黒い渦

連載第5回: 声で眼を醒ました

アバター画像杜 昌彦, 2022年08月19日

声で眼を醒ました。
 製作台の上で膝を抱えていた。膚を刺す冷気で裸だと気づく。裸電球の光に埃が舞い、吐く息が白かった。どうして彼の仕事部屋にいるかわからなかった。埃っぽく窮屈なこの部屋が好きじゃない。棚や作業机、旋盤にドリル。大きなチューブや一斗缶。製作中の作品が工具と一緒くたに並んでいる。切断された屍体に見えて気味が悪かった。溶剤の臭いが鼻につく。ネジやシリコン屑で怪我しないよう、気をつけて床に降りた。
 彼は誰か知らない女と話していた。暗い廊下に出て打ち放しの床を裸足でぺたぺた歩く。冷たくざらついた感触。丁寧に手入れしたあとのように足裏は柔らかかった。居間の戸を開けるとふたりが同時に振り向いた。「新しい試作品だよ」
 女がまじまじとあたしを見た。ホクロの位置が鏡とは逆だ。もうひとりのあたしは彼に言った。「何だか薄気味悪い」
 彼が近づいてきてうなじに触れた。髪の生え際を探られる。優しさのかけらもない他人のような指先だった。反射的に身をすくめたそのとき——あたしの中で何かがぱちっと音を立てて切れた。何もわからなくなり、再び元の闇へ沈んだ。
 虚無の世界へ。

「結局そいつは誰でもなかった。社にとって重要なのは頭脳だけってわけさ」
「お前の性生活に興味はないね」借りたワゴンで濡れた路面を走りながら伴が混ぜ返す。「社の秘蔵っ子ってわけか。いつ仕事してたんだ」
「俺の端末に日がな一日かじりついてた。娼婦仲間と駄弁ってるとばかり思ってた。親爺の命令じゃこっちも逆らえない。警察は狼野の合鍵を親爺に渡していた。夏美には告げずに」
「連中のやりそうなことだ」
 宍神は苦い思いで昨夜の出来事を回想した。少女の正体は Bebop 開発班を率いる技術者だった。寄宿制の私立女子校に在籍中、弱冠十六歳で情報工学の博士号を取得。それから二年で今の地位に就いた。本名は淀橋ちあり。事実を知った宍神は社に事情を問い合わせた。親爺はまだオフィスにいた。口調にはいつもの侮蔑に加え、面白がるかのような色があった。
「保護者代理としてよくやっとるそうじゃないか。せいぜい手懐けてくれ」
「仰る意味が……」
「あれの気紛れに開発班は振り回されとる。機会を与えてやろうというのだ」親爺は接続を切った。
 淀橋ちありの眼は力を失っていた。死んだ魚のように蒼褪めた膚。長い髪が乳房にかかっている。骨の浮いた体が剥き出しで傷つきやすいものに見えた。宍神は小鍋でグラニュー糖を煮詰め、ワインを注いで香辛料を加え、レモンを絞り入れた。ふたりは飲物を手にソファーで向き合った。家で温かい手料理を食べた記憶がないとちありは言った。毛布を体に巻きつけて湯気で曇るグラスを両手で包んでいた。そうして身の上を語りはじめた。彼女の父親はバイオ工学の世界的権威だった。地球上を年中飛びまわっていた。薬物中毒の母親は隔離病棟にいた。面会に行ったことがある。マットが張られた部屋の隅に拘束着をつけて転がされていた。大小便を垂れ流し、虚ろな眼は実の娘を認識しなかった。飛び級に継ぐ飛び級。学業や仕事に打ち込んでさえいれば大人たちは文句を言わなかった。酒に溺れようが男の部屋に入り浸ろうが、誰も気遣ってはくれなかった……。あの話もどこまで本当か怪しいものだ、と宍神は流れる住宅街を眺めながら思った。
 押しつけられたのはただのお守りじゃなかったってわけか、と伴はわずかな車間に巧みに割り込みながら要約してみせた。「ちやほやされるのに慣れきったVIPが、まさか廃墟に隠れ住むなんて誰も思わないからな。しかも揉み消し屋の部屋に身を寄せるなんて。大袈裟な警護で人目を惹くより確かに安全かもしれん。それにお前には原型師としての伝説的なキャリアがある。業界人にゃ敬意を払われてる。事実が発覚したところで傷つけられる畏れは低い。巧いこと考えたぜ」
