シュウ君と悪夢の怪物

第2話: 謎の転校生

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.19

早起きしたはずなのに、宇宙生物のせいで遅刻してしまった。
 ノベルの教室はなぜかざわめいていた。後ろの戸をそーっと開ける。出欠などとっくに終わっていると覚悟していた。先生はまだ来ていなかった。
「何かあったの?」
「転校生!」
 斜め後ろの女子が教えてくれた。
「先生遅いから、さっき健介が呼びに行ったの。そしたら知らない女の子がいたって。職員室で先生と何か話してたらしいよ」
 別の女子が笑いをこらえるように言った。
「超かわいいんだって」
 ノベルはとまどった。確かに健介は、やんちゃでそそっかしい。でもこれから同級生になろうという女子を、安易に「かわいい」などと評するだろうか。マイム・マイムで手を握っただけで、あらぬ噂を立てられるのが子どもの世界なのだ。
 ところが本人に確かめると、あっさり認めた。
「ちらっと見ただけだけどさ。美人だよ。黒い服着てた」
 男らしさにこだわり、何かと女子をからかう健介。そんな彼が、素直に美人とうけあった。まるで一足す一は二だと言うみたいに。
 ノベルは鞄を下ろしながら、隣の空席を眺めた。ここに座るのだろうか。
 隣同士で協力する授業のたびに、この席に座っていた女子を思い出す。
 同級生のほとんどは、会社員の家庭に育っている。ノベルのように自営業者の子どももいる。夜中に働く親もいる。片親や祖父母に養われる子どももいる。
 その女子はよく笑う朗らかな子で、男子にも女子にも好かれていた。始業式の朝、席順の掲示を見ていたときのことだ。声をかけられた。
「また同じクラスになったね。しかも隣だよ」
 その子は嬉しそうに微笑んだ。新しいクラスがすぐに打ち解けたのも、彼女がいたおかげかもしれない。
 その子はある日突然、教室に来なくなった。先生の説明によれば、家の都合で急に引っ越しが決まったという。ノベルは三年以上も同じクラスだった。なのに彼女の家族について何も知らなかった。
 その子の席は今日まで空いたままだった。
「先生が来るぞ」
 戸口に近い男子が警報を発し、ヒソヒソ話がやんだ。引き戸が開き、長身の陣内先生が現れる。鋭い瞳の女の子を連れていた。
 白人の血でも入っているのか、肌は青白く、眉やふわふわショートの髪は色が薄かった。健介の話通り、黒いハイネックを着ている。キュロットスカートに黒靴下。上履きがみんなのと微妙に違う。前の学校のだろう。
 陣内先生は教室の空気に気づいた。高まる好奇心を、だれも隠そうとしない。
「健介。おまえ何話したんだ」
「転校生が来るって」
「美人だとか言ったんだろう」
 教室は笑いに包まれた。健介も照れ笑いをする。
 陣内先生はチョークで、黒板に名前を書いた。灰崎コオ。
「今日から仲間になる灰崎さんだ。お家の都合で、学期の半ばで急に転入が決まった。この学校に慣れるまで助けてあげるように」
 はーい、とみんなが声を合わせる。先生がうなずいて合図し、灰崎コオは低い声で自己紹介を始めた。
「灰崎コオです。横浜から来ました。好きな教科は算数。苦手科目は体育です。よろしくお願いします」
 転校生は軽く頭を下げる。「おおっ」と教室がどよめいた。大人びていて、しっかりしている。自分たちとは違う人種だ。
 ノベルは落ち着かない気分だった。ずっとこっちを見られているような気がする。知らない子なのに。
 健介が手をあげた。
「好きな食べ物は何ですか」
「好き嫌いはありません。何でも食べます」
「苦手なものとかありますか」
「虫……」
「そのくらいにしとけ。休み時間に好きなだけ質問しろ。そこへ座りなさい」
 転校生はノベルの隣へ歩み寄った。音を立てずに椅子を引いて座る。自分の席を見ていただけのようだ。
 確かに美人だとノベルは思った。でも整いすぎて無機質な感じがした。アイドル的な鮎香とはまた違う。言動は優等生風なのに、不良っぽい雰囲気を感じた。
 休み時間になると、だれもが転校生の席に寄り集まった。話しかけたくてウズウズしていたのだ。男子が矢継ぎ早に質問を浴びせる。女子も加わった。
 灰崎の受け答えは丁寧だった。なのにどこかそっけない。同級生に関心がなくて、ただ義務を果たしているだけみたいだった。やがて男子は興味をなくし、校庭で遊ぶために散った。女子も困ったように席へ戻った。それから顔を寄せ合って、ひそひそ話しはじめた。
 変わった子だ。ノベルはそう思った。

「何か隠し事でもしてるんじゃないですか?」
 秋彦が疑わしげに言った。
「な、何言ってんだよ……」
 ノベルは狼狽した。そんなに顔に出やすいのか、オレ?
