逆さの

連載第4回: 行きすぎた個人主義

アバター画像杜 昌彦, 2022年08月17日

居酒屋に改装される前の「浜口屋」は幕末から代々つづく味噌屋だったらしい。空襲にも一九七八年の震災にも耐えた古い民家で、当時のなごりで店先に樽が置かれていた。ドアの小さな鐘が鳴り、木の匂いと煙草の入り混じった空気を嗅いだ。生演奏のジャズと談笑、氷がグラスで立てる音、シェイカーの刻むリズムが聞こえた。照明を抑えた店内は金曜の夜だけあって繁盛していた。「金星の湖」とは明らかに客層が違う。年配の裕福そうな客ばかりだった。天井は低く、漆喰壁には小さな木版画が飾られていて、昔のままらしい床板が軋んだ。カウンターの止まり木に座って鞄を隣の席に置いた。隣の客が飲んでいる酒には興味があったけれど、幸田に恥をかかせまいと高校生らしくオレンジジュースを頼んだ。おそらく浜口氏であろう口ひげ蝶ネクタイの男は冷蔵庫からオレンジを取り出した。
 小さな舞台で六十年代風のタイトなスーツに細いネクタイの四人が演奏していた。昭和の小学校にありそうなアップライトピアノに、ブラシで撫でられるドラム、冷やかで太いベース。ベテラン風の四、五十代にひとりだけ高校生が混じっている。幸田は頭をジェルで撫でつけ、愛用のカントリージェントルマンを見慣れないフェンダーのアンプにつないで歪みのない艶っぽい音で演奏していた。くそまじめな顔つきで演奏する彼には思わず噴き出しそうになった。お嬢ちゃん滋君の友だちかい、と隣の客が話しかけてきた。あたしに話しかけてくる多くの大人と違ってエロ目的ではなさそうだ。あたしよりも幸田に関心があるらしい。まさか飲み友だちだなんて正直には言えないのでただはいそうですと答えた。彼をご存知なんですかと訊いた。ファンなんだよと常連風の客は言った。口ひげ蝶ネクタイはあたしの前にコースターを出し、砕いた氷に注いだジュースのグラスを置いた。ストローは断った。ウォッカ抜きで味気なかったがわざわざしぼってくれたのが嬉しかった。
 暖かい拍手が起きた。次の曲は「エンジェル」だった。小学校の校内放送みたいなギル・エヴァンスよりずっとよかった。先輩三人や浜口氏を含め、幸田を見守る店内の視線は息子や孫に対するかのようだった。あいつ去年の春バイクで娘を死なせたんだ、と浜口氏は幸田を見つめながら穏やかな口調で話しだした。話しかけられたとすぐには気づかなかった。「娘がふたり乗りをせがんだらしい。青葉山の急カーブでね。対向車線を越えた大型トラックをかわしきれなかった。運転手は睡眠不足だったそうだ。美佳は救急車が来る前に逝った。全身打撲による多臓器不全だと医者は言った。霊安室に駆けつけたときは信じられなかった。顔はどこも傷ついていなくて眠っているようにしか見えなかった。思えば女房と別れてから忙しさにかまけて学校の話も碌に聞いてやらなかった。彼氏がいることさえ知らなかった。警察からの報せもまちがい電話かと思った」
 常連風の男は演奏に聴き入っていた。あるいはそのふりをしていたのかもしれない。
「はじめは許せなかった。でも娘を喪ったのはあいつも同じだ。葬式やら裁判やらで度々顔を合わせるうちに憎しみは薄れた。話してみると悪い子じゃない。あいつは店へ遊びにくるようになった。試しに舞台に立たせてみた。週イチで入ってもらうことにしたよ。いまじゃ自分の息子みたいに思ってる」あたしは真剣に酒が欲しくなった。その表情に気づいたのか浜口氏は言った。「退屈させたかな。あいつがガールフレンドを連れてくるなんてはじめてだからつい喋りすぎた。父親が娘を忘れられないのは仕方ない。でもあいつはまだ十七だ。早く他の子とつきあうべきだと心配していた。ああ見えて奥手なんだ。音楽のことしか頭になくてな」浜口氏は寂しそうな目で笑った。自分の芝居に酔っているかのように見えた。奥手の意味を辞書で確かめようとあたしは決めた。別にちゃんとした彼女がいることを教えてやろうかとも思ったけれど、ユカより先に紹介されたことに戸惑って何も言えなかった。幸田の考えがわからなかった。
