シュウ君と悪夢の怪物

第4話: シュウ君の嘘

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.19

廃墟で目撃したことは、内緒だ」
「でもよ……」
 頑太は不服げだった。ノベルも本当は同じ気持ちだった。
「仕方ありませんよ。頭が変になったと思われます。信じてもらえるわけがないでしょう? 鮎香ちゃんが怪物にさらわれたなんて……」
 秋彦の言葉に、頑太は渋々うなずいた。彼もわかっているのだ。
 あれから、長い時間を過ごした気がする。世界の見方が変わってしまうほどに。
 実際は日が沈んでもいなかった。雨がやんだだけだ。二本の傘は、元の場所に立てかけられたままだった。
 三人は意気消沈していた。怪物に目の前で友人を奪われた。無力だった。何もできなかった。
 親しい女の子の身に起きたこと。その重みが、子どもたちの肩にのしかかった。
 生まれて初めて、本物の挫折を味わったのだ。
 屋敷を出ると、そこはもういつもの日常。その落差に打ちのめされた。実際に経験した自分たちでさえ、信じられないのだ。どうして大人たちに理解してもらえるだろう。
 秋彦と頑太の顔が赤らんでいるのに、ノベルは気づいた。目も潤んでいる。
「大丈夫かオメーら。熱っぽいぞ」
 ふたりの額に触る。やはり熱いようだ。それぞれの家まで送り届けた。
「明日は休めよ」
「おう……」
「そうします」
 ノベルの前で、二つの扉が閉まる。
 彼らには立派な両親がいる。しかも秋彦には祖父母まで。
 ノベルにはもちろん、父親がいる。また電話することもできた。泣き言を並べれば、仕事を放り出してすぐにでも戻ってきてくれるだろう。でもこれ以上、頼るつもりはなかった。
 夕食を作る元気もなかった。テレビを見ても内容が頭に入らない。空腹に気づいた。遅い時間だった。こんなことになってもまだ腹が減るのは不思議だ。給食のほかに、まともなものを口にしていないせいだろう。
 コンビニへ行く途中、公園の前にさしかかった。
 キイ……キイ……。
 ブランコの鎖が、耳障りな音できしんでいる。ノベルは何気なくそっちを見た。ゾッとして思わず足を止める。まずいものを見てしまった気がした。怪談みたいな光景だった。
 女の子だった。青白い水銀灯に照らされ、たったひとりで。
 その子は見られているのに気づき、こぐのをやめた。ブランコを降りて近づいてくる。ノベルは逃げたかったが、脚が釘づけされたようだった。水銀灯と、通り過ぎるヘッドライト。整った顔が浮かび上がる。
 灰崎だった。
「こんな時間にひとりで何してんだよ。脅かしやがって……」
「こっちの台詞よ」
「弁当を買いに来たんだよ。親が出張中でさ。オメーこそ親が心配すんだろ。女の子が夜にひとりで……」
「人喰らいに襲われるから?」
 灰崎はニヤリと笑った。ヘッドライトが通り過ぎる。往来の騒音が高まったように思えた。どこかで救急車のサイレンが聞こえた。
 ノベルは聞き違いだと思った。相手の顔をまじまじと見つめた。
「今……なんて?」
「耳が悪いの? 人喰らいって言ったのよ。あなたのお友だちがご執心の」
 ノベルは思わず後ずさった。
「な……何言ってんだよ……」
「とぼけないで。大好きなぬいぐるみのシュウ君よ。彼はもうあなたのマンションにはいない。でしょ?」
「どうしてそれを……」
「あなた、騙されてるのよ。かわいそうに」
「はぁっ?」
「どうせ正義の宇宙刑事とでも名乗ったんでしょ。凶悪犯を追って地球へ来たとか」
「オメー、だれなんだ……?」
「『揉み消し屋』よ。悪夢処理会社に雇われてるの。私も高等菌類なのよ」
「ふざけんのも大概に……」
「あいつが行方をくらました理由、わかる? やったことがバレて、会社が業者を雇った。それが私」
 ノベルは直感的に悟った。灰崎は嘘をついていない。
 確かに辻褄が合う。シュウ君が動揺したのは、転校生について教えた直後だった。そしてその夜のうちにいなくなった。
「悪夢処理……ってのは何だ」
「宇宙でもっとも重要な産業よ。処理方法で今注目されてるのはバイオね。合成生物よ。悪夢を食べてエネルギーを吐き出すの。各社が効率化を競い合ってるわ。あなたのお友だちのシュウ君は研究者なの。だった、という方が正確かしら」
「何をやらかしたんだ」
「開発中の失敗作を逃がしたのよ」