 昼休み。四人は放課後にシュウ君とする遊びについて相談していた。ノベルがそこにいたのは、トイレ帰りにたまたま捕まったせいだ。
「最近ノベル君、なんか変ですよ。さっきから上の空だし……」
 もともと関心のある話題ではない。
「変なもんでも食べたんじゃないか?」
 頑太はあきれたように言った。オメーとは違うよ、とノベルは思った。
 鮎香は一度も口を挟まなかった。珍しくむっつり黙り込んでいる。
 体育着に着替えた転校生が、教室から出てきた。別の学校のジャージだ。
「あら、まだ着替えてないの。次、体育よ」
「お……おう」
 ノベルは面食らった。初めて口をきいたのだ。秋彦と頑太はあっけにとられた。
「あれが噂の転校生ですか。美人ですね……」
「美人つうより、変人って評判だぞ!」
「頑太それ、当たってるよ」
 鮎香だけが不機嫌そうにノベルを見ていた。
 体育は跳び箱の練習だった。ノベルは後ろの方に並んで座った。跳び箱が苦手なのだ。体育が苦手だと自己紹介した転校生が、そのあとに座った。
 順番を待ちながら、ノベルはシュウ君のことを考えた。遅刻しそうだったので、あまり話せなかった。
「話は後だ。オレが帰ってくるまでどこへも行くな」
 そう言い残すことしかできなかった。
 勝手に表を歩き回られたら困る。ちゃんとおとなしく留守番してるかな……。
 大人は融通がきかない。生きたぬいぐるみなんてものが目撃されたら、大変だ。大騒ぎになるだろう。
 以前、父親とニュースを見たときのことだ。カルト宗教についてやっていた。教祖は見るからにうさん臭かった。被害者がなぜ騙されたのか、ノベルには理解できなかった。
 父親の説明はこうだ。
「人間は信じたいものを見るのさ。目の前にあるものではなくてね」
 ノベルは半信半疑だった。あわただしく家を出るとき、シュウ君は父親のヘッドフォンをつけて、ご機嫌だった。あれを目にして、なんとも思わない人間がいるだろうか。
 もっと心配なのは、マンガや映画でよくある展開だ。シュウ君が連行され、政府の研究者に拷問されたらどうしよう。少なくともヘッドバンギングするぬいぐるみより、あり得そうな気がする。
 ノベルは人喰らいを捕まえるのに協力したかった。子どもが犠牲になる事件を、このところよく耳にする。そのたびに胸が詰まった。本当はノベルだって、「世の中に悪いやつなんかいない」と信じたい。残念ながらそれは嘘だ。人喰らいは善良な市民のふりをして、社会にまぎれこんでいるのだ。
 加害者は脳みそをカビに侵され、意識を支配される。そして残酷な罪を犯してしまう……。寄生した人喰らいは、ほかの宿主へ移る。我に返ったその人は、自分の行いをどう感じるだろう。
 子どもの力ではどうにもならない。父さんなら笑ったりせず、きっと信じてくれる。電話をすればすぐに東京から帰ってきてくれるのはわかっていた。でもノベルは彼の仕事を邪魔したくなかった。
 ほかに信頼できる大人はいない。ノベルは秘密を隠し通そうと決めた。もちろん、あの三人からもだ。
「シュウ君って?」
 灰崎に耳元でささやかれ、ノベルは驚いた。考えを無意識に口に出してしまったのだろうか。ほかのみんなはおしゃべりに夢中で、ふたりの会話に気づいていない。
「……今なんて?」
「シュウ君よ。愛されてるみたいね。さっき話してたでしょ。聞こえちゃったの」
「ぬいぐるみだよ。三組のマスコットだった。クラス替えで担任にもらった」
「ふうん。その先生、今は?」
「転任した」
「あなた、その先生のお気に入りだったのね」
 冷笑されてノベルは癇にさわった。転校生なら数日はチヤホヤされるものだ。それがすでに放っておかれている。その理由が飲みこめた。
 ……こいつ、思った以上にヤなやつだ。