 何度か休憩を挟んで幸田がバイトを終えたのは日付が変わる少し前だった。最終の地下鉄にはまだ間に合う。死人の膚のように冷やかな湿気を感じながら駅へ向かった。春ちゃんと違って手はつながなかった。並んで歩いているのに手と手が離れていることに違和感があった。なんか落ち着かねえな、と幸田が言った。春ちゃんがいないせいだとあたしは指摘した。彼がいたら事故に遭わせないようにどちらかが手を引くことになった。彼はまっすぐ歩けない上に前を見ていないので始終ひとやモノにぶつかったり車道に出たりしていた。インターネットで調べたところによればそういうのを発達性協調運動障害というらしかった。あたしたちだけがそうしたのではなく当時の彼といたらだれでも本能的に手をさしのべたろう。さもなければ疎ましく感じて避けたはずだ。そんな春ちゃんがいじめられなかったのは腕力の強い幸田と小学校以来いつも一緒にいたからだ。あるいはそのようにして彼は力というものの価値を学習したのかもしれない。
 幸田とふたりだけで歩くのは出逢った日以来だった。二度目に逢ったときには春ちゃんに引き合わされていた。落ち着かないのは幸田の恰好のせいもあった。まるで初デートに気負いすぎた童貞だ。大きなギターケースだけが普段と変わらなかった。春ちゃんにアパートの鍵を渡してあると幸田は語った。例によって掃除をしながら待っているという。「あいつ心配してたぞ。聡美が恋の悩みで知恵熱っつうから。百戦錬磨のおれが相談に乗るぜ」
「弱みにつけ込むやり口ね」
「なんでおれがおまえを口説くんだよ」
「見境のない猿だからでしょ」
 ユカのことを考えたくないので浜口氏が語ったことを話題にした。幸田は困ったような妙な苦い顔つきをして、あの親爺と呻いた。どうしたのと訊いた。「浜口さんに娘なんていねえよ。はじめから」あたしは意味がわからずに困惑した。彼は後ろ暗い秘密を知られたかのように視線をそらした。「担がれたんだよ。おれは免許なんて持ってない」彼のそのような横顔を見るのははじめてだった。そう言われてみれば浜口氏の感傷的な態度も不自然だったし、かと言って幸田も本当のことを言っているようには見えなかった。
 幸田が家賃を払えなくなってあの六畳のアパートを引き払うとき、もはや彼自身にとってもただのガラクタとなった「宝物」を処分してあげていて、衣裳ケースの奥底で失効した免許証を見つけたことがある。もし浜口氏の話が本当ならおやじ狩り事件は事故から間もない時期だったはずだ。当時の彼の部屋はすでに散らかっていたけれども空き瓶や空き缶はなかった。事故がきっかけで飲みはじめたのかもしれないという気はするし、知り合った当初はたまにしか会わなかったからあたしが知らなかったのも筋は通る。けれども父親に頼らずに自活する少年が、十六歳になってすぐに免許をとってふたり乗りが可能なバイクを買えたというのもおかしな話だ。十七歳のときに二軒のバイト先を見せてくれたのは、奨学金と音楽だけで生計を立てられるようになったのが誇らしかったからだろうし、楽器を手に入れるまでは解体工事や高所清掃のような肉体労働をしていたとも聞いている。十五歳の暮らしを成り立たせて楽器とバイクまで買わせるような職場がこの国にどれだけあるというのか。違法といえば免許をとりたてのふたり乗りだってありえない。あたしの部屋に転がり込んだ彼に奨学金以外の借金はなかった。トラック側に過失があったとしても死傷事故まで起こしてただで済むだろうか。
 幸田が奨学金と称していたのは浜口氏からの借金だったのではないか。浜口美佳が実在したにせよしなかったにせよ、あるいは事件が語られた通りであったにせよ別物だったにせよ、浜口氏とのあいだに簡単には説明できない何かが実際にあったのは確かだ。浜口氏とは五年前に肝硬変で亡くなるまで何度も顔を合わせる機会はあった。いつも父のことで一方的に弁解されるばかりでついに訊きそびれてしまった。会話を噛み合わせるのが難しい春ちゃんからはまともな答えは得られない。これだけ長く一緒にいるのに出逢う前の幸田を何ひとつ知らないことに自分でも驚かされる。眉間に皺を寄せて眠る彼を見つめながら、いつかその事実に復讐される日が来るかもしれないと思う夜がある。どんなかたちであれ幸田を喪うのが怖くて彼本人には訊けていない。彼がまた十七歳の頃の元気を取り戻す夢にすがりながらも、一方ではこの暮らしを壊したくない自分に気づく。彼がいつかあたしを置いてどこかへ行ってしまうという確信めいた予感がある。それがせめて自死でないことだけを願っている。
