしもどうやら道具みたいね」
「俺たちみんながな。主役は広告代理店だ」
 宍神は親爺のオフィスへかけた。まだ退社していなかった。担当者をやるからそこで待てと親爺は言った。十分と経たずに保安部の車が現れ、ちありを乗せて去った。宍神は地下鉄で非難の視線を浴びた。どこかでまともな服を買って着替えるべきなのはわかっていた。彼は遺棄された街から迷い込んだ亡霊のようだった。上昇する籠で夜景を眺めながらかつての恩人の言葉を思い出した。好きな仕事で身の丈に合わない金が降り注いだあの頃。あの情熱はもうない。
「過去の遺物のお出ましか」親爺は宍神を見るなり吐き棄てた。「子守すら満足にやれないとはな」
「その遺物に何の用です。代わりなどいくらでもいるでしょう」
「最重要機密に触れる覚悟はあるか」
「汚れ仕事というわけですか」
「 Bebop を積んだ試作品が旧市街で所在不明になった」
「版数は」
「開発版スナップショット、ベータ版、リリース候補版」
「まさかその全部が?」
「四体の開発版スナップショットは体組織を維持できず自滅した。ベータ版九体は業者に捕獲ないし処分された。リリース候補版十三体のうち五体は処分済み。一体は所在がわかっている。これらの一部には実験的に模造記憶が埋め込まれている」
「多すぎますね。動作検証のためにわざと社会へ放したんでしょう。自滅とは?」
「厳密には Bebop はOSではない。OSと専用ハードウェアで構成されるプラットフォームの商標だ。現状は体組織の安定性に課題がある。ある化合物を定期的に投与する必要がある」
 伴に聞かされた話を宍神は想い出した。噂の出所は人形自体かもしれない。「対人防護規定はどうなんです」
「お前と同じだよ。過去の遺物だ」
「人間を傷つけることができると?」
「安全管理は薬剤で行われる。ユーザに従わなければ塵になる」
「製薬会社による人体実験の後遺症」
「なんだと」
「偽の記憶ですよ。そういう設定でしょう」

 廃墟への道のりは普段より長く感じられた。宍神は疲れきっていて背後の二人組に気づかなかった。世界が回転して床が顔にぶつかった。激痛と血を味わった。背中が滅茶苦茶に蹴られた。呻きが漏れて体が丸まった。爪先で脇腹を持ち上げられてひっくり返された。暗い天井と人影が視界に入った。ひとりに見憶えがあった。伴の記事だ。爆破テロで指名手配中の容疑者。「新生命種支援組織」の一員だった。
 男たちは踵を返した。宍神はどこかでドアが開閉され、エンジンがかかり、車が走り去るのを聞いた。床の冷たさと全身の痛みが遠い他人のものに感じられた。雨が降り出した。骨はどこも折れていないようだ。宍神は壁に寄りかかって立ち上がり、階段を登った。砂漠を横断するような努力を要した。見慣れぬ複数の足跡に気づいた。泥のようなどす黒い汚れ。血だ。足跡は彼の部屋へ続いていた。扉がわずかに開いている。漏れ漂う暖気に血の臭いがした。踏み込んで明かりをつけた。
 昔なじみの業者が倒れていた。頭部は形を失い、手脚があり得ない方向へ投げ出されている。指先で屍体に触れた。体温の名残が感じられた。そばに血まみれの鉄パイプが転がっていた。宍神はひしゃげた眼鏡を拾い上げた。レンズが砕けている。持ち主が最後まで自分を気にかけてくれたことを考えた。
 コートで携帯が振動した。宍神は動けなかった。あたかも空気を揺るがせば携帯が爆発するかに思えた。振動は途切れて再開した。携帯をポケットから出した。非通知。
「贈り物は気に入ったか」合成音声が言った。含み笑いは地の底で沸く泥を思わせた。
 宍神は声を絞り出した。「誰だ」
「お前に殺された女の代理人さ」
「番号が違う」
「お前だよ、揉み消し屋。罪もない女を平然と殺したのは」
「何のことかわからない」
「自宅に屍体が転がってる気分はどうだ。警察とは巧くやりたいもんだな」
「何が目的だ」
「仲間が殺されてもお前には些細なことだろう。だが俺は忘れない。どれだけ時が経とうと」
「人形にモジョを感染させたのはお前か」
「自分の手は血で汚れてないとでも? ……ま、せいぜい思い知るんだな」
 通話が切れた。宍神は携帯を握り締めているのに気づいた。指を剥がすようにして携帯をテーブルに置いた。手が冷たく湿っていた。眩暈がした。深く息を吐いてバスルームへ行き、洗面台の冷たい水で顔を洗った。裂けた唇に染みた。黴臭いタオルで顔を拭い、ふと視線を上げる。鏡に黒ペンキのようなもので殴り書きされていた。背筋が凍った。瞬きすると文字は消えた。唖然として鏡を見つめ直した。錯覚ではない。さっきは確かに書いてあったのだ。「トリコは生きてる!」……と。