 放課後。ノベルの班は掃除が早く終わった。下校中に三人組につきまとわれる心配はない。連中が押しかけてくる前に、対策を考えねば。いつもの調子でいじり倒されたら、バレずにすむわけがない。ただのぬいぐるみで通すなんて無理だ。どう考えても。
「ただいま」
 玄関をあがるとき、自分がそう声に出したのに気づいた。奇妙な感じがした。父親の留守中なのに。ぬいぐるみに魂が宿る。そんな事態をすでに受け入れてしまったらしい。
 シュウ君はノートパソコンの上で踊っていた。キーの上を忙しく往復している。必死そうな様子に、ノベルは思わず笑った。
「何やってんの」
「この方が早いんだ。手だと短くてうまく押せない」
 検索結果が表示された。顕微鏡写真だ。
「水虫の原因となるカビ(白癬菌)」
 シュウ君は腰に両手を当て、画面に見入った。
「そんなもの調べてる暇はないでしょ……捜査はどうなったんだよ」
「向こうが次の動きを見せるまで、何もできない。まずは地球について知らなきゃ。菌類の進化がこんなに遅れてるとは。地球のぬいぐるみは、動きもしゃべりもしないんだね!」
「当たり前だよ。だから、大人に見つかったら騒ぎになる。ただのぬいぐるみのふりをするんだ」
「わかった。気をつける。近所で不審者を見かけたって噂は?」
「幽霊屋敷の近くで、怪しい男が目撃されてる」
「あいつだとしたら、きっともうよそへ移ってる。別の人間に取り憑くかも」
 ノベルは三人組について説明した。シュウ君は、チャックの口を嫌悪に歪めた。
「あの連中にバレたら、捜査がやりにくくなる。こないだはおもちゃにされて大変だった」
「これから来るんだ」
「ええっ」
「今日だけじゃない。毎日押しかけてきて、きみで遊ぶ。耐えてもらわなくちゃ困る。こっちだって政府の人とか、マスコミとかに嗅ぎつけられるのはごめんだ」
 シュウ君の口が、あんぐり、というか、かぱっと開いた。
 呼び鈴が鳴った。三人組がどやどやと靴を脱ぎ散らかし、玄関をあがる。
「おじゃましまーす」
 三人組は部屋に押しかけた。鮎香がシュウ君を机から引っさらった。胸に抱きしめる。
「シュウ君、元気?」
 シュウ君がもがいたのは、ノベルしか気づかなかった。
「鮎香ちゃん、ぼくたちにも貸してください」
「そーだ。ずるいぞ」
「やだ。ぼく鮎香ちゃんが好きだもん!」
 鮎香は、シュウ君の両手をピコピコ動かした。彼女があてた声は、少しも似ていない。
「えーっ」
 秋彦と頑太は不服げだ。シュウ君は今にも叫びだしそう。ノベルはハラハラした。
「あ……あのさ。たまにはオレにも触らせろよ」
「はあ?」
 三人組は怪訝そうに声をそろえた。
「何言ってるんです。ノベル君はいつでもシュウ君と遊べるじゃないですか」
「そーよ。いつもいっしょのくせに!」
「独り占めしてうらやましいぞ」
 ノベルは、シュウ君のすがるような視線を感じた。
「つまりその……今日はシュウ君、疲れてるみたいで。休ませてあげないと」
「えーっ、何よそれー?」
「シュウ君はぬいぐるみですよ。疲れるわけないじゃないですか」
「ノベルは幼稚だなー」
 シュウ君は失望したように天を仰いだ。ノベルはがっくり肩を落とした。
 鮎香は疑うようにノベルを見た。
 それからが大変だった。ノベルは時の経つのを、こんなに遅く感じたことはない。シュウ君はままごとの相手をさせられた。プロレスの技をかけられた。すごろくの駒にされ、大きすぎると文句を言われもした。しまいには振りまわされ、床に叩きつけられた。ノベルには理解できない遊びだった。
 いつにも増して酷使されている。いつどこでボロが出るか、ノベルは気が気でなかった。しかも鮎香が、探るような視線を向けてくる。一瞬たりとも気が抜けない。三人組は結局、いつもの時間まで帰らなかった。さんざんシュウ君をもてあそび、満足げに玄関を出た。
「じゃあねーばいばい」
「さよならノベル君」
「また明日な」