「次世代OS開発には各社がしのぎを削ってる。そこにあの娘が登場した。業界を一変させる新方式の考案者だ。命を狙われてもおかしくない。断りようがなかった」
「あのテロは俺たちを狙ったってのか。夏美の局が襲われたのも?」
「彼女の番組の準備中だった。偶然が二度も続くか」
「世の中は奇妙な偶然だらけさ。十年もこの業界にいればわかる。記事にできない澱が溜って、辞める奴もいれば詩を書き出す奴もいる。両方やる奴もな。おかげで年に何度も糞みたいな本を買わされる」
「お前が詩人とはね」
「親しい者を失った人間はそこに意味を見出そうとする。意味なんてないんだ」
 騒乱前に建てられたアパートの前に路上駐車した。伴は勤め先から段ボール箱を失敬してきていた。束ねて脇に抱え、建物に入った。伴は郵便受けの前で通話器のボタンを押した。夏美の声がした。
「来たぞ。宍神も一緒だ」
「上がってきて」カチッと音がして扉の鍵が開く。宍神は伴の後について階段を登った。
 呼鈴を押すまでもなく部屋の扉が開き、化粧っ気のないやつれた顔が現れた。伴は何も言われる前に、勝手知ったるといった風に上がり込んだ。夏美は狭い玄関に段ボールを抱えた男たちを通した。
「コーヒー淹れるね」夏美は伴に声をかけた。「車じゃラムコークとウィスキーってわけにいかないでしょ」
 長いつきあいにも関わらず、彼女は宍神がバイクしか運転できないのを失念していた。違法投棄の小型車を修理して五人で遠出した青年時代には誰もが無免許だった。記憶が混同され、男全員が運転役を勤めたと錯覚しているのだ。
「構わなくていい。すぐ作業にとりかかるよ。仕事を抜け出してきたんでね」伴は何も感じないかのように奥へ進んだ。「我らが姫君は幼稚園?」
「小父ちゃんたちが来たと知れば怒るわ。どうして教えてくれなかったのって」
 薄暗い小部屋へ踏み入る。埃と古い煙草の臭いが鼻を衝いた。スチール棚にLP盤が詰め込まれている。ふたりは棚のあいだに身を割り込ませた。保存状態は概ね良好だがスリーヴが傷んでいたり塩化ビニールの円盤が反り返ったりしているものもある。割れ物を扱うように段ボール箱へ詰めていった。棚の陳列には何らかの法則があるようだった。知識のない彼らには片端から順に詰めるしかなかった。終盤に近づき、用意した箱では足りないのが見えてきた。ビリー・ホリディのレコードを宍神が手にしたとき、どうしたんだそれと伴が尋ねた。夏美が段ボール箱をどこからか出してきたのだ。不要品を取っておく習慣がなかった狼野の家庭にはそぐわない。スーパーから貰ってきたと夏美は説明した。気にしないで使って、まだ他にもあるから。
「また引っ越すのか」と伴。「道理で片づいてると思った……」
 十年の歳月は五人を同じ場所に留めてはおかなかった。ふたりは死に、ひとりは遠い土地へ去る。残るふたりもいつか疎遠になるのだろう。宍神は余計なことを考えまいと作業を再開した。変色したスリーヴから何かが花弁のように落ちる。小さな紙片。セキュリティのために直筆の覚書をする人間がいるのだ。狼野がそうだった。携帯番号らしき数字が記されていた。それから謎めいた「黒い車」なる言葉。振り返ると友人たちはまだ引っ越しについて話していた。夏美は微笑まで見せていた。宍神は紙片を上衣のポケットに突っ込んだ。
 作業を終えた男たちは体の埃を払い、腰を伸ばしたり肩の骨を鳴らしたりした。夏美が台所の戸棚を探っている。背の高い女に踏台は必要なかった。コーヒーなら要らないぜと伴が声をかけた。こいつを運び降ろしたら仕事に戻る。