 宍神は業者を呼んで屍体と汚れた絨毯を片づけさせた。掃除屋の頭領は頭髪も眉毛もない大男だった。現場に遺留品を残さぬよう全身を除毛しているのだ。前に見たときよりいい作業服を着ていた。十数名の部下も同じものを着ていたが無毛ではなかった。何かあれば逮捕されるのは彼らだ。危ない橋を渡ってるようだな、ひでえ面だとその男は言った。「狼野は気の毒だった。子供がいるんだろ」
「ああ。そっちの商売は」
「人手が足りない。頭のある奴がほしいんだ。喰うに困ったらいつでも来い」
「手広くやってるんだな」
「時勢だよ。新市街のクラブでテロがあってよ。ひでえ現場だった。いきなり爆弾が投げ込まれて銃撃戦だとさ」掃除屋は肩をすくめた。「世の中がお綺麗になるほど汚れ物が増える。屑を始末するのは屑って寸法さ。……おい気をつけろ。この程度で怖じ気づいてんじゃない」家具や人形が運び出された。掃除屋は宍神を促して廊下に出た。業界の噂話が続いた。「次世代システムの開発競争がきな臭い。ハードも新機軸だが仮想人格の製法が特殊なんだ。三歳児の自我を取り込んで成人相当まで発達させるんだと。貧民街の餓鬼が薬漬けにされて電極に繋がれてるって噂だ。大勢を使い潰したらしいぜ」
「都市伝説としては完璧だな」
「誰かが避妊を説いて回る必要がありそうな地区だった。今じゃ餓鬼が遊ぶ姿も見かけないし赤ん坊の声も聞こえない」掃除屋は麻薬専門の揉み消し屋の名を口にした。「あいつによれば騒乱前に製薬会社が開発したんだと。脳波を検出しやすくする目的でな。一度でも使えば代謝が壊れて体組織が崩れる。塵みたいになっちまうんで表沙汰にならねえんだとさ」
 掃除屋は去り際に、監視装置や爆発物は見つからなかったと教えてくれた。絨毯がなくなっただけで続き部屋は寒々しく感じられた。死の痕跡は消えていた。窓を開けて風を入れる必要さえなかった。
 携帯が振動した。番号の表示を確かめる。伴からだった。いちいち動揺する自分に宍神は苦笑した。
「どうした。顔色が悪いぞ」
 友人の気遣いに宍神は心安まるものを感じた。仕事に手こずっただけだと答えた。伴は信じたようには見えなかったが、それ以上は触れずに本題に入った。黒い錠剤を分析させた結果が出たという。
「予想通りデスだったよ。これまでに警察が押収したのと同一だ。刻印はなく製造元は不明。おそらく暴力団かテロ組織の密造だな。視床下部を撹乱して認知の枠組を歪めるらしい」
「聞き飽きた内容だな」
「本題はこの先だ。鑑識のツテで得た別情報さ。ラット十二匹に投与したら過度の興奮と錯乱が観察された。数分以内に十匹が死亡。熟れ過ぎた果実のように体が弾けたと関係者は証言している。残る二匹は過剰な交尾行動ののち九十分後に片方が衰弱死」
「最後の一匹は」
「消えた」
「逃げたのか」
「違う。ケージから消えたんだ。餌をやる口も締まってたし針金も壊れてなかった」伴はいつもの口調で続けた。「俺は報告書を要約してるだけだ。委託された大学の研究室には他にも実験動物がいた。どれも細切れの肉片になったり、おかしくなってやりまくったりした。もちろん薬は投与していない。助手の院生らは吐き気や眩暈を訴え、同じ悪夢を繰り返し見るようになった。女子学生がひとり情緒不安定になって病院に担ぎ込まれた。あげく職員や他の患者と性的なトラブルを起こして強制退院させられた」
「同じ悪夢?」
「複数の人間が同じ夢を見たんだ。騒乱の夜を思わせる内容で、蟻地獄みたいな化け物が登場する。学生たちが示し合わせて話を捏造した形跡はなかった。どう思う」
「その研究室は当てにならない」
「俺もそう思う。無茶はするなよ。例のテロ組織の活動が活発になってる」

 宍神が翌日オフィスへ出向くと親爺は書類を放ってよこした。写真つきの個体情報だった。埋め込み記憶を備えた製品に印が付いている。宍神は最後の一枚に視線を留めた。見慣れた暗い瞳が彼を睨み返していた。
「警察にはもう手を打ちましたか」
「どういう意味だ」
「淀橋ちありを襲った男ですよ。武装集団に揉み消された。雇ったんでしょう」
「遺体からはお前の名刺が発見された」親爺は突き放すような含み笑いを浮かべた。「困るのはどちらかね」
「私は名刺など持ちません」
「奴はお前になりすましていた。成績は悪くなかった」
 痩せた体の禍々しい印象と喉を絞められる苦痛が宍神の脳裏をよぎった。他人の空似、という台詞が蘇った。脱走した試作品たちに双子のような友人を装って近づいたのだろう。そうして得た情報を殺された揉み消し屋に流していたのだ。親爺が仲介したに違いない。宍神の名を騙った男は人形と取り違えてちありを襲ったのだ。脱走した人形の一体は開発者をモデルに製作されていた。淀橋ちありと瓜二つだった。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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