 ノベルは作り笑いで見送った。扉を閉めるなり、どっと疲れが出た。長々とため息をつき、部屋に戻る。シュウ君は床に転がっていた。三人が放り出した格好のままだ。
「もういいぜ……おいどうした?」
 シュウ君は微動だにしない。ノベルは彼を抱え上げた。ペレット入りの体がクタッと垂れた。頭が宙を見つめる。元のぬいぐるみに戻ったかのようだ。やはり最初から夢だったのかも。
「おいシュウ君。動けよ。しっかりしろ」
 しっかりする必要があるのはオレの頭か。不安に駆られて揺すぶる。突然シュウ君が身じろぎした。
「うわっ」
 思わず放り出した。モノに生命が吹き込まれる瞬間は、薄気味が悪い。
「あいてて……もう、ひどいなあ。ぬいぐるみだからいいようなものの」
 シュウ君は腰をさすりながら立ち上がった。疑り深げに部屋を見回す。
「みんなもう帰った? 死ぬかと思ったよ」
「こっちこそ死んだかと思ったぜ」
「冬眠モードに入ってた」
「そんなことができるなら最初からしろよ……」
「地球に着くまでずっと寝てたんだ。冬眠しすぎで体が変になっちゃう」
「別のに乗り移れば? また同じ目に遭うぜ」
「ごめんだね。今さら引っ越しなんて。菌糸が繊維の隅々まで絡みついてる」
「面倒なやつ」
「ぼくからしたら地球人の方が面倒さ。口から食べて尻からうんこ垂れる。なんて非効率な生き物だ」
「オメーは食べないのか」
「菌類だからね。タンパク質を分解して養分にする」
 そう言われてノベルは気づいた。シュウ君の体の黒ずみが、前より薄れている……。
 洗剤の広告を思い出す。
「酵素パワーで真っ白に!」
 ノベルはその問題を、意識から押しやった。
「それより鮎香ちゃんだよ。絶対何か感づいてる。秋彦も何か疑ってるみたいだ」
「鮎香ちゃんって、あのかわいい子ね。好きなんだろ」
 ノベルは意志に反し、顔を赤らめてしまった。
「べっ……別にそんなんじゃ」
「いいじゃんか。きみと違ってまっすぐ育ってる」
「ひねた宇宙人に言われたくない」
「あの子は意外にしっかりしてるよ。ごっこ遊びと現実の区別くらいつく。頑太君と違って、ぬいぐるみが口をきくなんて思わないさ。秋彦君の方がずっと子どもっぽい」
「オメーに言われると、なんかムカつくな」
「ぼくは宇宙刑事。人間観察のプロなのさ」
 電話が鳴った。シュウ君は文字通り飛び上がる。
「うわっなんの音?」
「テレパシーで脳みそ読んでんだろ。好きに知識を引き出せばいいじゃんか」
 父親からではなかった。編集者なら固定電話にかけてくることはない。セールスか。
「はい、もしもし」
「ノベル君?」
 子どもの声だ。しかも女子。
「だれ」
「ひっどーい。鮎香よ」
「どうしてこの番号を?」
 父親の子ども時代には、連絡網なるものがあったそうだ。クラス全員が、互いの家の電話番号を知っていたという。ほとんどの家に固定電話があり、その代わりにLINEも、個人情報という考えもなかったのだ。
 鮎香は、友だちの友だちに教えてもらったと説明した。その友だちがだれに聞いたのかは知らないという。キラキラした声でそんなことを語られた。ノベルは女子の情報網が怖くなった。
「ドキドキしちゃった! まちがってたらどうしようって……」
「……で、何の用。また指輪でも忘れた?」
「もぉーっ、意地悪! 用がないと電話しちゃダメ?」
 ノベルは女子と話すのが苦手だった。話したいことがあれば、さっき話せばよかったのに。
 鮎香は新しいクラスについて、一方的にしゃべった。先生のことや同級生のこと。授業の進度や、教室の掲示物に至るまで。ノベルはただ相づちを打っていればよかった。疲れてきたのでベッドに座る。シュウ君は退屈したのか、パソコン検索を再開した。
 ほとんど聞き流していた。だから急に質問されたときは焦った。
「えっ何? 聞こえなかった」