「見て欲しいものがあるの」夏美は薬のシートをふたりに見せた。黒い錠剤だった。伴が受けとり、しげしげと見つめる。「遺品を整理してたらポケットから見つけた。あの日とは別のコートの。知る限り医者に通ってはいなかったし、どこか悪かったとも思わない。これが何の薬で、どこで手に入れたか知りたいの」
 男ふたりは顔を見合わせた。
「あなたたちが考えてることはわかる。あたしもそうでなければいいと思ってる」
「調べてみる」どうということもないように伴が答えた。「とりあえず預かっとくよ」
 段ボール箱を運び降ろす作業を夏美は見守った。最後の荷物を担ぐふたりの後について階段を降りる。積み込みを終え、車に乗ろうとする彼らに言った。「あなたたちが葬儀に来てくれて嬉しかった。あのひとも喜んだと思うわ」
 宍神は何も言えなかった。伴はエンジンをかけて窓へ身を乗り出した。「電話してくれ。薬について何かわかるかもしれない」
「田舎に仕事を見つけたの。小さなケーブル局」湿った風が夏美の髪を乱し、顔にまといつかせた。
「どこへ行こうが看板キャスターだよ、我らのマドンナは」伴はそう言って車を出した。
 旧市街へ向かう流れに加わるまでふたりは無言だった。伴は製薬会社による人体実験の噂について話しはじめた。「脳波を記録しやすくする薬剤だそうだ。地下クラブの麻薬パーティーを装って若い被験者を集めた。当初は確かに目論見どおりの薬効が得られた。やがて被験者が相次いで変死体となって発見された。熟れすぎた果物が弾けるみたいに、バーン。いきなり全身が裂けちまうんだと。遺体はまるで大型獣に弄ばれたかのような状態だそうだ。鋭い鉤爪でな」
 宍神は眩暈を感じた。今その話は聞きたくないと思った。
「噂には別バージョンもある。常用すると代謝や神経伝達が置き換わり、定期的に摂取しなければ体組織が維持できなくなる。肉体が崩壊するんだ。そうなりゃどの企業もやることは同じさ。揉み消し屋を雇って被験者を抹殺する。ナノフラクタル・ナイフを使うのがお決まりの手口だそうだ。ナノ単位ですっぱり輪切りにできるあれを、あえて切口が汚くなるように調整してな」
「騒乱の夜からしばらくのあいだ護身用に持っていた。一度も使わなかったが……」宍神は疲れきっていた。禍々しいイメージが濃霧のようにまといつく。伴の声が遠く聞こえた。
「世の中には色んな噂があるってこった。都市伝説の類いがな」

 消される前に逆に不意打ちしてやる。それしかないと男は心に誓った。女は協力するどころか泣きじゃくって彼を制止しようとした。見ている側が惨めになるほど怯えている。うまくいくわけないよ、あんたが殺されたらあたし……。
「生き延びる気のない奴につきまとわれても迷惑だ。臆病者は勝手にくたばれ。俺独りでやる」そう息巻いて威圧するといつも通りついてきた。引ったくりに遭うのを畏れるかのようにハンドバッグを小脇に抱え込み、ペンライトで進路を照らしている。莫迦な女だ。
 その場しのぎに過ぎないのはわかっていた。薬を手に入れたところでいずれ使いきる。追っ手を殺しても代わりが送られてくるだけだ。だが何もせずに死を待つのは俺の流儀じゃない。最後まで足掻き続けてやる。
 遺棄された街は雨に濡れていた。街灯は死に絶え、人の気配もない。こんな場所に棲み着くのは犯罪者や浮浪者、違法就労の外国人。それに野生化した犬猫や烏くらいのものだ。あの小娘……。鉄パイプを握り締めて歩きながら彼は呪った。コートの男が奴だってことを問い詰めて白状させるまで黙ってやがった。知らなかった、そんな風には見えなかったなどと平然とほざきやがる。