 あの夜あたしはアパートに着くまで話すのを待てなかった。のちに述べる事件をきっかけに春ちゃんが独自の人生を歩みはじめたせいもあり、彼抜きで何かをすることがこの頃から増えはじめた。ふたりだけで過ごす違和感はいまも完全には消えていない。拘置所で裁きを待つ彼の影がいつもふたりのあいだにいるような気がしている。数日間の出来事を列挙するあいだ幸田は黙り込んでいた。あたしの説明が終わると彼は呆れたように、そういうのなんて言うか知ってるかと言った。「パラノイアとか関係妄想とかでしょ。話すんじゃなかった」
「そもそもバス事故が殺人と決まったわけじゃ……」
「見たのよ目の前で。あいつは笑ってた。息子も同じ手口で殺されたのよ。友だちが目撃してる」その子は犯人を見たのかと訊かれてあたしは首を振った。ユカが幸田に何も話していないのを知り、奇妙な優越感に棘のような後ろめたさをおぼえた。「雨でいつもより乗客が多くて混雑してたみたい。白線の内側に下がれってアナウンスがあって電車が来て、最前列の青工生が急に悲鳴を上げてつんのめった。足を滑らした感じじゃなかった。突き飛ばされたようにしか見えなかったって」
 見ちゃった友だちも気の毒だったなと幸田は感想を述べ、小男のストーカーについて知りたがった。身なりや行動を詳しく教えてやった。関心を持たれたのが嬉しくて話を少し盛ってしまった。幸田はまた無言で考え込んだ。建設現場にさしかかった。乾いた血の色の鉄骨で巨大な櫓が組まれていた。灰色の幕で覆われていない部分に作業用の足場が見える。暗い内側に安全ネットが覗いていた。金属パネルの塀には青葉建設のロゴがあった。蛇腹式の入口は閉ざされていた。完成した総ガラス張りの建物は、市民図書館や貸会議室などの複合文化施設として使われ、冷暖房効率の悪さで職員に不平をこぼされたり、耐震強度を不安視されたりしながらも震災によく耐えて、樹木を思わせるシャフトで棚のような構造を支える前衛的な建築で世界に知られることとなる。
 そのとき何を話しかけたかは忘れたけれど、車道側にいた幸田の表情がさっと青ざめたのは憶えている。いま思えば彼の顔に黒い影が落ちていたような気もする。次の瞬間、というかほぼ同じ瞬間いきなり幸田に抱き締められ押し倒された。そのこと自体の恐怖はすぐさま別のものに取って代わられた。鼓膜が裂けそうなほどの音と衝撃を感じた。何か音楽的な音も同時に聞こえた気がする。体温と体臭から逃れようともがいた。機材運びで鍛えた腕はびくともしなかった。何が起きたかわからなかったけれども死ぬかもしれなかったのは咄嗟に理解した。コンバースを履いた幸田の足からわずか数センチ先に見慣れないものが見えた。灰色の足場が横たわり、歩道のコンクリートが砕けて陥没していた。通行人が息を呑んだり短い悲鳴を上げたりするのが聞こえた。
 状況を理解する余裕もないうちにブレーキ音がして何かがへし折られ、弦が一度に弾け飛ぶような音がした。ふぁ、というような情けない息をあたしの耳元で幸田が漏らした。いま思えば長い時間をかけて少しずつ廃人に近づく過程がこの瞬間にはじまったのだ。関心があたしから急に離れるのを感じるとともに彼の腕が緩んで呼吸が楽になった。密着していたときにはあれだけの恐怖を感じたのに自分の一部が引き剥がされるかのような心細さを感じた。幸田はあたしの傍らに脱力したように茫然と座り込んだ。車を降りた男がバンパーを気にしていた。その先に鎌首をもたげた物体があった。面影はなかったがどう見てもそれは幸田のギターケースだった。中身はもうギターとは呼べまい。車に撥ねられたせいなのか放り出された時点で折れたのかはわからない。あたしは言いようのない惨めな想いでからだを起こした。幸田は金魚のように口をぱくぱくさせていた。あたしに怪我がなかったか確かめたいらしいが声が出ないのだ。気配を感じて建築現場を見上げた。灰色の幕のあいだで何かが動いた。暗がりに目を凝らしたとき幸田の喉からかすれた息が漏れた。振り向くと疑って悪かったと彼は言っていた。再び建築現場を見上げたときには不審な影は消えていた。