「転校生よ。かわいい子ね。隣なんでしょ」
「ああ……」
 ノベルは会話の流れを思い返した。その話題につながるとは思えない。深く考えるのはやめた。
「でもあいつ性格悪いよ。暗いし。教科書忘れても見せてくれそうにない」
 電話越しの声が華やいだ。
「鮎香なら何でも見せたげるのに!」
 面食らったノベルは、わけのわからぬことを口走った。
「そりゃ楽しみだな」
「じゃ明日ね!」
 鮎香は元気よく言い、ガチャンといきなり電話を切った。ノベルは顔をしかめて子機を見つめた。
 シュウ君は机でいびきをかいていた。お腹が上下している。当てこすりの芝居だとノベルにはわかった。
「ふわわ……もう終わった?」
 シュウ君はわざとらしく大あくびをした。
「きみの種族にもあるの、オスメスの区別?」
「冗談じゃない。女の子は別の種族さ」
「それだよ。言いたかったのは」

 翌朝は用心して早めに家を出た。曇り空。それでも朝の空気は気持ちいい。しっかり朝食を摂ったので頭も冴えている。
 シュウ君は名シェフだった。小さな体でフライパンを操り、ガス台や流しを往復する。まるでアクロバットだ。あんな短い手で、どうやって道具を握るのか。目の前で見物していてもわからなかった。
「おはよう、周世君」
 背後から声をかけられた。ノベルは喉から心臓が飛び出すかと思った。隠し事があるせいだ。
 振り返ると転校生の灰崎だ。黒のタンクトップ、薄手のパーカ、七分丈のパンツ。表情からは何を考えているか、まるで読めない。
「お……脅かすなよ」
「あいさつしただけじゃない。今朝は早起きなのね」
「何が言いたいんだよ」
「遅刻が多いって聞いたわ」
「よけいなお世話だ。オメーの親って、何してる人なんだよ」
「どうして? ただの会社員よ」
「転勤の時期じゃないだろ」
「仕事の内容を話してくれたことはないわ。子どもにはむずかしいって」
「ほんとに横浜から来たのか?」
「さあ、どうかしらね……」
 校門に近づくと同級生の視線を集めた。女子にクスクス笑われた。男子にはランドセルを叩かれ、口々に冷やかされた。
「早くもカップル成立か」
「いっしょに登校かよ」
「超ラブラブじゃん!」
 ノベルは弱りきって抗弁した。
「たまたまだよ。なあ?」
 灰崎は冷笑で答えた。
「さあ、どうかしら」
 この台詞は受けた。噂はすぐに広まるだろう。ノベルはまるで背中にこう書かれたみたいなものだ。
「転校生に片思い中!」
 いっぽう灰崎は「案外おもしろいやつ」との評価を得て、クラスの一員として認められるのだ。
 ノベルは肩を落とし、ため息をついた。なんて日だ。朝からついてねぇぜ……。
 陣内先生はいつもより教室に現れるのが遅かった。朝の会議が長引いたらしい。陣内先生は、不審者騒ぎについて話した。六年生の女子が今朝、おかしな扮装の男に声をかけられたという。ノベルの家の近所だった。
 不審者の台詞はこうだ。
「怪しい男を見なかったか。私に会ったことは、大人には内緒にしてくれ」
 母親のおかげで助かった。女子が忘れた体操着を届けるために、追いかけてきたのだ。不審者は、あわててどこかへ消えたそうだ。
 男はおかしな扮装をしていた。全身を覆う銀色のスパンデックスに、赤いブリーフと手袋とブーツ。プラスティックの装置がついたベルト。サングラス。ヘルメットの両脇から伸びたバネ上のアンテナ。
「なるべく外でひとりにならないように。塾の行き帰りには、人通りの多い道を歩きなさい」
 帰りは集団下校するという。掃除は ++ なし ++ になった。健介とその仲間から「やったー!」と声があがる。あとのみんなは不安そうだったり、深刻な顔つきだったりした。
 被害にあった上級生を、ノベルは気の毒に思った。怖かっただろう。
 休み時間になった。ノベルはいつもの三人を、廊下に呼び集めた。彼らも不審者のことは知っていた。先生から気をつけるように言われたという。