「危険を顧みず助けてくれたのよ。揉み消し屋の集団に襲われたあたしを」
 誰がそんな戯言を信じる。あの小娘には前からおかしなところがあった。取り澄ました態度。信用ならない眼つき。確かにこれまで誰もコートの男の顔を見た者はない、殺された仲間を別にすれば。だが宍神なんて奇妙な名字が他にあるものか。敵があの小娘を通じて俺らの動向を把握しているのは間違いない。気味が悪いのは赤鼻とオソノ以来、動きが見えないことだ。何を企んでいやがるのか。これまで泳がされていた理由も腑に落ちない。奴の部屋へ引き込まれたことさえあった。あのとき奴は俺たちを叩き出しただけだ。わけがわからない。
 暗い廃墟に忍び込んだ。鼠や虫のほかに気配はない。帰宅を待って奇襲する計画だった。鍵はかかっていなかった。こじ開ける手間が省けた。女に見張りを命じて侵入する。照明は消えているがガス暖炉がつけっ放しだった。段取りは変更を強いられた。一度来たことがあるので間取りや家具の配置はわかる。息を潜めて奥へ進んだ。凍りついた人形の群に生身の人間が紛れていた。ソファーで背中を丸めている。足音を立てずに近づくと寝息が聞こえた。躊躇せず鉄パイプを脳天へ振り下ろした。
 奴は寸前で眼を醒まして悲鳴をあげた。目標が逸れて肩の骨を砕いた。奴は苦悶の叫びをあげてソファーから転げ落ちた。丸腰だ。揉み消し屋の自分が逆に襲われるとは夢想だにしなかったろう。殺す側でさえいれば安全であるかのような錯覚に溺れたのだ。
 男はパイプを振りまわした。敵はソファーの陰へ身を隠した。逃がすものか。惨殺された仲間や腐り落ちる仲間が脳裏をよぎる。こうなれば最後までやるだけだ。敵は哀れっぽい悲鳴をあげて床を這いずった。それが男には卑屈な動作に見えた。体を丸め両手で頭をかばう敵を渾身の力で滅多打ちにした。手脚やあばらが折れ頭蓋が陥没したのが感触でわかった。やがて相手は浅い息で痙攣しはじめた。
 男は息を深く吐き、それまで呼吸を止めていたのに気づいた。強張った指をほどくようにして血まみれのパイプを棄てた。手がじっとり汗ばんで鉄の臭いを発している。
「ナイフを貸して。とどめはあたしが刺す」背後から女が近づき、バッグとペンライトを差し出した。光は消してある。正視したくないのだろう。
「さっさとやれ」男は荷物とライトを預かり、懐からナイフを抜いて手渡した。
 女はナイフを逆手に持って振り下ろした。白い上着が鮮血に染まった。女は汗ばんだ両手を柄から離してよろめくように後ずさった。敵は痙攣をやめて静かになった。血飛沫はすぐに弱まった。女は顔を狆のように歪め、視線を背けて啜り泣いた。男は荷物を女に押しつけてナイフを抜きとり、死人の服で血を拭った。少しでも生き長らえるつもりならナイフは今後も必要になる。
 暖炉の炎で照らされた屍体を男は見下ろした。顔を歪めて悪態をついた。安堵や昂揚が絶望にとって代わられる。どう足掻いても悪化する人生へのやり場のない怒り。不運にひとたび眼をつけられれば逃れられない。さんざん弄ばれた末に死の渦へ引きずり込まれる。どうせこうなるのはわかりきっていた。
「まさか……まさか……」女は脅えて懇願するように啜り泣いた。
 男はうつ伏せの屍体を靴の先でひっくり返した。屍体は砂袋のようにグニャリと転がった。変形した顔が虚空を見つめる。ずんぐりした禿頭の小男だった。繋ぎの作業服に防寒ジャケット。眼鏡の残骸が離れた場所に転がっていた。
「だ、誰よこいつ……なんで奴の部屋にいるのよ」
「知るか。やっちまったからには仕方ない。脅しにはなる。行くぞ」
 疲労が両者にのしかかった。重い足どりで部屋を去る。女はライトを握る気力もないようだった。男が足元を照らした。女はずっと啜り泣いていた。神経に障る泣き方だった。惨めさに追い打ちをかけた。