 革のケースを剥いて確かめるまでもなかった。カントリージェントルマンは首がまっぷたつに折れ、弦だけでつながっていて胴も粉々になっていた。幸田は通行人の視線を浴びながら長いこと座り込んでいた。あたしは彼がこの楽器を手に入れるのにどれだけ苦労したかを知っていた。彼はこの楽器で稼いで食べ物を買い、家賃や公共料金を支払っていたのだ。「金星の湖」での荒々しく歪んだ音と誇らしげな顔、「浜口屋」での艶やかな音と大人に囲まれて緊張していた顔を思った。どれだけ言い分けを考えてもあたしよりこの楽器のほうが価値があった。そのときになってはじめて鞄をあたかも大切な赤ちゃんででもあるかのように無意識に抱え込んでいたのに気づいた。中身は人生に何ひとつ役立たなかった教科書やノートでしかなかったのに、おかげでそれらは放り出されて車に轢かれることはなかった。ギターを撥ねた運転手は幸田とあたしを薄気味悪そうに見た。それから落下した建築資材を見て、関われば厄介だと気づいたようだった。車が去るとあたしは幸田を立ち上がらせた。このままここにいたら通報され、何かやったと疑われる。何しろあたしたちは犯罪者予備軍の十七歳なのだ。
 二十年前のあのとき幸田が咄嗟にギターを放り出していなければ心から願う。どちらにとってもつらい結果になるのだからあたしを選ぶことはなかったのだ。そしてあたしの軽率な台詞をなかったことにできたなら。ベニヤ板で自作したら、などとあたしはばかげた提案をしたのだ。ペグとかピックアップとかは無事でしょ、と。冗談ではなくちょっと手先が器用ならそういうことが可能だと本気で思っていた。楽器というものをその程度に認識していたのだ。無茶いうなよと幸田は顔を複雑に歪めて呻いた。パソコンだって改造品じゃんとあたしは言い募った。パソコンっていうなと彼は林檎印の商標で呼ぶことをあたしに強要した。そうして彼は笑ってくれたし、あたしのせいだなんてこれっぽっちも考えやしなかったようだけれども、だからといってあたしの罪が帳消しになったわけじゃない。あたしにさえ関わらなければこんなことには巻き込まれなかったのだ。
 萎れたように見えるギターを担ぐ幸田の足取りは重かった。十字架を背負うキリストの冒涜的な戯画のようだった。この期に及ぶもあたしはそれを一時的な気落ちのように捉えていた。生活を支えてやることにしたときも元の彼に戻るまでと思っていたし、せいぜい数ヶ月のつもりでいた。まさか二十年も悪化の一途をたどるとは思わなかった。あたしたちはこの頃よくそうしていたように酒を買う前にレンタル屋に寄った。在庫入れ替えのために中古VHSがワゴンで投げ売りされていたのを憶えている。当時はフールーやネットフリックスどころかようやくDVDがカセットテープを巨大にしたような規格に取って代わろうかという頃だった。幸田はハワード・ホークスやらジョン・ヒューストンやら、ビリー・ワイルダーやらといった古い映画に凝っていた。何かに関心を持つということがその頃の彼にはあったのだと思うと胸が締めつけられる。
 向かいのコンビニへ入ると春ちゃんが缶チューハイを選んでいた。いつもの日曜のパパみたいな恰好を目にして安堵した。彼の微笑は幸田のギターケースを見るなり凍りついた。わけは訊くなと幸田は言った。アパートで待ってるんだと思ってたとあたしは言った。お酒、足りないかと思ってと春ちゃんは答え、乏しい小遣いから払おうした。あたしはあんた働いてんでしょ、と言って幸田に出させた。これから食費を切り詰めなきゃいけないんだぞと彼は抗弁した。だからこそよとあたしは言った。レジの子があたしたちの会話にクスッと笑った。二の腕にタトゥーを灼いた痕があり、左手首をリストバンドで隠していた。よく面接通ったなと思った。その子もあたしの左手首を見ていたように思う。年齢確認が厳しくなりはじめた頃だったけれども制服なのに何も咎められなかった。よく憶えていないけれどもタッチパネルで確認を求めるレジはまだ登場していなかったはずだ。