「うちの近所なんだ。シュウ君遊びはやめよう。危ないから」
「えーっ」と三人。
「いいこと思いつきましたよ。シュウ君がぼくらの家に来ればいいんです」
「はーい、一番はあたしん家!」
「二番はオレだぞ!」
「ずるいですよ頑太君……」
「へへん、早いもん勝ちだ!」
 ノベルは愕然とした。そう来られるとは思わなかった。灰崎が近づいてきて輪に加わった。
「あら楽しそうね……何を話してるの?」
「シュウ君のことですよ」と秋彦。
「オレたちん家に遊びに来るんだ!」と頑太。
 鮎香の様子がおかしいのに、ノベルは気づいた。灰崎が現れるたびに無口になる。
「まるでシュウ君、自力で遊びに来るみたいね……」
 灰崎は含みのある冷笑でノベルを見た。ノベルは精いっぱい冗談めかして答えた。
「そうさ。シュウ君はしゃべれるし、何でもできるんだ」
 あまりうまくやってのけたとは思えない。秋彦の哲学的な台詞に救われた。
「ぼくたちにとってはそうなんです。ねーっ」
「おう!」
 頑太は上機嫌で相づちを打つ。果たして意味がわかっているのか。
「楽しそうね。私も仲間に入れてもらっていいかしら」
 秋彦と頑太は困ったように鮎香を見た。
 鮎香は唇を引き結び、険しい目で灰崎を見た。
「どうします?」
「混ぜてやるか?」
「決められないよ……シュウ君に聞いてみなくちゃ」
 鮎香は妙に静かに言った。
「それがいいかもしれないわね」
 灰崎は挑発するようにノベルに言った。まるで「あなたの秘密は知っているのよ」とでもいいたげだ。
 秋彦と頑太は、居心地が悪そうにモジモジしている。鮎香もよそよそしい態度だ。灰崎は本心では、人形遊びをする彼らをバカにしている。それが何となく伝わるのだろう。
 ノベルは考えた。シュウ君の正体に勘づかれたはずはない。灰崎はシュウ君を見たことすらないのだ。
 この転校生は性格が悪くて、ひとりぼっちだ。仲良しの四人をやっかんでいる。そこでノベルを味方に見せかけ、仲間割れさせようとしているのだ。
 このままでは、意地悪に手を貸したように見られる。
「オレは反対だな」
 三人はノベルを見た。灰崎の冷笑が消えた。
「チカ先生はオレたちを信用したんだ。だからシュウ君係を任せてくれた。灰崎はまだシュウ君をよく知らない。うちの近所が安全になったら、改めて引き合わせる。遊びに混ぜるのはそれからでもいいだろ」
 われながら意味不明だ。ノベルは内心、冷や汗をかく思いだった。
 天然ボケの鮎香は、顔をぱっと輝かせた。秋彦と頑太は、頭上にはてなマークが浮かんだ顔をしている。けれどもシュウ君係のくだりは気に入ったようだ。チカ先生から大役を任された気分になったのだろう。
 とりあえず灰崎の問題は先延ばしにできた。あとは三人組をどう言いくるめるかだ。
 救世主は思いもかけぬところからやってきた。陣内先生が初めて宿題を出したのだ。それも山ほど。とてもではないが、シュウ君どころではない。お昼休みに三人組と話すと、どのクラスでも宿題が出たことがわかった。先生たちが共謀し、生徒を家から出さないようにしたのだ。
 集団下校はこれまでにも何度か経験がある。最初は一年生のとき。近所の中学生が、匿名掲示板に脅迫文を書きこんだのだ。似たような事件が二、三度あった。どれもただのいたずらだと、すぐにわかった。だから生徒はみんな慣れっこになった。
 険しい顔つきをしているのは先生ばかり。数百人の子どもを預かるのは、責任が重いのだ。ノベルの地区の受け持ちは、陣内先生だった。温厚な彼でさえ、ピリピリしているように見えた。
 一年生をまともに歩かせるのはひと仕事だ。急に立ち止まってしゃがみ込んだり、車道へ飛び出そうとしたり。ふらふらとさまよいだす者もいる。彼らが列を乱すたびに、先生が声をかけたり、面倒見のいい上級生が連れ戻したりした。あとの連中はみんな、好き勝手におしゃべりをしていた。