「それが人喰らいなのか」
「ひどい話よね。悪夢を食べてエネルギーを出すはずが、あべこべに未来を奪って、悪夢を吐き出すんだから」
「それでバレないうちに回収しようとしたのか」
「地球人にしては飲み込みが早いわね。大企業の不祥事を揉み消すのが私の商売。会社はすぐ事態に気づいた。マスコミに漏れる前に収拾しようとしたの」
「人喰らいは、なぜ子どもを狙うんだ」
「可能性を豊富に持ってるからよ。あらゆる生命体で、もっとも上質なのをね……」
「転入にはいろんな手続が必要だろ。大人たちをどうやって騙した。親も戸籍もないのに」
「テレパシーで認知操作してるのよ」
 シュウ君の作り話は、半分は本当だったというわけだ。
「融通がきかない惑星ね。子どもだけでは何ひとつ認められない。親がまともでなかったらどうするのかしら」
「オメーが進化したカビだって? そうは見えない……」
 その言葉に灰崎は、またニヤリとする。ノベルの手を掴んだ。
「な……何すんだよ」
「証拠を見せてあげる」
 公衆トイレの個室へ、強引に連れ込まれた。灰崎はノベルの手を掴んだまま、後ろ手に扉を閉め、鍵をかけた。暗い含み笑いを浮かべている。もう一方の手でブラウスをたくし上げた。
 縦長の小さなヘソが見えた。灰崎はそこにノベルの指を突っ込ませた。
「うわっ」
 抵抗する暇もなかった。ノベルの背筋に寒気が走った。
 灰崎の平らな腹が、ぱかっと開いた。
 天井の蛍光灯は、端が黒ずんでちらついていた。その薄暗い光で、精巧な内部が見てとれた。赤いランプが明滅し、シリンダーが互い違いに上下する。発散する熱が手に感じられた。
「これで納得した?」
 灰崎はノベルの手を放し、蓋を閉めてブラウスの裾を下ろした。ノベルは壁にもたれ、無意識に手をジーンズにこすりつけた。不潔な臭いで吐きそうだった。
「給食、食べてたじゃないか……」
「認知操作で幻覚を見せたのよ」
「シュウ君はどうなるんだよ。オメーに捕まったら」
「会社の会議にかけられる。クビは確実ね。それから ++ なかったこと ++ にされる」
「殺すつもりか」
「詳しく聞きたい?」
「いや……」
 ノベルは灰崎を押しのけ、公衆トイレを出た。あることを思いつき、振り返る。
「ひとつだけ教えてくれ」
「つきあってる人ならいないわよ」
「ふざけんな。知りたいのは鮎香のことだ。オメーの仕事に、あいつの救出は含まれるのか?」
「状況しだいね。シュウ君の身柄を確保して人喰らいを回収する。そのために必要なら、助けるわ」
 公園の入口で、ノベルは足を止めた。灰崎に向き直る。
 最初に見たとき、人工的な印象を受けた。整いすぎた顔だと。その印象は正しかった。
「約束してくれ。助けるって」
「なんで私が」
「クラスは助け合わなくちゃって、先生が……」
「チカ先生?」
 灰崎の顔に含み笑いが戻っている。
「当たりね。陣内先生のことじゃない。あなたが今、思い浮かべたのは」
「黙れカビ」
「あらあら。あなただって進化したネズミにすぎないくせに」
「人間の元はサルだ」
「その元はネズミよ。どうでもいいけど」
 灰崎は肩をすくめて歩み去った。こんな言葉を残して。
「案外そんな人かもしれないわよ。助けてくれるのは。私みたいなよそ者じゃなくてね……」
 夜の街に消える後ろ姿を、ノベルは見つめた。それから逆方向に歩きだした。
 見抜かれたのが悔しかった。

 チカ先生のアパートは知っていた。一度、クラスの仲間と遊びに行ったことがある。経緯はよく覚えていない。あの三人組もいた。楽しい思い出だ。子どもだけでバスに乗るのも、冒険に感じられた。
 今では遠い昔に思える。
 大人たちの酒臭い息をかぎながら、ノベルはバスに揺られた。
 くたびれた顔の大人たちの中に、人喰らいが紛れているかもしれない。窓には街の明かりや、車の光が流れている。よその親たちは、毎日こんな風景を眺めているのだ。
 父さんは今、東京で何してるだろう。またいい仕事を取れるといいんだけど。
 アパートはバス停を降りてすぐだ。ノベルは見覚えのある扉の前に立った。表札は出ていない。まだ住んでいるとはかぎらない。引っ越したかもしれない。
 ノベルは呼び鈴を押した。そして待った。
「はい?」
 女の声が答えた。ノベルは扉から離れ、のぞき穴から見えやすくした。
 頑太くらい背が高ければよかったのに。