 店を出ると春ちゃんがまた挙動不審になった。今度ばかりは彼を笑えなかった。足がすくんで動けなかった。過呼吸になったことはないが発作を起こすならこんなときだろうと思えたし、よく考えると実際に過呼吸になりかけていたようにも思う。あたしを気遣う幸田の声が遠くに聞こえた。彼がすぐそばにいるのに遠く感じられたのはそれが最初だった。けれども遠くにいたのはこのときはあたしのほうだった。ヘッドフォンをした小肥りの中年が通り過ぎた。きちんとしたスーツの会社員風で別人だった。全身の力が抜けて地面にへたり込んだ。力のない笑いが洩れた。ふたりに支えられるようにしてアパートへ辿り着いた。部屋は整理と掃除が行き届いていた。あたしはどうせまた汚れるのにと思いつつ春ちゃんをねぎらった。幸田はコンビニの袋と粗大ゴミと化したギターケースとを畳に放り出し、ネクタイをほどいてジャケットを脱ぎ棄てた。明るい部屋でよく見るとケースの革も傷だらけで汚れていた。彼はこのケースも丁寧に油を擦り込んで手入れしていた、この夜の直前までは。
 春ちゃんのお母さんが持たせてくれた煮物とキンピラゴボウに幸田は「うめー!」と何度も叫んだ。家庭の味に飢えていたのだろう。正直あまり美味しくなかったし見た目も悪かった。あたしがつくったほうがましだと思ったけれども三人のあいだにつまらない自意識を持ち込みたくはなかったし、つくらされるのも面倒なので何も言わなかった。幸田が食事から悦びを得られるうちにもっといろんなものを食べさせてあげればよかったと後悔している。この頃の彼ならなんでも喜んでくれたろう。食べる、という行為は生きる意欲に直結しているのだ。
 カラメルで色をつけた激安ウィスキーが一本空く頃、春ちゃんは早くも潰れた。構わず飲みつづけた。「あおば星祭り」はなぜ梅雨の明けないような時期にやるのか、といった哲学的な議題で激論を交わした。そんなことよりもっと話すべきことがあったのだが小男に命を狙われていることは忘れたかった。幸田も同じ気持だったのだろう。あたしたちは空騒ぎに必死でしがみついていた。三十分もすると話題が途切れて気まずくなった。春ちゃんがいないことに慣れるまでのあたしたちはいつもそうだったし、この頃は彼がいまのように変わってしまうなんて夢にも思わなかった。そうだビデオ観ようと幸田は提案した。エロ映画はやだよ、変な気になられたら困るもんとあたしは言った。そういう冗談は好きではなかったけれど励ますつもりで期待に応じてやったのだ。そりゃこっちの台詞だと幸田は即座に応じた。冗談に乗っかれるくらい元気を取り戻してくれたことがあたしは嬉しかった。
 ピンク映画とブルーフィルムの違いについてあたしと議論しながら幸田は青い防磁ケースから箱形のカセットを出し、ブラウン管式テレビデオに挿入した。DVD再生機がまだ高価だった一方、学生や貧乏人は数年後には処分に困るのを承知で、量販店で投げ売りされていたこの手の安物を使っていた。春ちゃんは静かに寝息を立てていた。あたしは三人で映画を観るときいつもそうするように、蛍光灯の紐を引いて豆電球にし、丸っこい画面がよく見えるように幸田のそばへにじり寄った。アナログの画質はいまのスマートフォンなど足元にも及ばないほど不鮮明だったし、幸田のテレビは十四インチしかなかったのでそうせざるを得なかった。ふたりでベッドにもたれてウォッカをまわし飲みしながら鑑賞した。