 陣内先生は、不審者のせいで遅れた仕事について考えているようだった。教師というのは、ただ教壇に立って授業をするだけではない。ノベルの父親が、ただおもしろい話を書いていれば済むわけではないように。
 ノベルは暗くなってから、学校に忘れ物を取りに戻ったことがある。職員室には明かりがついていた。大半の先生が残っていた。チカ先生が教室の鍵を開けてくれた。
 父親の仕事ぶりを見たことがなければ、何とも思わなかったかもしれない。でもよく考えてみれば、彼らにだって家庭がある。しかも彼らには昼休みさえないのだ。給食時間も生徒の面倒を見たり、採点をしたりしている。
 ノベルはそんなことをぼんやり考えていた。灰崎に耳元でささやかれ、また飛び上がりそうになった。
「どうしてシュウ君を隠そうとするの?」
「なんだよ藪から棒に……」
「むずかしい言葉を知ってるのね」
「去年、ことわざ係だったんだ。いつも金曜日に発表させられてた」
 チカ先生は国語に力を入れていた。教科書に何か変わった表現が出てくると、
「ほら、世の中にはこんなにおもしろい言葉があるのよ!」
 と言わんばかりにはりきった。おかげで学期末には授業が駆け足になった。国語の成績や、図書室の借り出し冊数にかけては、学年で一番のクラスだった。
「ちょっとくらい見せてくれてもいいじゃない。どうせ近所なんだから」
「たかがぬいぐるみだろ……」
「だったらなおさら構わないじゃない」
「しつこいな」
 陣内先生がちらっと振り向いて、嬉しそうな顔をした。転校生に友だちができたと勘違いしたのだろう。彼のこんなところにノベルは、父親と似たものを感じる。チカ先生とは正反対だ。
 帰宅したノベルは、不審者騒ぎについてシュウ君に話した。
「どう思う? おかげで連中は来ないけど」
「やつかもね」
 シュウ君は短い腕を組み、しかつめらしくうなずいた。
「取り憑かれた人間は、見た目にもおかしくなることがある。極端に不潔になったり、人前で平然と裸になったり。扮装もそのせいかもしれない」
「インターネットには何か出てる?」
「何も。きっとありふれた騒ぎで、話題にもならないのさ」
 ノベルは、転校生について愚痴をこぼした。シュウ君でなくても、聞いてくれればだれでもよかった。
「変なやつなんだ。つきまとって、探りを入れてくる」
 それを聞いたシュウ君は、急に落ち着きがなくなった。怯えたように学習机を行ったり来たりした。
「挙動不審だぞ」
「そ、そんなことない。普通だよ」
 シュウ君はもう、チカ先生のくれたぬいぐるみではない。宇宙刑事なのだ。信じるしかなかった。
「その子、人間じゃないかも」
「ひどいな」
「そういう意味じゃない。人喰らいの操り人形かもしれないんだ」
「はぁ?」
「その子の親、見たことある?」
「まさか。普通の会社員だとは聞いたけど」
「娘ということにして、人形を学校へ潜り込ませたんだ。いない子どもをいることにしたり、いた子どもをいないことにしたりするのは、やつなら簡単だ」
「なんのためにそんなことをするんだよ」
「同級生のふりをして、人目につかない場所におびき出すつもりなんだ。それよりもっと悪いのは……」
 シュウ君は言葉を濁した。あまりの恐ろしさに声も出ない様子だ。
「先を言えよ。気になるだろ」
「感づかれたかもしれない。ぼくの存在に!」
 シュウ君は今まで聞いたことのない声を出した。
「あべこべにぼくを殺そうとしてるんだ。身を守るために。『やられる前にやっちまえ』って。きっとそうだ。決まってる。まちがいない!」
「オレ、腹が減ってきたんだけど……」
 シュウ君は聞こえないようだった。うわごとみたいに独り言をつぶやき、机の上を行ったり来たり。だれにだって悩みはある。宇宙人も例外ではないだろう。ノベルは彼を放っといてやることにした。