 廃墟を出たとき携帯に着信した。仲間の中年男からだ。男は通話を終えて携帯を軍用コートのポケットに突っ込んだ。女は問い質すような視線を向けた。関心があるわけではない。指示を仰ぐのが習慣になっていた。
 売人のアパートを突き止めた、と男は言った。

 伴の運転する車で移動中、携帯に着信した。「『新生命種支援組織』について調べたのよ。罪滅ぼしに」と淀橋ちありは言った。番号は親爺に訊いたに違いない。伴は何も訊かずに進路を変え、新市街まで送ってくれた。宍神は車の後部を親指で示し、あれをどうすると尋ねた。独りじゃ運び上げられんだろう。
「どうにかするさ」と伴は陽気に笑った。「デートなら仕方ない」
 数ブロック手前で降ろしてもらって歩きながら、宍神は紙片を想い出した。記された番号にかけた。
「はい?」やつれた顔の女だ。どこかで見憶えがある。
「突然すみません。宍神と言います。友人の遺品を整理していたらこの番号が出てきた」
 接続が切られた。かけ直すと着信拒否されていた。宍神は昔から狼野の世慣れた態度や伴の愛嬌を羨んでいた。彼らなら不審を抱かせることはなかったろう。指定された店に入った。工業的な店内装飾は音楽と連動した閃光で脈動する内臓のように見えた。暗視コンタクトの補正が追いつかない。若い男女が暗いフロアで気怠げに踊っている。宍神はキャットウォークのような二階席に上がった。制服姿の少女を認めて近づきテーブルについた。ひどい店だな、身辺警護はどうしたと彼は言った。
 あたしはやりたいようにやるのと淀橋ちありは答えた。
「自分だけは特別だと思ってるんだろう。どんな無茶をしても傷つかないと」
「説教はうんざり」
「呼びつけたのはそっちだ。君を何て呼べばいい」
 淀橋ちありはブラッディー・メアリーらしきものを飲んでいた。人形は宍神の注文を認識しなかった。ライウィスキーは扱っていないのだろう。バーボンを頼んだ。
「どうでも。それより Bebop について知りたいんじゃないの」
「当の開発者ならCEOのご令嬢より詳しいだろうからね」
「 Bebop が市場に出まわればOS供給元がハードのシェアまで独占することになる。人形に放送局を襲わせたのは宣伝よ。危険な印象を広めるための。一般消費者にはOSの違いなんてわからない。狼野さんは巻き込まれたの」
「他社が妨害工作してるってのか」
「テロ集団だって商売よ。背後には資金源がある」
 吹き抜けのフロアでは踊る客が青白い閃光に浮かび上がっていた。宍神には少女の意図が読めなかった。新OSを巡る陰謀合戦が事実なら、彼女はまさにその中心にいた。何、と言って少女が眉根を寄せる。その瞳に元原型師の無表情が映り込んでいた。「昔、同じ場所にホクロのある女がいた」
「ふられたのね」
「死んだ」
「あたしに似てた?」
「なぜ気にする」
「同級生にそっくりな子がいたのよ。他人の空似。双子かってくらい似てた。酷いあばずれだった」
「俺の知ってる女は髪が短かった」
「愛してたのね」
 宍神は肯いた。
「最近、夢を見るのよ。知らない女の人が——
 何の前触れもなく店内の照明が落ちて音楽が途切れた。不安と困惑のざわめき。ちありが鋭い眼で周囲を窺った。階下のダンスフロアが爆発した。宍神はテーブルを倒し、ちありを掻き抱いて床へ伏せた。グラスが砕け散る。頭上で風を切る唸りが聞こえ、手摺が火花を散らして削れた。瓦礫やガラス屑、それに引き裂かれた人体が飛散した。黒煙が膨れ上がって吹き抜けの天井に充満した。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。