『バス停留所』はどうやらマリリン・モンローがDV変質者のストーカーに迫られる話のようだった。物語が進むにつれあたしたちの顔から笑みが消えた。マッチョな性暴力礼賛にどん引きだった。視聴を終えたときにはあわや足場の下敷きになりかけた気分がすっかり蘇っていた。『セブン』みたいなサイコホラーより後味が悪かった。少なくともあれは被害者にしたことが犯罪だという認識が前提にある。そのたかだか四十年前にはこれがハッピーエンドだったのだ。人権感覚がこのようであった時代に人格形成をした大人がまだこの社会に生きていることを思ってゾッとした。幸田でさえ茫然としていた。あたしの前で平気で下ネタを言い、あたしが応じると無邪気に喜ぶような男がだ。たぶん当時の観客には陽気な恋愛喜劇に映ったんだろうなと彼は呟いた。マリリンの演技が重すぎるのよ、でなきゃ単に古くさく見えてたと思うとあたしは感想を述べた。
 この夜のあたしたちは自分がいつか十七歳以外の何かになるなんて考えもしなかったし、三人の関係が変わりつつあることさえも知らなかった。あたしは這っていって春ちゃんに毛布をかけてやった。振り返ると幸田にお尻を見られていた。容姿も頭脳も何もかも完璧なユカと較べられて喜ぶ女はいない。それ以上見たらお金取るよと告げて元の場所へ這い戻った。だったら隠せよ、スカートが短すぎるんだよと幸田は視線をそらして苦言を呈した。断っておくがあたしのスカートが同級生と較べて極端に短かった事実はない。当時の女子高生としてはむしろ保守的な部類であったと断言できる。幸田はさっきの映画より自分がどれだけましかを計っているように見えた。さすがの彼も大した差は見いだせないようだった。あたしは訊くならいまだと思った。
「ねえ春ちゃんってなんでいつも怯えてるの。普通じゃないよ。あんた以外に友だちいなさそうだし」
「言いすぎだろ。こいつにだって友だちくらいいるさ」だれとあたしに問われた幸田はおれと……聡美、と自信がなさそうに小声で言い、しょうがねえだろと声を荒らげた。「父親と祖母ちゃんがさっきの映画の変質者みたいだったんだよ。こいつの前じゃ言えないがお袋さんだってなんかおかしいとおれは思ってる」
 春ちゃんの家族は全員がおかしかった。公務員の父はスポーツを通じた人格教育と称し、息子に馬や騎手のデータを熱心に教えた。馬券を買える歳になったら大金を稼いで親の恩に報いるものだというのが口癖だった。息子に一日中つきまとって一挙手一投足を監視し、何の前触れもなく急に質問を浴びせた。食事中も勉強中も、風呂にいてもトイレにいても、寝ていようが登校直前だろうがお構いなしだった。春ちゃんは緊張でつっかえたりまちがえたりした。すると父は卓袱台をひっくり返し、茶碗を畳へ叩きつけて怒鳴った。「根性がない」「そんなことじゃ生きていけない」「鈍くさい」「だから他人様から嫌われる」「要らない人間だ。笑いものにされ淘汰されるぞ」比喩でも誇張でもなくこの家庭では本当に『巨人の星』みたいな丸くて低いテーブルを使っていた。元小学校教員で退職後に民生委員をしていた祖母は、春ちゃんが躾けられるさまを薄笑いを浮かべてじっと見つめた。先進的な教育を実践する息子に較べて、なんとだらしない孫だろう。嫁の血を引いたに違いないと決めつけた。父親似の妹も情けない兄の姿に笑った。あいだに立たされて迷惑すると母はこぼした。
 春ちゃんの父親は家族サービスに熱心だった。休日には春ちゃんを競馬場へ連れて行って投資先を選ばせた。春ちゃんは父の顔色から適切な馬を見抜かねばならなかった。解答は気分次第だった。見極めに失敗しても馬券がはずれても調教用の鞭で背中を打たれた。当たれば手柄は教育を施した父のものだった。テレビの視聴で許されるのは競馬中継と競馬ニュースのみ。そんな家庭の子どもが学校で浮かないはずがない。自分はおかしいんだ、普通の世界とは接点のない人生なんだと思い知らされて春ちゃんは育った。