 レトルトのご飯と冷凍食品を食べながら、ノベルはニュース番組を見た。不審者に関係ありそうな情報を、何かやっていないかと思ったのだ。でもこんなひどい事件があったなんて、夢にも思わなかった。しかもこの学区内だ。
 保育園児の列に、ワゴン車が突っ込んだという。散歩中の園児と、保育士が重軽傷を負った。警察の調べでは、犯人は飲酒していなかった。犯人はこう供述している。
「一瞬、何かに取り憑かれた。自分が自分でなくなり、急に運転できなくなった。ハンドルが子どもたちの方へ向いて驚いた。もうしわけなく思っている」
 警察はこの男の精神鑑定をする方針だという。
「シュウ君!」
 ノベルは箸を握ったまま、部屋へ駆け戻った。
「今、ニュースで——
 シュウ君はまだ煩悶していた。大きな顎を突き出し、寝そべって体をよじっている。ノベルの姿を見ると、煩わしげにゴロリと背を向けた。
「何やってんだよ」
「綿密な捜査計画を練ってる」
「そんな変なポーズしなくたって」
「ヨガだよ。頭の回転が良くなる」
「子どもの列に車が突っ込んだ。急に何かに取り憑かれたって。犯人がそう言ってる」
「ふうん」
 シュウ君は無関心だった。ノベルは拍子抜けした。
「『ふうん』って……これも人喰らいのしわざだろ?」
「かもしれないし、違うかも」
「歯切れが悪いなあ」
「車でたまたま通りかかった人を、テレパシーで操ったのかも。それとも乗り移ろうとして、気が変わったのか……」
 シュウ君のしゃべり方は、すごく疲れて眠い人のようだった。
「不安や絶望は人間をだめにする。ひどい目にあうと、可能性が離れるんだ。人喰らいはその隙を狙う。一度に大勢をおびやかせば、たらふく食べられる。それを狙ったのかもね」
「じゃあやっぱり、この辺をうろついてるんだ。人喰らいは」
「やつと決まったわけじゃない。あくまで可能性さ……」
 語尾がモゴモゴと聞きとりにくい。あとは何を話しかけても答えなくなった。
 ノベルも考え事をするときは、むやみに話しかけられたくない。ましてシュウ君は、大きな責任のある立場なのだ。たったひとりで知らない惑星へ来て、悪い奴を捕まえる。その重圧を思いやり、邪魔しないことにした。
 ノベルは宿題を居間で済ませた。風呂にも入った。シュウ君はまだ、机にぐったり突っ伏している。眠っているように見えた。でもおそらくそうではない。ノベルは彼に構わず、寝ることにした。
 翌朝ノベルが目覚めると、シュウ君は部屋にいなかった。また朝食を作ってくれたのかと思った。それにしてはあのいい匂いがしない。
 台所に朝食は用意されていなかった。それどころか、シュウ君の姿もない。居間にもいなかった。
 押し入れやソファーの下も探した。念のためゴミ箱ものぞいてみた。浴室にもトイレにもいない。足を滑らして流されたのでは……。でも便器に用があったとは思えない。
 書き置きはなかった。文字を知らないのか。きっと急に思い立ち、行く先を知られたくなかったのだ。ノベルや三人組を危険に巻き込みたくなかったのかもしれない。
 ただ恐くなって逃げたということは、まさかないと思うが。
 三人組にどう言いわけするか、今から頭が痛かった。掃除中になくしたとでも言うか。すごい剣幕で抗議されるのが想像できた。口もきいてもらえなくなるに違いない。もともと彼らとは親しくはなかった。どちらかと言えば迷惑でさえあった。彼らの信望を失うのは、それでも気が滅入った。
 シュウ君はそのようにして、ノベルの前から姿を消した。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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