周世すせです。三年間お世話になった……」
 鍵がはずれる音がして、扉が開いた。怒った顔がノベルを見下ろした。
 チカ先生は少しも変わっていなかった。髪型も同じだ。ズボンやブラウスにまで見覚えがある。仕事から帰ったばかりで、まだ着替えていないのだろう。
「こんな時間に何やってんの!」
「頼れるのは先生くらいなんだ」
 促されて靴を脱ぎ、玄関を上がった。台所の奥が居間。テーブル、テレビ、電子ピアノ。その右手の寝室から、先生はクッションを持ってきた。
 ふたりはテーブル越しに向き合った。正座する先生を見るのは、変な感じがした。ノベルは何をどう話せばいいか、わからなくなった。言葉が頭の中で、もつれた糸みたいになっている。
 出てきた言葉は、考えていたのとはまるで別のことだった。
「なんでシュウって名前なんですか」
「はあ?」
「ずっと疑問だったんだ。シュウ君が好きなのはポテチでしょ。シュークリームじゃない」
 チカ先生はノベルの顔をまじまじと見つめた。
「……三年間、ずっとそう思ってたの?」
「まあね。たぶんみんなも気になってたと思う」
 チカ先生はため息をついた。がっかりしたようだ。少し傷ついたようにも見える。
「シュナイザー犬のシュウよ。シュークリームのシュウじゃなく」
 ノベルは口をぽかんと開けた。シュウ君は犬だった。忘れていた。魚眼レンズで誇張されたような鼻面、ペレットがゆるく詰まった体。シュウ君が何のぬいぐるみか、すぐに当てられる人は少ない。
「話したかったのはそれだけ?」
 ノベルはかぶりを振った。
「シュウ君がいなくなった」
 チカ先生はノベルの顔を見つめた。ノベルはあわてて言いつのった。
「下手な言いわけみたいだけど、ホントなんだ。なくしたんじゃない」
「嫌われるようなことでもしたんじゃないの」
 チカ先生は真顔で言った。担任だったときも、よくそんな風に冗談を口にした。
「あいつ、嘘をついてたんだ。刑事なんかじゃない。捕まるのが恐くて逃げたんだ……」
 いったん話し始めると止まらなくなった。
「不審者は人喰らいだった。鮎香は異次元へ連れてかれた。オレたちの目の前で。何もできなかった」
 そこまで言ってしまってから、ノベルは愕然とした。何をやらかしたかに気づいたのだ。教室でお漏らしをしたみたいな気分だった。つい本当のことをしゃべってしまった。
 チカ先生は動じなかった。平然と言った。
「それで、どうしてほしいの。はっきり言いなさい」
 授業と変わりない態度だった。おかげで素直に言えた。
「大人の力が要る。助けてほしい」
 一度出た言葉は、取り消しようがない。
「灰崎は人喰らいを捕まえることしか考えてない。鮎香を助ける気なんてないんだ」
 胃から喉にかけて苦い気分がこみ上げる。ノベルは声をしぼり出した。
「こうしてる今も、どんな目に遭わされてるか……。もう手遅れかも。一刻の猶予もないんだ。シュウ君ならきっと、どうすればいいか知ってる。でもあいつはいなくなっちゃったし……」
「幽霊屋敷って言ったわね。あなたたちだけで行ったの?」
 ノベルは惨めな気分でうなずいた。自分の幼さに打ちひしがれていた。もっと早く相談すべきだった。子どもだけで立ち向かっても、どうにもならない。わかりきっていたはずなのに……。
「あそこには近づくなって言われてるでしょ。危ないの。建物が傷んでるのよ。悪い人だっているかもしれない。あなたの言う人喰らいがね」
 今度こそ先生は本気で怒っていた。ノベルはべそをかいた。
「悪いことなのはわかってた。ほかに思いつかなかったんだ。恐かった」
 チカ先生は、腹立たしげにため息をついた。それから急に立ち上がった。寝室の扉を開ける。整頓されていないベッドが見えた。先生は小さなクローゼットを開けた。
 シュウ君のためにみんなが作った作品が見えた。空き箱の家、折り紙の布団、粘土のお菓子、厚紙の飛行機……。まるで祭壇みたいに飾られていた。
 そのまん中に小さなぬいぐるみが、ちょこんと腰掛けていた。見つかってバツが悪そうだった。
「やあ」
 シュウ君は片手をあげ、ノベルに挨拶した。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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