 母親の靖子さんはいつも筋の通らない夢を見て生きていた。会話が噛み合わずに他人を苛立たせ、そのことを何ひとつ疑問に思わなかった。おかしい息子のせいで夫や姑からとばっちりを受けていると考えた。そのような人柄を見込んで親切な友だちが近づいてきた。熱心に勧められて勉強会に参加した。だれもが同情してくれた。前世の祟りだと諭されて深く感動した。やはり自分に罪はなかったのだ。悪いのは息子だ。前世で何かやらかしたのだ。このようにすばらしい教えはぜひとも世間に広めねばなるまい。靖子さんは幼い娘を連れて勧誘に打ち込んだ。駅のバスターミナルや訪れた玄関先できつい言葉を浴びせられたが、他人に話しかけて怒られるのは以前からだったので気に留めなかった。口上を教えられていたので話すのは楽だったし正しいことをしている充実感も得られた。
 靖子さんが不在がちになると家事は春ちゃんが肩代わりさせられた。それは祖母に躾けられることをも意味した。「それはホラこうするの」「全然なってない」「あーっ何やってんの」「いまどきの子は経験がないから」「だれに似たやら」それは指導ではなくただの人格否定だった。教頭まで務めた祖母は屠殺される豚のような声で罵倒するばかりで何ひとつ具体的に教えはしなかった。春ちゃんは病的なまでに不器用だったのになぜか掃除と洗濯だけは得意だった。二十年後に捕まるまで時間がかかったのはこのとき身につけた技術のおかげだと思う。犯行の痕跡を綺麗に消し去ったのだ。料理だけはいつまでたっても上達しなかった。むしろ緊張と怯えでできるはずのこともできなくなった。下痢と便秘を繰り返した。家ではトイレに行きづらく学校で個室を使った。上から覗かれたり巻紙を落とされたりドアを蹴られたりした。洩らした。文字通り鼻つまみ者だった。
「家が近かったからよく遊びに行ったんだよ。お祖母さんに監視されて居心地が悪かった。遊び方に口を出されたり、わけわからん説教されたり。お袋さんもなんか変だし。ほかの連中は離れてった。おれだってあいつん家には行きたくなかった。玩具もゲームもないしな。おれん家で遊ぶのも面倒だった。玩具とかゲームとか隠すのに気を遣うんだ。やたら羨ましがられて面倒だから。自分の部屋があることさえ後ろめたい気持になった。外で遊ぼうにもふたりじゃ何もできない。それにあいつ、からだを動かすのを厭がるんだ。まっすぐ立って歩けないし投げたボールは三メートルも飛ばない。どうしても本気でやっているようには見えないんだけど本人は大まじめなんだ」
 あたしたちの会話は親友に対してひどい言いように思えるかもしれない。でも春ちゃんは事実、変わっていた。何を話しているのか幸田の通訳なしにはわからないことが多かった。Aという単語を熱心にくり返すので、Aの何を話したいのか訊いてみるとBについて説明をはじめる。えっそれってBの話だよね、Aにどう結びつくの、と尋ねて、掘り下げて訊いてみると実はCの話題だったりする。しかもあたしに話しかけておきながら答えを聞かずによそを見ていたりした。育った家庭のせいか遺伝のせいかはわからない。この二十年のあいだに何度か逢ったことがあるけれど春ちゃんより靖子さんのほうがひどかった。息子の不器用や社会性欠如のルーツという感じがした。あたしは春ちゃんが大好きだったけれども、あの個性を尊重するのがどれだけ困難なことか理解してもいた。よくつきあえたわね、とだけ感想を述べた。
「仲間はずれに荷担するなんて悔しかったんだ。負けたみたいでさ。なるべく大勢で遊ぶよう心がけた。あいつが混ざると厭がられたけれど気にしなかった。何か悪いことでもして親に怒られてるんだろうってみんな思ってた。そうでもなければ普通あんな扱いは受けないからな。日曜に同級生をひとり連れてあいつん家で粘土遊びをしたことがあった。父親がパチンコから帰ってきた。猛烈な勢いで息子の作品を畳に叩きつけた。客のおれたちの目の前でだぜ。なんだその馬はと怒鳴られた。おれたちの笑いは凍りついた。『その脚でどうやって走るんだ。そんなこともわからんのか。靖子、こいつに教えてやれ。おれはもう匙を投げた!』凄い形相であいつを睨みつけてまた家を出てった。いつのまにかお祖母さんが音もなく襖のとこに立っていて、非難がましい薄笑いでじーっと見ていた。お袋さんは台所から出てこなかった。春雄は潰れた粘土の塊を見つめた。その上に涙が落ちた。同級生はさよならも言わずに帰った。おれまで惨めな気分になった。おれん家でジブリのビデオでも見ようぜって提案した。無反応だった。さすがにムカついたよ。ここまで助けてやってるのにって。ちなみにあいつの親父さんが馬だと思ったのは犬だった。おれには何にも見えなかった」
 夢見がちな靖子さんからはかすかに異臭がするようになった。それを濃く煮詰めたような悪臭がいつも「道場」から近所一帯に漂っていた。遺体があるのではと噂になった。病気の子どもを拉致されたと訴える若夫婦がいた。手術で治る病気だったのに祖父母と親族が「祈りで治す」とねじ込んできてむりやり退院させ、それきり逢わせてもらえないという。たび重なる通報に警察がようやく動いた。じめじめした夏の暑い日に強制捜査が入った。奥座敷で子どもの腐乱死体が見つかった。「復活させる」と布団に放置されていた。ほかにもさまざまな実態が明るみに出た。前世の祟りと称して信者を脅し、多額の金を巻き上げる。家族や知人を拉致して二畳の座敷に閉じ込め、教義の録音を二十四時間流して暗唱するまで人格否定する……。
「あーそれワイドショーでやってた」
「あいつのお袋さん当事者だったんだよ」
 マスコミも近所のひとたちも勉強会に参加すれば誤解が解けるのにと靖子さんは思っていた。特に信念があったわけではない。その証拠にひと月半の後には市民団体の介入で脱会している。そのことにしても心を入れ替えたとか考えを改めたとかではなく、ただ強い意見に流されたにすぎない。夫や姑に流され勉強会に流されたのと同じだ。脱会とほぼ同時期に離婚も成立した。騒ぎに巻き込まれるのを公務員の夫と元民生委員の姑が嫌ったのだ。彼らは慰謝料を請求しようとしたが市民団体の弁護士に阻まれ、被害者ぶって元嫁と息子についてあることないこと触れまわった。靖子さんはふたりの子どもを連れて家を出た。市民団体には町工場の経理の仕事とアパートを紹介してもらえた。元夫のふるまいがDVであり虐待であったと教わり、自分は息子とのあいだに立たされた被害者だったとの思いを強めた。無言電話や中傷ビラにしばらく悩まされた。元夫と勉強会の残党、どちらの仕業かわからなかった。やがてそれも途絶えた。
「おれはあのお袋さんが好きだけど信用はしてない。たぶん自分が息子にやったことを何もわかっていない。春雄もいつかそのことを理解しなきゃいけない。でもとりあえず厄介な連中からは離れられたってわけさ。あんな家に生まれるのは手足をもがれるのと同じだな。おれの親父は立派なひとでよかったよ」幸田は疲れたと言って靴下を脱いでベッドで寝てしまった。建築資材で殺されかけた数時間後に平然と眠れる神経が羨ましかった。油断しきった寝顔を眺めた。たとえ変質者に何をされても殺される直前まで気づくまい。春ちゃんがシーツや枕カバーを替えたばかりのベッドは寝心地がよさそうだった。あの隣で寝たら眠れるかもしれないと考えた。
 そのとき彼の携帯が点滅して「チュニジアの夜」が鳴った。
 スマートフォンと違って当時の携帯は音楽ファイルを再生するだけの性能がなく、単音の打ち込みを着信音にする習慣があって着メロと呼ばれていた。若者は携帯のキーやパソコンの専用ソフトを使ってちまちま入力したり、携帯サイトに百円を支払ってダウンロードしたりしていた。八十年代アーケードゲームの音源みたいな音、と言えば若い世代にもおわかりいただけるだろうか。その貧弱な音が暗い部屋で鳴った。男たちを起こしたくなかった。酔いは醒めたつもりでいたがそうでもなかったようだ。反射的に携帯を取り上げて通話ボタンを押し、はいと小声で言った。それから自分がしていることに気づいた。機種も着メロも違うのにどうしてそんなことをしたのか自分でもわからない。相手は沈黙していた。遠くで砂が流れるかのようなかすかな音がつづき、暗く激しい憎悪が伝わってきた。もしもし、と引っ込みがつかなくなったあたしは言った。切れた。非通知の着歴が残った。あたしはそれを消した。
 記憶からは消せなかった。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。